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経営戦略への自然資本プロトコルとSDGコンパスの活用― CSV経営の統合報告も視野にー(越智信仁)

2016-10-04 01:57:13

Natural Capitalキャプチャ

 

  世界銀行を中心としたWAVES(Wealth Accounting and the Valuation of Ecosystem Services)の一環で、近年「自然資本会計」の導入も推進される中にあって、2016年7月には自然資本連合(Natural Capital Coalition)から自然資本評価の国際的枠組みである自然資本プロトコル(Natural Capital Protocol)が公表された。

 

  自然資本プロトコルは、企業の経営判断と投資家の投資判断に資するよう、ビジネスが関連する自然資本に対する影響や依存度を測り価値評価する標準化された枠組みである。既存の経済評価手法をベースにしつつ、それらを補完して機能させるプロセスの標準化であって、厳密な方法を提示するものではなく方法論・手法は可変的である。そこでは、企業が自然資本の評価・管理を行う上での流れとして、4つの原則(関連性、厳格性、反復可能性、一貫性)の下で、4つのステージ(枠組み、範囲、計測・評価、適用)に応じた9つのステップを示すとともに、各ステップには、提供する主要な情報、利用者が取るべきアクション、期待される成果等がリスト化されている。

 

 自然資本連合は、WBCSD(持続可能な発展のための世界経済人会議)が中心になった「コンソーシアム1」による自然資本プロトコル策定と併行して、IUCN(国際自然保護連合)を中心とした「コンソーシアム2」による業種別ガイドラインの策定にも取り組んでおり、既に飲食料品・アパレル業界向けのサポーティングガイドを作成しているが、プロトコルのパイロットテストを実施しつつ、その他の産業(当面、金融、森林、化学、水、不動産等)にも順次拡張していく予定にある。さらにWBCSDでは、2020年を目標に自然資本のプロジェクトを終えた後、2030年にかけて社会関係資本も手掛けることも視野に入れており、2015年4月には、社会関係資本に係るインパクト測定のベストプラクティス事例を紹介したレポート“Towards a Social Capital Protocol: A Call for Collaboration”を公表している。

 

<自然資本プロトコルとSDGsの企業経営上の関連性>

 自然資本プロトコルは意思決定を改善するためのフレームワークでありレポーティングのためのツールではないが、既に自然資本などの評価情報を統合報告で開示する実務もみられ始めている。例えば、インドのタタ社(鉄、電力、化学、車、IT等の大規模企業グループ)では、「自然資本、社会関係資本の価値評価によりビジネスリスクを把握する」[1]として、評価結果を戦略作成やリスク・サプライチェーン管理に役立てるとともに、統合報告書を通じたコミュニケーション・情報開示にも努めている[2]。また、オランダのDSM社(健康、栄養、材料等分野のグローバル企業)は、2015年版統合報告書において、自然資本や社会関係資本を取り込んだ統合損益計算フレームワークによる環境・社会的インパクトを計測・開示するとともに、製品レベルにおける環境面でのポジティブ、ネガティブな価値の把握にも活用している[3]

 

 上記の取り組みからも窺えるように自然資本プロトコルは、サステナブル・イッシューと事業上の関連性を明確にすることに資するため、国連のSDGs(持続可能な開発目標)を企業が実践していくうえでも非常に役立つツールになり得る。既にユニリーバやフィリップス、ダウ・ケミカル、エリクソンなど、SDGsにおける主要な民間プレイヤーになることを宣言するグローバル企業事例もみられ始めている中にあって、企業がSDGsの実現に貢献する活動を後押しするため、戦略立案、その評価・測定などに関するガイダンスとして、GRI・UNGC・WBCSは共同で「SDG Compass」を2015年9月に公表している。そこではSDGsにおける重要事項の特定に、バリューチェーンの各プロセスにおいて、目標に対してポジティブの影響を強める要素と、ネガティブな影響を最小化する要素を特定することが求められており、SDGsをビジネスの本流に組み入れるうえで自然資本プロトコル等の活用可能性も高いとみられる。

 

