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元JETの英教師、イギリスから来日、被災地支援で奮闘(Kyodo)

2011-05-04 15:14:43

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By WILLIAM HOLLINGWORTH: Kyodo:  LONDON: 3月11日の東日本大震災以降、多くの外国人が東北地域から去る一方で、被災地の支援の為に、ロンドンから現地に向かったイギリス人がいる。岩手県宮古市と山田町に向かったイギリス人のLuke Dunさん(28)である。

彼は2005年から07年にかけて、日本政府のJETプログラム(the Japan Exchange and Teaching program)に参加して、岩手県宮古市で英語の教師として働いた経験を持つ。奥さんのユキさんは宮古市出身だ。

彼は日本で大震災が起きたことを知った時、ロンドンにいた。「第二の故郷」として愛する宮古の状況を傍観していることができず、宮古に住む友人や元同僚、家族を助ける為に、「役に立ちたい」という思いでロンドンから9,300km離れた土地に向かった。

途中、飛行機の座席が半分空席という状況や、日本人以外の乗客が自分を含め3人だけという状況を目の当たりにしながらも、日本に着くや、先に戻っていた奥さんと合流すると、物資の配送や片付けの手助けを行った。

Dunさんが被災地に向かっていたちょうどその時、多くの外国人が本国からの避難勧告に従い、彼とは反対の方向に向かい、日本を離れて行った。彼が宮古市と山田町に滞在している間も、外国人を見かけることはなかった。

多くの外国人が恐怖した原発事故について、彼はその脅威をいささか懐疑的に見ている。「助けに必要なものは大きな衝動だ。恐れて去る人々を非難することはできないが、(自分の場合、日本に)行かないという選択肢は無かった」と述べている。

彼は続けて言う。「日本でも、何もせず、助けることもしない人々の数に驚いている。一握りの人々が私と一緒に東北地方で働き、今東京に住んでいる人々は何もしない。多くの人々がものぐさで、原発の状況を恐れている。多くの人々が東京で生活をしていながら、東北とのつながりが無くなったときに、そのままでいられるのか疑わしい」

彼と奥さんは数週間にわたって、被災地の人々が、震災と津波で壊された元の生活に戻れるよう復旧を支援する作業を手伝った。避難後の生活に必要な大切な物資の配送や、破壊された店や家屋の片づけを行った。彼が宮古や山田を助ける為に、イギリスから来たということを知った被災地の人々は、口々に感謝の言葉を述べたと言う。

彼は被災地で体験した人々の反応を次のように指摘した。「人々の反応が本当によかった。救済物資を受け取った人は自分ではとらずに、次の人に渡し、また物資を受け取ると次の人に渡すという風だった。そして私のもとに来て『ありがとう、ありがとう』と口にした。どの被災地でも共通の反応で、正直、感動した」

 帰国前日に東京に滞在した際、外国人が日本にいることを不思議に思ったビジネスマンのカップルと出会った。彼が日本での活動について説明すると、そのカップルは「ありがとう」と口にした。その言葉に接して彼は、「とても謙虚で、心のこもった『ありがとう』で、私はうれしかった。彼らは日本を助けに来た人間を本当に感謝してくれた」と振り返った。

 彼は、宮古の店の片づけの大変さと、津波でわずかな持ち物しか残らなかった年老いた店主への思いを、今も強く心に残っている。いったんロンドンに帰ったが、できれば、再び宮古に戻って、岩手が「貧困」と「忘却」から復興することを助けたいと望んでいる。

「私は宮古に戻りたい。宮古は復興の願いの為に、多くのエネルギーと人々を必要としている。多くの店が老人によって経営されている。若い人は去ってしまっている。我々は、あらゆる方法で復興を手助けしたい。カフェやその他、立ち直るきっかけを与えるビジネスを地元で行えればいいと思う」