HOME |「井戸を掘った」パナソニックが反日暴動に襲撃された理由(FGW) |

「井戸を掘った」パナソニックが反日暴動に襲撃された理由(FGW)

2012-09-19 22:27:16

中国にある「水を飲むとき、井戸・・・」の石碑。この地を訪問する人々はみな水を飲む。
日本政府による尖閣諸島の国有化決定を機に燃え上がった中国の反日抗議と暴動。反日の象徴となったのが、パナソニックの山東省と江蘇省の両工場への暴徒の襲撃だろう。1978年に鄧小平氏がパナソニック(当時は松下電器産業)に「中国の近代化を手伝ってくれないか」と要請、同社が中国での家電生産の“井戸掘り”に乗り出した経緯があるからだ。だが、日本で考えられている「井戸掘り論」は、今の中国人にはほとんど通じないことを、理解しなければならない。

中国にある「水を飲むとき、井戸・・・」の石碑。この地を訪問する人々はみな水を飲む。




 パナソニックが中国進出を決断した経緯は、FGWの情報(http://financegreenwatch.org/jp/?p=18119)で報じられている。中国の現在の近代化路線を決定づけた鄧小平氏が、来日して大阪の松下電器茨木工場を見学した際、同社の相談役、松下幸之助翁に、中国での工場建設を要請、幸之助翁が快諾したとされる。「水を飲むとき、井戸を掘った人を忘れない」という中国の諺を表す代表例の一つとして、ことあるごとに紹介されてきたエピソードである。

 確かに、当時、多くの日本企業が中国への本格的な工場進出を思案している最中、松下が戦後、日本企業として初めて中国工場建設を決定したのは、その後の日本企業および米欧外資の中国進出の流れを築いたといえる。したがって、今日の中国経済の隆盛(水)は、パナソニック(井戸掘り)の決断がなかったら、もっと遅れていた可能性もある。なのに、その象徴的な工場を、暴徒が略奪し、中国当局も制止できなかった(いや、しなかった?)。

 日本側からは、「井戸を掘った人」の歴史が風化した、との嘆きが湧き上がっている。だが、中国側に聞けば、おそらく明確な回答が戻ってくるだろう。中国人が「井戸掘りの恩人」を忘れたのではない、今回の出来事は、井戸掘り論の説明では、終わらないと。

 <毛沢東の解放戦争の逸話から生まれた諺>

諺の経緯を理解する必要がある。エピソードは意外と新しい。中国の瑞金郊外にある沙洲坝という小さな村が舞台。第二次大戦後の中国の解放戦争の内乱期に、革命軍を率いていた毛沢東主席は一時、その村に滞在した。ところが、村に井戸がなかった。村人たちは遠い水場まで行って、水を汲み上げ、人力で天秤を担いで運んで来なければならなかった。

 その様子を知った毛沢東は、兵士と村人を指導して井戸を掘ったのである。中華人民共和国成立後、沙洲坝の村人たちは、井戸の傍らに一つの石碑を建てた。そこに刻まれたのが、「水を飲むとき井戸を掘った人を忘れない、いつも毛主席を懐かしむ」の言葉だった。

  つまり、「井戸掘り」は「毛主席を懐かしむ」とセットなのだ。解放戦争に勝利した毛主席の栄誉をたたえる逸話なのである。単に井戸を掘るだけでなく、中国の国家建設とつながる努力であり、成果であり、決断をたたえているのである。パナソニックの決断を受けて、当時の中国政府は、国家建設強化のために外資導入を積極的に推進した。その意味で、パナソニックは「井戸を掘った」。だが、国家の建設は当時の中国政府が、多くの交渉や決断の中で築き上げていったものである。

 日本でも有名なこの諺の力点が、実は後者の国家建設に置かれていると読めば、今回のように尖閣を巡る国家紛争が表面化した際、「井戸掘り」だけのパナソニックは、反日襲撃の枠外に置かれるほどの優遇を受ける対象ではないとして、放置されたことになる。国家対立や戦争勃発では、民間企業も、民間人も等しく犠牲になり得るのは、多くの歴史が証明する出来事である。

 <領土観の違いを軽視するな>

われわれは、日本政府による尖閣国有化を受けて、中国側が解放戦争と同レベルの国家紛争意識を駆り立てられ、結果的に反日抗議行動を是認したことを忘れてはならない。日本側は、もともと日本の領土の所有権を、民間から国に移しただけ、と考える。だが、中国側は「自分たちの領土を今までは日本人が勝手に所有していると言い張っていたが、急に日本政府が所有権を主張した」と受け止めたわけだ。つまり、自分たちの国家(の一部)が日本国家に占有されたーー。

 パナソニックの「井戸掘り」論を、中国側が忘れたわけではないのは、2008年に胡錦濤国家主席が来日して同社を訪問した際、出迎えた松下正治氏(当時名誉会長)に、井戸掘りの故事に感謝の言葉を伝えたことからも明らかである。「井戸掘りは忘れていない。だが今回は国家の問題だ」ということだろう。

 中国の反日行動と、中国政府の容認姿勢を、このように読めば、問題への対処は、お互いの非難の応酬では何も生み出さない。「井戸掘り論」「恩知らず論」を超え、正面からの外交交渉に場を移す必要がある。そこでは、対立点を一つずつ明らかにするともに、一致点を積み上げていくような、実務的で実践的な作業を、早急に行うべきだ。法律・歴史的観点だけでなく、両国の実務上の可能性、将来を見据えての友好・協力関係等、それこそ日中関係を総ざらいする視点が求められる。

 国家間の対立を、民間交流、民間ビジネスレベルと切り離すことで、改めて、中国の人々は、「井戸掘り」をしたパナソニックへの尊敬の念を、自由に表明できるようになるだろう。(FGW)