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ISOのグリーンファイナンス規格化作業、「米欧中」覇権争いの様相(藤井良広)

2018-09-26 20:59:00

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  日差しが厳しかった今夏のロンドン。その一角にある金融機関の一室で開いた会合では、穏やかだが、微妙な緊張感が漂っていた。 「これは英国の欧州連合(EU)離 脱(Brexit)後の戦略ではないのか」  「中国と事前に調整しているのか」――

 

 矢継ぎ早の質問は、プレゼンターが紹介した英国の提案に向けられたものだった。英国規格協会(BSI)が国際標準化機構(ISO)に提案し た「サステナブルファイナンス」の 規格化案である。同案は、ISO加盟国 間で、夏の終わりを期限として投票にかけられていた。この日会合からしばらく立って明らかになった投票結果は「ゴー」だった。

 

 同案が注目を集めるのにはいくつかの要因がある。第一に、グリーンファイナンスの分野ではISO14097 (気候ファイナンス)とISO14030(グリーンボンド)の2つの規格化作業が既に進行中だ(日経エコロジー 2018年3月号参照)。ISOでは規格の重複は避けるのが大原則の1つ。英国の新提案は、 グリーンの部分で既存の作業と重複 する(下図)。

 

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 もう1つは、冒頭の質問のように、 EUとの関係だ。欧州委員会は1月に公表された「サステナブルファイ ナンスのためのハイレベル専門家グ ループ(HLEG)」の報告を踏まえて、EUとして同分野の法制化を目指している。HLEGの作業には複数の英国人も参加した。だが、英政府は4月に独自の「グリーンファイナンス戦略」をまとめた。その内容は、国 際金融センターのロンドン・シティの座をグリーン&サステナブルファイナンスの分野でも強めようというものだ。つまり、英国の新提案は、 EU離脱後のシティの基盤強化が真の狙いではないかという点だ。

 

先に可決した中国の「環境金融」案

 

 議論を複雑にするのが、中国の存在。実は中国は昨年来、気候ファイナンスにとどまらず、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、生態系破壊や自 然環境など環境全般を対象とした 「環境金融」のISO規格化案を提案していた。中国は国内の環境汚染が深刻な上に、対外的には、習近平主 席が推進する「一帯一路」イニシア ティブの存在がある。

 

 一帯一路はグリーンインフラ建設 を旗印に掲げている。なので、環境 金融全体をカバーするISO規格ができると、中国が抱える内外の環境課題へのファイナンスを主導的に行えるとの計算があるとみられる。

 

 筆者は「環境金融」を専門領域とする。したがって、環境金融の国際規格を作ろうという中国の提案は極めて魅力的だ。しかし、一口に環境金融といっても、金融面でのアプロ ーチは、対象となる環境の分野ごとに異なる。これらを一括りにした規格化の取りまとめは容易ではない。

 

英国規格化協会(BSI)の本部(ロンドン)
英国規格化協会(BSI)の本部(ロンドン)

 

 加えて、中国提案は明らかに先行する2つのISO規格化作業と重複する。さらに、政治的な思惑も色濃くチラつく。こうしたことから、昨年末の中国提案に対するISO投票は、1票差で否決された。だが、中 国は今年になって、提案の中身はほとんど変えずにタイトルだけを「グ リーンファイナンス」に変えて、再提案したのである。

 

 否決された案を再提案、というのも不思議な話だが、6月に公表された投票結果は、一転して採択されるのである。この半年余りの間に、中国の集票工作が功を奏したのか、環 境金融への理解が深まったのか。

 

 中国の動きと英国の動きは実は、 微妙にシンクロしている。これまでグリーンファイナンス促進で、二人三脚的な関係を築いてきたからだ。 両国は2016年9月に中国・杭州でのG20サミットに向けてグリーンファイナンス・スタディグループ (GFSG)を編成した。同サミットでは先進国・途上国両市場のグリー ン化を打ち出した。その後も共同歩調を続けている。中国を表に出して盛り立てながら、英国が背後でアドバイスする連携にみえる。

 

 中国市場はグリーンファイナンスの面でも膨大な潜在需要が見込まれ る。一帯一路市場も今は玉石混交だ が、アジアインフラ投資銀行 (AIIB)の本格稼働や、ISOルールなどの基盤が整えば、世界市場の成 長エンジンの1つになる期待もあ る。こうした思惑で、英国だけでなく、仏独などの欧米主要国も中国とのグリーン連携を意識している。

 

