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「2020年からの警鐘」から、「2020年への警鐘」へ(藤井良広)

2020-01-04 15:41:04

2020kei1キャプチャ

 

 2020年がついに始まった。「ついに」というのは、実は23年前に、2020年に熱い思いをはせたことがあるためだ。1997年元旦付から日本経済新聞の朝刊一面で「2020年からの警鐘」という企画を本紙一面で連載、同紙編集委員として、その取材チームに加わった。

 

 当時の日本経済・社会は、1990年代初めのバブル崩壊後、不良債権問題が日本経済全体に重しとなってのしかかっているにもかかわらず、官民とも問題先送りの風潮が蔓延していた。そうした閉塞状況への危機感から、前年の11月に発足した第二次橋本龍太郎政権は、行政改革、金融改革等6大改革を掲げて、産業界、国民に改革の決意を求めた。

 

 「今、改革に手をつけないと、2020年には日本は世界から取り残されてしまう」。危機感を共有し、焦燥感を象徴したのが、元旦付の「第一章・日本が消える」の第一回の記事に添付した写真だった。「東京には死相が漂う」として、無縁墓が急増している東京・谷中の墓地の写真を載せた。

 

積み上げられた無縁墓石の山
積み上げられた無縁墓石の山

 

 同居しない親子。子どもを欲しがらない夫婦。崩れゆく家の風景の象徴として、「揺りかごから墓場まで寂しく暮らす日本人の暗示」だった。読者からは「正月早々、縁起でもない」等の非難が殺到した。

 

 同シリーズは、以下、第二章「たそがれの同族国家」、第三章「疾走する資本主義」、第四章「漂流する思想」、第五章「『教育』が見えない」、第六章「『技術立国』の幻」、第七章「未来への創業」、第八章「『終わり』からの出発」へと展開する長期連載となった。

 

 日本が戦後築き上げたキャッチアップ型の経済・社会システムが随所で制度疲労を起こしている中で、「次」の備えがないことへの強い危機感が根っこにあった。

 

 読み返してみると、その8年前に導入された消費税は、改革を実行しないと、2020年には12%にあがる(現状は10%)と推計した点などで、意外に当たっている面がある。半面、「失業率13%(2019年11月2.2%)」「累積財政赤字2200兆円(2019年度1100兆円)」と、過大推計も混在している。記事の詳細は日経から本として出版されているので、そちらを参照していただきたい。

 

 ここで明かしたいのは、同企画の基本的視点が、シナリオ分析だったという点だ。当時、エネルギー大手のシェルが示していた「2020年までの長期経済予測シナリオ」を下敷きにして、日本経済社会の将来のシナリオを探ってみたというのが原点だった。その発想を提案してくれたのは、当時の日本電気会長の故関本忠弘氏だった。

 

故関本忠弘氏
故関本忠弘氏

 

 異才の財界人、関本氏は、米欧企業とのし烈な競争を展開する中で、足元の日本経済社会の「変わらなさ」に強い危機感を抱いていた。「このままでは、2020年の日本は無いぞ」と。筆者は、同氏への再三の取材で、危機感を共有した結果、正月企画として日経が取り組むべきテーマだと提案。自らも取材チームに参加したというのが経緯だ。

 

 今、シナリオ分析、というと、気候リスク対応を求めるTCFD提案のシナリオ分析が内外で焦点になっている。日経の連載企画は「23年前に日本経済社会全体を対象としてシナリオ分析に取り組んだ」わけだ。

 

 TCFDシナリオは、1.5℃あるいは2.0℃等の気温上昇の複数の将来シナリオに対して、どう企業が、どう政策が、変動し、対応できるのか、という視点で、その影響度の推測を求めるものだ。これに対して、「警鐘チーム」は、課題を抱えた現状を改革せずに延長した場合にどうなるかという、単純な積み上げ型だった。

 

 TCFDのシナリオ分析では、複数のシナリオに企業が対応できるかという、「ストレステスト」が求められる。しかし、1997年の日本は、ストレステストどころではなかった。企画掲載の同年11月に連続して起きた三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券の経営破綻で、「現実の危機」が眼前に相次いで現れたためだ。当初の改革の視点も吹き飛び、官民とも、いかにこれ以上の危機の連鎖を抑えるか、という対処療法に奔走せざるを得なかった。

 

 もう一点、同企画を今、読み返して不思議な気持ちになるのが、「地球温暖化問題」の捉え方だ。連載記事のところどころで、問題意識として「高齢化や地球温暖化問題」といった表現がある。だが、全部で八章に及ぶ膨大なシリーズの中で、地球温暖化問題を正面から取り上げた記事が一回もないのである。

 

京都で開いたCOP3。当時の橋本首相のビデオメッセージが上映された
京都で開いたCOP3。当時の橋本首相のビデオメッセージが上映された

 

 1997年12月には、国連気候変動枠組み条約第3回締約国会議(COP3)が京都で開催された。その成果が京都議定書だ。企画をスタートする際には、COP3の開催は当然、決まっており、日本の役割の重要性も意識されていたはずだ。だが、当時の取材チームで、この問題をどう取り上げるかの議論をした記憶がない。おそらく、チームの問題意識が日本国内の改革課題に集中する中で、温暖化問題は「国際課題」として位置付けていた可能性がある。

 