 自然資本プロトコルやSDGコンパスの活用において大切なのは、リスクとチャンスを把握して意思決定に役立てていく姿勢であり、そのためにはインパクト(事業の結果どのような影響がでるのか)と同時に、依存度(事業を運営していくうえで何が必要なのか)の全体像を鳥瞰的に見極めることが重要である。勿論、企業内の資源の比較を具体的に把握するうえで共通言語の貨幣価値による定量化は有用ではあるが、貨幣価値評価自体に意味があるわけでなく、なぜ数値化するのかを考えた上で、意思決定を行うためのツールとして用いる必要がある。したがって、意思決定できるのであれば低中高といったレベル分けするだけで良い場合もあろうし、単一数値でなくてレンジ評価でも意思決定に役立てる場合もあろう。

 

 自然資本プロトコルやSDGコンパスは、サステナブル・イッシューと経営戦略を統合させるためのツールとして活用可能であり、その基本的な発想は、持続可能性への対処を通じて社会価値と企業価値を両立させようとするCSV(Creating Shared Value)の考え方と同根と考えられる。そして、企業が「資本(Capitals)」の情報をビジネスや意思決定に如何に統合しているか、そうしたマネジメントに関する非財務情報を伝達する共通のプラットフォームとしては、統合報告書が最良の開示媒体である可能性が高い。

 

 折しも近年の統合報告書には、企業の事業や戦略と関連性の強いサステナビリティ課題について、経営上の機会やリスクとの関連性が理解できるような報告が行われる傾向が強まっている[4]。COP21後の世界において、自然資本の有限性が一段と意識されビジネスにとっても重要という共通認識が広がる中で、財務情報との関係の中で自然資本等についての情報開示が進めば、長期的な視点を有する投資家の関心にも適合し得るのである。

 

<過去の企業社会会計からの今日的教訓>

 ところで、環境等のインパクトを可視化する取り組みとしては、前世紀後半以降に一世を風靡した企業社会会計が挙げられ、米欧等を中心に社会貸借対照表などによる数量化あるいは貨幣的な測定値を用いた会計的アプローチも模索された。

 

 アメリカでは、例えばエステスが「社会的インパクト報告書」によって、企業が社会に提供する社会的ベネフィットと、社会が企業に提供し企業が消費する社会的コストを測定し報告しようと試みた[5]。また、1970年代には企業の実践事例としても、Abt社が「社会的・財務的貸借対照表および損益計算書」を公表したほか、アメリカから企業社会会計理論が移入されたドイツでも、Steag社が年次報告書とは別に「社会貸借対照表(Sozialbilanz)」を発表し、従業員のみならず社会環境全体に関する影響を提示しようとした。このほか、フランスでは、付加価値概念を鍵としてミクロ会計とマクロ会計の情報連環を形成してきた伝統をベースにした「社会貸借対照表(Bilan social)」が作成された。

 

 この間、イギリスでは会計基準運営委員会が1975年に公表した「コーポレート・レポート」が有名であるが、時代は下って1999 年より貿易産業省の支援のもと、英国規格協会、フォーラム・フォー・ザ・フューチャー、アカウンタビリティ社により着手されたプロジェクトの成果である「SIGMA(Sustainability Integrated Guidelines for Management)ガイドライン」[6]も特筆される。そこで扱う外部環境会計は、持続可能利益を算出する計算システムとして、企業の財務的利益(税引後利益)から環境負荷の外部費用を控除した環境サステナビリティ調整後利益を示すとともに、「SIGMA原則」には、5つの異なる資本(自然資本、社会関係資本、人的資本、製造資本、金融資本)のマネジメントも掲げられており、国際統合報告フレームワークの「オクトパスモデル」にも通じる今日的視点として非常に興味深い。

 

 エステスの社会的インパクト報告書やSIGMAガイドラインなどで提示された包括的な計算・表示形式は、アカウンタビリティを論理必然的に追い求め、精緻化、厳密化しようとした結果であり、その意味では理想主義的な取り組みといえる。しかも過去の企業社会会計では、伝統的な財務書類に形式上酷似したやり方で非財務情報の収集および公開の仕方を体系化しようとしたために、非常に多くの努力が払われた[7]。他方で、「組織の社会的行動のコストとベネフィットのインパクトを示すために、損益計算書と貸借対照表の形式をとる財務諸表を開発しようとした初期の研究者たちのあまりにも野心的すぎる試みが、われわれを袋小路に陥れた」[8]と述懐されたように、社会的利益の算出を目指した過度に理想的な計算書の多くが、その測定困難性が壁となって普及しなかった[9]