 再度にわたる中国のISO提案を、 英国が背後でアドバイスした可能性は高い。だが、英国は中国が提案したグリーンファイナンスの規格化案には反対票を投じている。その一方 で、自らはサステナブルファイナンス案を提案したのである。この動きは何なのか。

 

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新たなTC立ち上げ戦略  

 

「そこが英国の巧みなところだ」。 ISOに詳しい関係者が解説する。英 国は、表面的には中国の強引な再提案を否定する形をとりながら、中国 案を自らの提案に取り込む仕掛けを施しているというのだ。

 

 実は、英国の新提案の意味は単に、 ISOで1つの新規格を作ることではない。グリーンファイナンス分野で進行中のISO14097、14030も、さらに日本企業になじみの企業の環境マネジメント規格の14001なども、 同じ環境マネジメントの技術委員会 (TC207)の下で開発されている。

 

 これに対して英国の提案は TC207と、金融サービスの技術的規格化の場であるTC68との間に、 サステナブルファイナンスのための「新TC」を作るというものだ。環境と金融の両TCが相互に、グリーン&サステナブルファイナンスの関連分野を手探りするよりも、両者の業際分野として新しいTCを位置付ける案なのだ。さらに、サステナビリティとしてESGも対象とするので、 組織のガバナンス規格担当の TC309とも業際関係になる。

 

中国案は一歩先にTC207で採択され、今後は新たなWGを立ち上げて作業に入る予定だ。だが、中国案 の作業は他の規格作業との調整などで難航が予想される。規格提案国はConvener(議長)として、ドラフ トの作成や各国との調整作業をこなさねばならないが、中国に経験豊富 なISO実務家が多いわけではない。

 

 そこへ、英国提案の新TCができるとどうなるか。ひょっとして、スタートしたばかりの中国案は分野的には新TCの下で作業した方がいい、となるかもしれない。中国案は英国案の構想にすっぽり当てはまるからだ。実は、英国案にはサステナブルファイナンスの大枠の下に、具体的な作業を担当するSC候補として、責任投資、サステナブル投資などの他、中国提案と同じ「グリーンファイナンス」が、さりげなく入っているのだ。

 

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 ただ、採択された英国案も、順調に船出できるかは微妙だ。特に「サステナビリティ」 はすべてのTCに絡むテーマだけに、これまでISOでは、サステナビリティにフォーカスした規格は作らない、というのが各国での合意だったという。グリーンファイナンス分野の各WGとの調整どころか、広範囲な領域との調整が必要になる可能性もあるのだ。英国案が新たなTCを安定的に操縦していけるかどうかは、 TC207サイドだけでなく、もう1つのTC68サイドの理解と協力が欠かせない。そのTC68の主導権を持つのは米国である。

 

  欧州を“出し抜いた”米国

 

 まさにその米国がどう動くかが、 もう1つの焦点だ。先行するグリーンボンドの規格化作業の14030は、 米国がWGの議長国として推進している。しかし、14030は最初から米欧間の火花がチラついている。

 

 欧州は先に指摘したように、 HLEGを踏まえて、グリーンボンド も欧州共通の基準化を目指してい る。通常、欧州はEU案をベースに ISO化のステップを経る。今回もそうしたシナリオだった可能性があ る。ところが、昨年半ばに、米国は突如、グリーンボンドのISO化を自ら提案、欧州勢を身構えさせた。

 

 日本では、グリーンボンドを含むサステナブルファイナンスの市場づくりは欧州が中心のように伝えられ る。だが、グリーンボンドを昨年のグローバル市場でもっとも多く発行したのは米国勢。次いで中国の順だ。さらに米国債券市場は世界最大で、グローバルな金融資本市場の中心に位置する。したがって、 米国のISO関係者が、成長著しいグリ ーンボンドの規格化は自らの仕事、 と考えたとしても不思議ではない。

 

 米国主導によるこれまでのグリーンボンド規格化作業では、欧州勢が重視する市場基準のGBP(グリーンボンド原則)と、英国の非営利団体Climate Bonds Initiative (CBI)の独自クライテリア等を「丸飲み」する形でのドラフト作りが進んでいる。EUが準拠するフレームワークを取り込むことで、欧州勢の 反発を回避する狙いかもしれない。

 

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 では、米国案がこのままスムーズに着地できるかとなると、その見通しも定かではない。

 

 不透明感が漂う理由の1つは、やはり欧州の反発だ。EUの欧州委員会は現在、グリーンボンドについては、サステナブルファイナンス関連 の法的枠組みに組み込む方針だ。仮 にグリーンボンド法制ができると、 少なくともEU市場では、民間基準であるISOを超える存在になる。 グリーンボンドのフレームワークが 法律になじむかどうかの議論はある が、現在の欧州委員会が目指す方向はそうなっている。