 取材チームの温暖化に対する問題意識が乏しかったことは反省しなければならない。だが当時は、日本全体が温暖化問題を、「我がコト」として取り組む課題ではなく、国際的に決まっていくもの、と受け止めていた気もする。それは、COP3自体が、京都議定書を生み出した画期的な会議だったにもかかわらず、日本の政策当局者は、同議定書を契機として、気候変動での国際戦略を展開する方向には向かわず、むしろ同議定書を「強いられたもの」のように扱ってきた点からも感じ取れる。

 

 この点は、フランスが「パリ協定」を踏まえて、自らをグローバルな気候変動対策推進のリーダーとしてアピールし続けている姿とは対照的だ。結局、国内の「同族体制」にとって都合の悪いものは、日本が舞台を提供したとしても「見なかったことにしよう」という「内向きの思考」が支配してきたようだ。まさに第二章のテーマ「たそがれの同族国家」の一例だ。

 

 23年を経て、年が明けた2020年の日本。この間の気候変動進展の影響で、日本でも毎年のように自然災害の人的・物的被害が増大している。多くの国民が「これは、温暖化が進んでいるためか」と感じる中で、政策当局は、依然として、温室効果ガス排出量の大幅削減には、自らでは取り組まず、「薄っぺらな」環境・エネルギー政策を掲げたままだ。

 

ドイツ国民に気候変動対策の決意を語りかけるメルケル首相
ドイツ国民に気候変動対策の決意を語りかけるメルケル首相

 

 年初の本サイト(RIEF)で多くの読者からアクセスをいただいたのが、ドイツのメルケル首相が国民に向けた新年演説だった。「今、政治が(温暖化に)対応しないと、その影響を受けるのは、われわれの子どもたちや孫たちになる。ドイツが気候変動の制御に貢献できるよう、私は全エネルギーをかける」。歴史を見つめ、地球を見つめるこの政治家は、国民へ、次世代へ、明確な約束を示した。http://rief-jp.org/ct8/97732

 

 彼我の政治の格差を指摘するのは易しい。たとえば、昨年末、小泉進次郎環境相は、スウェーデンの16歳の環境活動家、グレタ・ツゥーンベリさんを念頭に置いてこう語った。

 

 「日本の若者は、(グレタさんのように)大人を糾弾するのではなくて、全世代を巻き込むようなアプローチを取るべきだ」。グレタさんが「温暖化抑制に動かない大人」を厳しい口調で、再三、批判したことへの反論の形だ。だが、この小泉節は、グレタさんの行動を誤解した「残念な」反論と言わざるを得ない。

 

 グレタさんが最初に行動を起こしたのは、スウェーデンの議会の前での、たった一人での座り込みだった。政策を担う政治家に動いてほしいとの呼び掛けだった。毎週金曜に実践してきた、この「温暖化対策を求める登校拒否(School Strike)」行動は、本来は学校で学んでいるはずの若者が、自分たちの未来への危惧から、School Strikeをしなくてはならない思いを訴えるものだった。

 

 「全世代を巻き込むようなアプローチ」を取るのは、本来、政治家の役割であり、16歳の子どもの役割ではないはずだ。しかし、「動かない政治家」を前にして、彼女は自らの「子ども」としての役割を一部放棄して、ストライキに出た。そして、数百万の子どもたち、若者たちが、その思いに賛同した。小泉氏は、グレタさんの行動の意味を表面的にしか捉えないまま、本来、政治家として自らが担うべき「全世代アプローチ」を、自らは実行せず、若者たちに提案しているわけだ。

 

大人の本来の役割を問うグレタさん
大人の本来の役割を問うグレタさん

 

 しかし、わが国の問題は小泉氏の「思慮の浅さ」だけではない。この23年間で、「たそがれの同族政治家」たちが跋扈し、いつの間にか、国民や次世代よりも、自らの利権を最優先する「打算国家」に変容させてしまった気がする。誰もが政治資金規制法違反と思うような不可思議な行為に対して、法治さえもが「漂流」しているように映るのは、その象徴にみえる。

 

 TCFDの提言への対応も日本は「異質」だ。欧州を中心に主要先進国は、CO2排出量の多い企業、それらの企業に投融資する金融機関に向けて、気候リスクの情報開示の義務化、ストレステストを準備し、2020年中にもそうした取り組みを実践する構えを示している。これに対して、日本では気候リスクとその他の情報開示をごちゃまぜにした「TCFDコンソーシアム」なる運動が、経済産業省主導で生み出されている。

 

 まるで気候リスクを他の情報で薄める狙いのようでもある。しかし、グローバル経済化が進む中で、そうした「日本版の情報開示」ではグローバル投資家は納得しない。「同族」の居心地の良さは、とっくに消え去っているのに、いまだに、その影を追い求める官僚のいびつな戦略に、仕方なく乗っかっている産業界・財界。その姿は、まさに1997年に、取材チームが「警鐘」を鳴らした時と、ほとんど変わっていない気がする。残念なことに、第二の関本氏の姿も見えない。

 

「2020年からの警鐘」は、今まさに、「2020年への警鐘」となって国民の肩にのしかかっている。さて、「われわれ国民」はどうするのか――。

 

 藤井 良広 (ふじい・よしひろ) 日本経済新聞元編集委員、上智大学地球環境学研究科客員教授。一般社団法人環境金融研究機構代表理事。神戸市出身。