 

 測定が難しいことに加え、社会的インパクト控除後利益にしても、そもそも日々活動する企業とって余りにネガティブであるので、計算してみようという動機が生まれにくい[10]。また、会計計算方法の開発を主眼とする思考は、ともすれば計算することが自己目的化し、価値を可視化・精緻化することにこだわるあまり実務から遊離してしまう危険性があるうえ、可視化してビジネスの決定プロセスにどのように組み込み、活用するかという視点が希薄化しがちである[11]

 

 企業社会会計を巡る過去の教訓から学べることは、マネジメントと切り離して会計上の測定ないし計量化に拘泥することの弊害であり、むしろ外部性に関する情報をフォワードルッキングな環境リスク管理に役立てるとの観点から、非財務情報を射程に含む「開示の会計学」として扱っていく方向性が重要と考えられる。

 

 実際、1970-80年代以降の社会・財務統合計算書が現実適合性を失う中で、前世紀後半から今世紀初頭にかけては、環境効率指標等の実践的な指標が世界的に取り入れられるとともに、従来の包括的・定量的な社会関連報告から記述的な開示内容を含む環境・持続可能性報告書に移行してきた。財務・非財務の統合報告もその延長線上に位置付けられるが、そこ盛り込むコンテンツとして自然資本会計等を位置付ける場合にも、①会計等式を意識した定量化(測定)に拘らず非財務情報の開示という視点から、②マネジメントの意思決定に役立てる情報体系として組み立てる姿勢が大切であり、③そのために環境・社会等へのインパクトと同時に、それらに対する企業の依存度の把握も非常に重要な視点になると考えられる。

 

 今後、自然資本会計に向けた国際的プロトコルの活用に際しては、自然資本の定量化を自己目的化することなく、自社における自然資本への依存度の視点を踏まえて、自然資本評価の結果から企業がサプライチェーンにわたって、どの調達品目で、どの国で、どのような自然資本リスクを抱えているかを概観するとともに、経営に重要性が高いもの、優先して対応すべき新しいリスクの発見など、リスクマネジメントの重要なヒントを得ていく姿勢が肝要と考えられる。現下における地球環境問題解決に向けた糸口は、イデオロギーではなくインセンティブであり[12]、リスク・機会因子として捉える意識がより求められよう。

 

<おわりに>

 新しい社会会計に向けた世界的潮流は、国際統合報告フレーム[13]の「オクトパスモデル」において、ビジネスの前後で変化する資源として、財務資本、製造資本、知的資本、人的資本と並び、社会関係資本や自然資本が列挙されたこととも通底している。企業の活動は多くの社会的共通資本の基盤に支えられており、企業による自然資本等への外部性と同時に、自然資本等への企業の依存度の把握もマネジメントにとって重要な視点になる。日本国内には「パリ協定」を過小評価するムードや法的拘束力の部分だけに着目したような狭義的評価もみられるが、わが国企業も、持続可能な経営の変革と同時に、自らの実践を統合報告等で中長期目線の投資家に訴求していくことが求められる。

 

 新たなミクロ社会会計への取り組みが強まっている背景としては、地球環境問題とビジネスとの関連がより強く意識されるようになってきた事情が挙げられる。人間活動の量より自然の規模が十分大きければ自然は自由財もしくは公共財として扱われるが、その限界に近付いていることが意識され始めると、自然資本の適切な管理のニーズが喚起されることになる。すなわち、自然のストックが豊富にあれば、その限界価値はストックの変化に対してある程度一定して推移するが、自然資本の全体的な水準が減少すると限界価値が上昇し始め、そして仮に経済的・生態学的閾値を超えるとストックはそれ以上の損失・劣化から自動的に回復できないことが意識され始めると、限界効用が高まり限界価値はストックのわずかな変化にもますます敏感に反応するようになる[14]

 

