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説明責任を回避する日本企業―問題はオリンパスだけか(WSJ)

2011-10-28 18:08:56

菊川剛前会長兼社長
26日に菊川剛会長を退任に追い込んだオリンパス疑惑だが、その最も際立った特徴は、同社が外国人を社長にしていなければ、まずスキャンダルにはならなかったということである。同社に30年在籍したベテラン、マイケル・ウッドフォード元社長は、合わせて約13億ドルにのぼる買収企業の減損

菊川剛前会長兼社長


処理とファイナンシャル・アドバイザー(FA)への報酬を疑問視し始めた後、10月14日に解任された。同社によると、「(他の経営陣との間で)経営の方向性・手法に大きなかい離が生じた」という。

真実は決して語られなかった。おそらく、オリンパス内部で起きたことの詳細は、永久にはっきりしないままだろう。明らかなのは、現時点で、真相究明を望む向き――オリンパス経営陣、日本の規制当局、政治家、主要メディアを含め――があまりにも少ないということだ。調査報道を手掛ける「FACTA(ファクタ)」という小さな雑誌だけがこの問題を取り上げ、オリンパス社内では、ウッドフォード氏だけが声を上げずにいられなかった。そして世界的に報じられてわずか10日後に菊川氏は辞任した。

 

どういうわけか日本企業のガバナンスは常に改革の入り口で足踏み状態にある。スキャンダルで改革への取り組みが進んでも、結局、企業幹部が説明責任を逃れるための新たな方法を見つける、ということが何度あったか知れない。たとえば、オリンパスの取締役会には3人の社外取締役がいるが、彼らは企業についての専門性に欠けており、その役割が疑問視される。

 1980年代、日本が世界中で資産買収を行っていた頃、経営陣が説明責任を逃れることは、企業の長期戦略が可能になり、社会の調和も促すため、日本経済の強みのひとつとみなされていた。しかし実際、企業幹部は、安価な銀行融資を使って利益ではなく市場シェアを追求し、損益ではなく企業のつながりに基づいて経営判断を行った。

 その結果が、過去20年の日本株の惨憺たるパフォーマンスだ。日経平均は今年、17%下落し、平均的な企業の純資産倍率は0.9倍となっている。

 日本が変革に後ろ向きだという証拠は、ライブドアの堀江貴文・元社長と村上ファンドの村上世彰・元代表が逮捕・起訴された2000年代半ばに示された。2人は証券取引法違反の罪に問われたが、真の罪は、企業に敵対的買収を仕掛けることで市場を撹乱したことだった。能力に欠ける経営者を排除する「米国式」資本主義は、明らかに日本では受け入れられなかった。

 日本が古いスタイルに戻りつつある他の兆しは、関係企業間での持ち合いの復活と、高水準のキャッシュを保有しているにも関わらず配当が低いことにもみてとれる。企業が6月のわずか数日間に株主総会を開催し続けるのは、不適切な質問を控えることで金品を要求する総会屋の対策が名目だ。しかし、そもそも、なぜ経営者が困難な質問に戦々恐々とするのかということが問題だ。

 コーポレート・ガバナンスの最大の問題といえば、東京電力だ。福島原発の安全基準の低さとそれに起因する大惨事は、切り離して扱われることがある。しかし、2002年、同原発の内部告発者は、紛れもない過失を明らかにした。会社側は改革を約束し、表面上の変更を多く行った。しかし、6月にニコラス・ベネシュ氏が本紙への寄稿で指摘しているように、日本には、経営者に説明責任を持たせる規制の枠組みと文化が欠けている。

 オリンパスは時価総額の半分を失った。何が起きたかについてわずかでも真実を明らかにし、それが一般に示されるべきである。しかし、それに持続的な影響力は期待できない。これほど派手な失敗でも、日本のエリートが結束して隠ぺいする企業セクターの慢性的な経営ミスに比べれば重要性は低い。おそらく、産業界や官公庁、議会でトップを占める人間は、この制度に満足しきっているのだ。共同体主義と謳われるが、実は個人の利益に資するこの制度に。

http://jp.wsj.com/Opinions/Columns/node_332454/?nid=NLM20111028