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サリドマイド薬害の独メーカーが50年後の謝罪 被害者は不満表明(CNN)

2012-09-02 16:57:33

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(CNN) 1950~60年代に妊婦のつわり止めなどとして販売された医薬品「サリドマイド」による薬害について、メーカーの独企業グリュネンタールが8月31日、初の謝罪声明を出した。これに対して被害者団体の代表者は9月1日、十分でないとの立場を示した。

同社のハラルト・ストック最高経営責任者(CEO)は、本社のある独シュトルベルクで開いた被害者の追悼式典で「サリドマイドを原因とする被害に心から遺憾の意を表す」と述べ、被害者や母親ら家族の「心身の苦しみ」に言及。謝罪表明が50年近く遅れたことについても反省の姿勢を示し、沈黙は衝撃の表れだったと述べた。

ストック氏はまた、同社は当時、科学的知識と業界基準に基づいて新薬の試験を実施したものの、残念ながら副作用の可能性を検知することができなかったと説明した。

一方、被害者団体サリドマイドUKのフレディー・アストベリー代表は「謝罪を歓迎する」としたうえで、これまでに長い年月を要したことを改めて指摘。同社は謝罪するだけでなく、被害者に十分な補償を提供すべきだと主張した。

英国で70年代に設立された被害者支援団体サリドマイド・トラストによると、サリドマイドを服用した母親から生まれた子どもの一部には腕や脚の欠損のほか、心臓や聴力、視力、脳などの障害が現れた。

店頭販売されたドイツをはじめ世界各地で生まれた1万人以上の子どもたちのうち、7500人は幼いうちに亡くなり、現在生存している被害者は5000~6000人とみられる。

http://www.cnn.co.jp/world/35021221.html?tag=top;topStories

 

(日本でのサリドマイド事件の経緯:薬害資料館のサイトから転載)

日本国内のサリドマイドは、大日本製薬株式会社(現・大日本住友製薬株式会社)が独自の製法を用いて合成を行い、1958年から販売を開始していた。1958年1月20日に「イソミン」の名称で販売を開始、1959年8月22日には胃腸薬「プロバンM」に配合して市販した。
 東京の都立築地産院では1959年から1961年までに3例のフォコメリア児の出産が報告されるなど、全国で被害が生じたが、大日本製薬は当時西ドイツに研究員を派遣するなどして情報を入手していたにもかかわらずこれを無視し販売を続けた。また厚生省も1962年2月に亜細亜製薬のサリドマイド剤「パングル」を認可するなど、世界の大勢を全く無視し続けた。

 1962年5月17日に大日本製薬がイソミンとプロバンMの出荷停止を、24日にはサリドマイド剤メーカー5社がそれぞれの製品の出荷停止を厚生省に申し入れた。その9月13日にようやく大日本製薬などが販売停止・回収に踏み切った(しかしその後も回収されないサリドマイド剤が市中で販売されていた)。厚生省は翌14日、サリドマイドの被害調査を東大・森山教授に依頼した。

 被害者は、1962年年末までに広島・京都などでイソミンの販売と製造許可に対し法務局に人権侵害で訴えたが、翌5月13日、法務省人権擁護局は「侵害の事実なし」と結論。1963年6月28日に大日本製薬を被告として最初の損害賠償請求が名古屋地裁に提訴された。

1974年10月13日、全国サリドマイド訴訟統一原告団と国及び大日本製薬との間で和解の確認書を調印、続いて26日には東京地裁で和解が成立した。以後、11月12日までの間に、全国8地裁で順次和解が成立した。http://www.mi-net.org/yakugai/dacases/thalidomaid/thalidomaidmain.html