 COP21後は自然資本のレジリエンスに対する危機認識が世界的に一段と高まる中で、地球規模での持続可能性の課題は、企業の長期的な事業戦略と一体化したものとして捉える傾向が強まってきている。その際、自然資本会計は、ビジネスが自然資本に対して持つ直接的・間接的な影響と依存度を計測・評価する標準化された枠組みを提供することで、マネジメントにも役立ち得るのである。近年、「富の会計(Wealth Accounting)」の実践的なマクロ社会会計として「包括的富指標(Inclusive Wealth Index)」の取り組みもみられるが、自然資本会計は企業版の新しいミクロ社会会計であり、こうした枠組みによりビジネスとの関連で自然資本の文脈を把握し、非財務的なリスク要因と派生し得る機会が識別可能になるとともに、そこでのマネジメントを財務との関連で統合報告する意義も高まるのである。

 

 自然資本会計やSDGs等の新しい試みは、プラグマティックな問題解決の糸口として経済主体のインセンティブを重視しつつ、経済を自然の世界に適合させる取り組みと理解される。それはCSVの考え方とも通底しているが、他方でビジネスと接合し切れない社会価値、すなわちビジネスの論理を超えて守られるべき「人間の安全保障(Human Security)」の領域との間には、依然として溝が残る。その外縁をどのように埋めていくか、その一つの方策として拙著[15]で論じたように、NGO(市民)の圧力を介在した投資家の他律的なファクター(開示規律)により経営者ディシプリンを働かせる方向性も考えられるが、インセンティブを軸にした市場規律の拡張可能性と限界、その補完の要否などについては、今後とも多面的に考察を深める余地があると考えている。

 

[1] TATA [2015] TATA Sustainability Policy, p.1.

[2] Upadhyay, Alka [2016] Natural Capital Valuation Initiative @TATA, Natural Capital Protocol Symposium, February 15, at United Nations University, p.13.

[3] DSM [2016] Integrated Annual Report 2015, p.70.

[4] 日本公認会計士協会[2015]「統合報告の国際事例研究」(経営研究調査会研究報告第55号)17頁。

[5] Estes, Ralph [1976] Corporate Social Accountability, Wiley.(名東孝二監訳・青柳清訳[1979]『企業の社会会計』中央経済社)。

[6] SIGMA[2003] The SIGMA Guidelines: Putting Sustainable Development into Practice, SIGMA.

[7] Johnson, Harold [1979] Disclosure of corporate social performance, Praeger.(名東孝二・青柳清訳[1980]『ソーシャル・ディスクロージャーの新展開』中央経済社、6頁)。

[8] Gray, Rob, Dave Owen and Keith Maunders [1987] Corporate Social Reporting: Accounting and Accountability, Prentice-Hall International.(山上達人監訳/水野一郎・向山敦夫・國部克彦・冨増和彦訳[1992]『企業の社会報告―会計とアカウンタビリティ』白桃書房、182頁)。

[9] 國部克彦[2005]「サステナビリティ会計の体系」ディスカッション・ペーパー・シリーズ(神戸大学)16頁。

[10] 冨増和彦[2005]「環境会計とライフサイクル思考―外部性評価に関する一考察」山上達人・向山敦夫・國部克彦編著『環境会計の新しい展開』白桃書房、197頁。

[11] 國部[2005](前掲)12頁。

[12] 大西清彦[2002]「産業転換政策と環境会計機能―ヴェブレンの『産業過程』論を基礎にして」小口好昭編著『ミクロ環境会計とマクロ環境会計』中央大学出版部、183-184頁。

[13] IIRC:International Integrated Reporting Council[2013], The International <IR> Framework.

[14] Pascual, Unai, Roldan Muradian et al.[2010]“The Economics of Valuing Ecosystem Services and Biodiversity(Chapter 5)”in: The Economics of Ecosystem and Biodiversity: Ecological and Economic Foundation D1, Pushpam Kumar.(地球環境戦略研究機関仮約[2011]「生態系サービス及び生物多様性価値評価経済学」69頁)。

[15] 越智信仁[2015]『持続可能性とイノベーションの統合報告-非財務情報開示のダイナミクスと信頼性』日本評論社。

 

 越智信仁

越智信仁(おち のぶひと) 日本銀行を経て2015年から尚美学園大学総合政策学部教授。京都大学博士(経済学)、筑波大学博士(法学)。書籍・論文にて、日本会計研究学会太田・黒澤賞、日本公認会計士協会学術賞、日本内部監査協会青木賞、国際会計研究学会賞、日本NPO学会賞を受賞。  http://www.shobi-u-ochi.jp/