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「地球温暖化対策の進むべき方向」に見る悲劇(西川綾雲)

2017-04-10 15:46:16

sekitanキャプチャ

 

  4月7日、経済産業省は「長期地球温暖化対策プラットフォーム報告書(案)-我が国の地球温暖化対策の進むべき方向-」を発表した。この報告書は、パリ協定を踏まえて2016年5月に策定された「地球温暖化対策計画」長期目標の記載に基づいて、経済成長と両立する持続可能な地球温暖化対策の観点から論点整理を行い、我が国の地球温暖化対策の進むべき方向を提示したとしている。

 

 報告書の最後が「本報告書で提示した方向が我が国の長期戦略の基礎となることが望まれる」との強いトーンで締めくくられているのは、一足早く3月16日に中央環境審議会地球環境部会長期低炭素ビジョン小委員会が「長期低炭素ビジョン」をとり纏め終わっているからだろう。このビジョンも、まさにパリ協定等で2020年までに、今世紀半ばの長期的な温室効果ガスの低排出型の発展のための戦略を提出することが招請されていることに対応するため作成されたと説明されている。

 

 経済産業省側の報告書の極めて特徴的なのは、中環審側のビジョンの主張に、ことごとく反対し、反論やその根拠を示す構成になっている点だ。「地球温暖化の科学的知見には不確実性が残っており、気候変動に関する政府間パネル(IPCC8)をはじめ気候変動に関する専門家の間でも見解の相違がある」、「国際貢献に先立って、まずは国内対策の実施を大前提とすべきとの考え方があるが、これは本末転倒である。かかるアプローチは、地球温暖化問題の本質的解決につながらない」、「主要排出国の中でも『自国第一主義』を掲げる国が出るなどの状況変化が生じており、国際協調には不確実性がある」、「我が国産業構造が大きく入れ替わり、炭素・エネルギー集約的な産業が量的に大きく減少し、炭素・エネルギー集約性の低いサービス産業等に置き換われば、排出量の大幅削減は可能になるとも考えられる。しかし、このような考えは、①地球全体での排出削減につながらないこと、②我が国の強みを活かした成長戦略を描く上で懸念があることから、安易に選択すべきものではない」など、反駁の記述は枚挙に暇がない。

 

 さらに、環境金融に関連しても、「国際エネルギー機関(IEA)やエネルギー業界の有識者は、エネルギー供給構造の変化には、数十年単位の期間を要するため、化石燃料への投資が直ちに座礁するリスクはほとんどないと懐疑的である」、「たとえ一部の投資家が資金を引き上げたとしても別の投資家がそれに替わるに過ぎないから、単にステークホルダーが変わるだけでCO2削減には繋がらないとの指摘もある」、「年金基金や保険等の資産運用会社は、リスク分散と受託者責任の観点からダイベストメントには慎重であり、ポートフォリオの組み替えを行う場合であっても、いきなり投資の引き揚げを行うのではなく、建設的な対話を通じてビジネスモデルの変革を促すような取組(エンゲージメント)が行われている」と、環境金融が特定の企業に及ぼすインパクトについて慎重な見方を示している。

 

 極めつけは、中環審側ビジョンが「パリ協定により、気候変動対策は長期にわたる継続的な投資が必要とされる『約束された市場』が創出され、企業が見通しを持って積極的に投資を行える有望な分野の一つとなった」としているのに対して、経済産業省側報告書が「地球温暖化対策をめぐる様々な不確実性の中では、将来の『政策』や『技術』の選択如何で事業機会が大きく変わり得るため、あたかも当該市場に参入すれば確実に収益をあげられるかのような見解は適切ではない」と反論している部分であろう。ここまでの鞘当てを筆者は寡聞にして知らない。

 

 ひとつの政府のもとで、ふたつの省庁がここまで主張を異にする状況は、果たして健全なのだろうか。そうした疑問に、自分は二十年近く苛まれてきた。本来、主張を異にするのは議会制民主主義のもとでの政党の政策綱領であるべきではないのか。省庁が、同じテーマで何億円もの調査を各々で実施することは税金の浪費ではないのか。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のような空気が、建設的な選択肢づくりや合意形成を阻害してはいないのか。

 

 こうした暗澹たる感覚のなかで、筆者が思い出すのは、20年前の記憶である。1997年8月の新聞記事は、次のように伝えている。「集中審議を行っている行政改革会議(会長・橋本龍太郎首相)は十九日、焦点の環境行政分野に関して討議を行った結果、現在の環境庁を大幅に拡充発展させ、新たに『環境安全省』(仮称)を創設することで合意した。(中略) 新設の『環境安全省』が所管する分野は、従来の環境庁既存部門ほか、厚生省の廃棄物部門、通産省の環境立地局、農水省の林野行政など、各省庁の環境関連部門が統合・一元化される見込み」。

 

 いわゆる橋本行革という省庁再編の大きな挑戦だった。しかし、通産省からは猛烈な反対の火の手が上がり、経済界や族議員も同調して、この行政改革会議の合意は闇に葬り去られた。同年12月に入って決定された「行革会議最終報告」には、通産省の環境立地局の統合・一本化の文字はなかった。2000年の経済産業省発足にあたっては、環境立地局は「産業技術環境局」に生まれ変わり、「環境保全」ユニットは、環境立地局の筆頭課「環境政策課」(環境調和産業室を含む。環境政策全般を担当)と、「リサイクル推進課」(リサイクル政策の企画・立案)、「環境指導室」(PCBなどの公害対策)の三課で構成されることになった。

 

 歴史に「もし」はない。しかし、政策意思決定は時間の経過を経て、その評価が下されるべきものでもある。そのタイミングは、今なのかもしれないと思う。もっとも、筆者の周辺には、「ひとつの政府のもとでふたつの省庁がここまで主張を戦わせることで、内容が精緻化されていくのだ」と、積極的な効果を口にする人もいる。また、今回のビジョンと報告書では、「ようやく環境至上か経済至上かという、すれ違いの議論から脱して、一定の経済活動を維持、発展させる前提で、どちらの環境政策が有効なのかという代替案が示された」と評する人もいる。

 

 しからば、なんとか踏みとどまって、自分ならどんな経済活動を維持、発展させていきたいかを考えてみたい。「世界全体での物的需要が減少しない限り、一国内で産業構造転換により物的生産を減少させたとしても、他国に生産が移転するだけ」として、「我が国の炭素・エネルギー集約的な製造業の物的生産量がただちに縮小するとは考えにくく、それ故に、これらの産業からの排出量を、安易に減少させることができると考えることは禁物である」という論理は、「欲しいという人がいるのだから、みすみすそれを無にする必要はない」という意味に読める。これでは「定年までは、なんとか給料を貰えるのだから・・・」という中高年サラリーマンの発想と同じではないのか。この発想で、若者を惹きつけられるのか。インターネット、IoT、AIをベースに世の中を動かしていこうとするプラットフォーマーの出現を促がすことができるのだろうか。企業には寿命があり、産業には栄枯盛衰があり、経済には新陳代謝が常に生じる。これまでの比較優位性の喪失を恐れて、経済官庁がアンシャン・レジームの擁護者になっている悲劇が、実に痛ましい。

 

西川綾雲(にしかわ りょううん)  ESG分野で20数年以上の実務・研究両面での経験を持つ。内外の動向に 詳しい。