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出版:「日本における原子力発電のあゆみとフクシマ」(原発史研究会編、晃洋書房)

2018-05-13 22:41:58

kanamoriキャプチャ

 

  東京電力福島第一原発事故を端緒として、日本の原発をめぐる「歴史通観的・総合的な記述」を目指した意欲的な出版物である・著者らは、立命館大学の研究者を中心に構成され、「総合化」を図るため、社会思想史、政策史、技術史、経営史、組織論、会計学のそれぞれの専門家が共同執筆した。

 

 わが国は、第二次大戦終盤に、2度も原爆を浴び、多くの犠牲を出した。その災厄の中から、なぜ原子力の「善用」への社会的期待が生まれたのか。第1章は、福島事故後に、多くの国民の脳裏に漠然と浮かんだであろう、こうした疑問を歴史的に整理している。被爆体験と原発開発が両立してきたこの国の精神構造への「なぜ」が浮き上がる。

 

 第2章では、原子力開発の体制整備が、アメリカの核戦略との関係で進められてきたことを、その軸に据えられた原子力基本法の制定と変転を通じて解き明かしている。第3章は、原発の経済性と安全性の関連を、米国の原子力技術の展開、原発ビジネスの発展を通じて整理している。そこでは常に、経済性を優先する視点が貫かれ、シビアアクシデントへの軽視という構造が示される。

 

 第4章では東電の原発経営を3つの時期に区分して分析している。特に、政府による電気事業経営への関与を排して、経営の自立性を確保することを目指してきた歴代の東電経営者が、原発を軸とした「電力ベストミックス」体制を築き上げた経緯と、その誤りを指摘している。

 

 第5章では緊急事故時の組織のマネジメントシステム、リーダシップ等のあり方を検証している。東電は、リスクの高い原発を経営の軸に据えながら、安全性を担保する厳格な組織レジリエンスを備えるには至らず、危機顕在化時のハザードマネジメントも不十分というお粗末な体制だった。

 

 第6章は、安全性に対する会計的対応も不十分で、希望的観測に沿った対応でしかなかったかを分析している。膨大な損害賠償費用を実質的に国民の税金に頼っている現在の構造の背景に、会計を「とりあえず」の数字と「想定コスト」で計算し、実態とかけ離れたつじつま合わせが続いてきたことを指摘している。

 

 執筆者たちの的確な分析を読むうちに、約40年も前に世に出た山本七平氏の有名な「空気の研究」が頭をよぎった。「その場の空気」が絶対的な権威にすり替わってしまう日本社会の精神構造が、今も変わらずにあるということだろうか。あるいは、単純に、日本の民主主義が未熟なままであるためか。または、政策立案者や経営者の多くが合理的な判断力を欠いている、というだけのことなのか。本書の執筆者たちには、その謎を解く「さらなる総合的記述」を期待したい。

 

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第1章「原子力の社会的利用推進論の20世紀前半における歴史的展開」(佐野正博:明治大学経営学部教授)

第2章「アメリカの核戦略の下でたどった草創期の日本の原子力開発政策」(兵藤友博:立命館大学経営学部教授)

第3章「原子力技術の形成にみる経済性と安全性」(山崎文徳:立命館大学経営学部准教授)

第4章「原発事故につながった東電の経営の歴史的な経緯」(中瀬哲史:大阪市立大学経営学研究科・商学部教授)

第5章「緊急事態への組織の対応」(小久保みどり:立命館大学経営学部教授)

第6章「会計情報からみる福島第一原発事故への道」(金森絵里:立命館大学経営学部教授)

http://www.koyoshobo.co.jp/book/b355343.html

 

                   (藤井良広)

 

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