HOME |「事実軽視しないで 」。関東大震災の中国人虐殺遺族18人が来日し追悼(神奈川新聞) |

「事実軽視しないで 」。関東大震災の中国人虐殺遺族18人が来日し追悼(神奈川新聞)

2014-09-07 21:10:28

紙銭に火をつけて虐殺された先祖を弔う中国人遺族ら=東京都江東区の横網町公園
紙銭に火をつけて虐殺された先祖を弔う中国人遺族ら=東京都江東区の横網町公園
紙銭に火をつけて虐殺された先祖を弔う中国人遺族ら=東京都江東区の横網町公園


関東大震災直後の被災地で日本人らに虐殺された中国人の遺族18人が来日し、6日、東京都墨田区の横網町公園で先祖を悼む儀式を行った。

遺族らは大震災の死者を追悼するために中国仏教徒が寄贈した公園内の「幽冥鐘」前で、中国式に紙銭をたき、先人を弔った。1924年、当時の日本政府は虐殺を認めたが、現在、事実を知る日本人は少ない。遺族からは「両国友好のためにも、この事をないがしろにしないでほしい」との声が上がった。

 

遺族は、虐殺の事実を伝える活動を続けている市民団体「関東大震災中国人受難者を追悼する会」(江東区)などが招いた。昨年9月に続き、2度目の来日。

 

鐘の前には被害者の慰霊碑の写真が置かれ、果物や中国酒が供えられた。遺族らは線香を手向けるとともに、紙銭をたいて深々と先祖におじぎした。

 

中国人の虐殺が行われたのは23年9月2日ごろから。3日昼ごろには大島町(現東京都江東区)で日本人によって数百人が殺され、同じころ横浜でも事件が発生した。地理的に日本と近い温州から来日した労働者や、横浜の居留地に暮らしていた華僑の職人たちが命を絶たれた。大島町の場合、中国人労働者らに仕事を奪われたという日本人の被害者意識が震災をきっかけに吹き出した、という説もある。

 

悲劇については、生き延びて故郷に送還された中国人労働者らによって知らされた。翌24年には当時の中華民国・温州知事や在日中国公使館が被害状況を調査し、日本の外務省に伝達。これを受けて日本政府は虐殺を認め、賠償する方針を決めた。だが、現在に至っても果たされていない。

 

来日した遺族の一人で温州に住む周江法さん(68)は、合法的な中国人労働者として大島町に暮らしていた祖父、瑞楷さんら一家4人を殺された。江法さんの父親、錫昌さんは当時3歳。祖父の死を知った祖母は翌年病没してしまい、錫昌さんはその後、苦労を重ねたという。

 

江法さんは「惨劇を日本人は知らないと聞いている。日本政府が隠蔽(いんぺい)を続けてきたのだろう。日本の民衆には何の罪もない」と話した。一方、日本政府がいまだ正式な謝罪や賠償をしていないことについて「公道(正義)を果たしてほしい。それは恨みを恨みで返そうということではない。惨劇が二度と起こらないようにするためだ」と訴えた。

 

遺族らは8日、安倍晋三首相宛てに歴史の事実を認めて謝罪することや、賠償の実行などを求める請願書を提出する予定だ。

 

http://www.kanaloco.jp/article/77273/cms_id/100195