 

 もう1つのポイントは、中国のグリーンファイナンス案との整合性だ。中国案は環境金融の関連事業の評価プロセスを標準化するという。 中でも最大の柱は、再生可能エネルギーや省エネ事業などのグリーンプロジェクトで、この点でグリーンボ ンドの資金使途先のプロジェクトと100%重なる。

 

 すでに委員会(SC)レベルの協議に移行した14030の現時点の規格案は3つのパートに分かれる。このうち、パート2は、ボンドの資金使途先のグリーンプロジェクトを列挙する。いわゆる「Taxonomy(対象事業の分類化)」の標準化を目指している。一方の中国案も、グリーン事業のTaxonomyが最大のポイントとみられる。この点での米中調整が課題だ。

 

 英国の狙いと課題

 

 Taxonomyを巡る米中調整は、 米中貿易摩擦にも似た難しさがありそうだ。14030の作業で先行する再エネ事業などのTaxonomyを中 国が新規格化作業で借用する形をとるのか、あるいは別途、中国は再エ ネを含めて環境金融事業全体の Taxonomyを独自開発し、逆に米国案を吸収しようとするのか。中国の本心は今のところ読めない。

 

 米中調整を図ろうにも実は、中国は14097と14030の両専門委のどちらにも、一人の専門家も派遣していない。国際舞台での顕示力を意識する中国にとって、こうした対応は極めて珍しい。よほど独自案に拘っているとの見方もできる。

 

 「中国の姿」が見えにくい一方で、 GFSGなどで英中連携をとる英国は、先に見たように、自らの提案の中に中国案の「着地点」を用意するとともに、米国にもある種の呼びかけをしている。英国案の規格化作業への関係機関の参加を求める中で、 あえて英米中の規格機関の3者だけを名指しし、「3者の関与は、関連する活動を前進させ、効果的な協力関係を高める」と強調したのだ。


 英国の戦略は米中を取り込み、自前のサステナブルファイナンス規格を整備することで、Brexit後に備える「守り」の策にとどまらず、サステナブルファイナンス市場での主役の座を獲得することに照準を定めているのかもしれない。

 

 しかし、その英国案もいくつもの課題を抱える。前述したように、 ISO全体のフレームワークの中でサステナビリティの位置づけを明確にできるのか、という点が現実的には最大のハードルに思える。英国が提案に際して示したように、英米中の協力関係が実現すれば、ハードルは低くなる。だが、ある米国関係者は「英国が提案するのは彼らの自由。だが、英米中の規格団体が協調する状況にはない」と指摘、英国と距離を置く。

 

 新TCが動き出した後も、成果を上げるのは簡単ではな い。サステナビリティ分野として、 グリーンだけでなく、社会もガバナンスも取り込むとなると、関係するステークホルダーも幅広くなる。またEとSとGの金融的評価の手法はそれぞれ異なる。このため、標準化になじむ部分となじみにくい部分が混在している。

 

 多様なステークホルダーによる、 かつてのISO26000(CSRガイダ ンス)のような大作業になる可能性がある。ただ、そうなると、議論だけが「持続可能」で、着地点がなかなか見いだせない懸念も出てきそうだ。

 

 では、こうした構図の中で、日本はどのようなスタンスをとればいいのか。グリーン&サステナブルファイナンスをめぐる攻防は、明らかにグローバルスタンダードの主導権争いである。日本が従来のように「出来上がってから身を合わせる」という受け身の対応を重ねていると、市場が盛り上がった際に見渡すと、市場の隅っこに追いやられていた、という事態も予想される。

 

 すでに、従来は日本企業の拠り所とされてきたアジア圏は、グリーンファイナンスにおいて、中国の影響を色濃く受けていることを見逃せない。EU離脱の英国も、EU主流の仏独も、さらに貿易交渉で対立する米国ですら、グリーン&サステナブルファイナンス市場の争奪戦では中国市場を最重視しているとされる。日本だけが、グリーン&サステナブルファイナンスの本来の意味もよくわからず、立ち尽くしているような気がするのは、筆者だけだろうか。

 

※本稿は2018年9月号の「日経ESG」に寄稿した原稿を、一部修正を加えて転載したものです。文中での意見は筆者の個人的見解です。


藤井 良広 (ふじい・よしひろ) 日本経済新聞元編集委員、上智大学地球環境学研究科客員教授。一般社団法人環境金融研究機構代表理事。ISO14030、14097両ワーキンググループ専門委員。神戸市出身。