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ローマ法王 地球温暖化等の環境問題は、人間の「罪悪」による。「生態系への債務」の支払いを提唱(RIEF)

2016-09-05 01:49:45

 

 カトリック教会のフランシスコ・ローマ法王は、地球温暖化の加速をはじめとする人間の活動が原因の環境問題を「人類の罪悪(sin)」と位置づけるメッセージを発っした。カトリック信者だけでなくすべての人に向けて、人間による「生態系への債務」を軽減するため、消費や生活行動の全体の見直しを呼びかけた。

 

 フランシスコ法王のメッセージは、「被造物を大切にする世界祈願日(Catholic church’s World Day of Prayer for the Care of Creation)」と定めた9月1日に公表された。法王は、気候変動が社会格差を増大させる側面を強調した。とりわけ、気候変動への関与がもっとも少ない貧者が、最も大きな影響を受け、難民問題にもつながっていると指摘、慈愛の精神に反すると警鐘を鳴らした。

 

  フランシスコ法王は、この祈願日を新たに設けた理由について、「カトリック信者や社会が、被造物の保護者としての各人の役割を再確認し、造物主の神に感謝する機会を得るため」と位置付けている。しかし、現実は環境汚染が地球を覆っている。「この機会を通じて、被造物を守るために神の力を借り、世界を汚染してしまった、われわれの罪を悔い改めねばならない」と、人間の罪の深さを強調した。

 

 こうした危機感の下に、法王は昨年6月に出した温暖化対策を求める「回勅」(Laidato Si’:http://rief-jp.org/ct8/52657)に言及し、「神はわれわれに豊かな庭(自然)を与えてくださった。にもかかわらず、われわれはこれを汚染し、破壊された不毛の土地に変えてしまった」と指摘した。そのうえで、「人類の無責任な行動によって多くの生物種が危機にされされているが、神は人間にそうした権利を与えていない」と人類のエゴイズムを厳しく批判した。

 

 法王はカトリック信者に「悔い改め」を呼びかけただけではない。他の宗教信者にも同様に、「地球の将来への関心」を共有することを求めている。その一例として、カトリックと長年対立してきた東方正教会のコンスタンディヌーポリ全地総主教のヴァルソロメオス1世総主教の活動と、その指摘を紹介している。

 

フランシス法王(㊧。右はヴァルソロメオス1世総主教
フランシス法王(㊧。右はヴァルソロメオス1世総主教

 

 同総主教は、長らく被造物を害する罪悪を警告し、環境問題の根源にモラル危機と精神的危機が併存すると指摘してきた。フランシスコ法王は同氏が提唱する「罪悪」を共有し、メッセージに盛り込んだ。

 

 いわく、人間は、神が作った生態系の多様性を破壊し、気候変動によって地球の尊厳(Integrity)を劣化させ、地球を覆う自然の森を剥ぎ取り、湿地帯を消失させ、水を汚染し、土地を、空気を、命を汚してきた。これらはすべて「罪悪」である。自然に対する罪であり、われわれ自身に対する罪であり、神への罪である、と。

 

 「神はわれわれに、大地(地球)を与えてくれた。バランスをとって、大地を尊敬する方法で耕し、維持するために。しかし、その大地を、過剰に耕して収奪し、過小にしか維持せず劣化させたことは、罪を犯したことになる」

 

 

 温暖化問題を引き起こした罪悪については具体的に言及している。「温暖化問題の結果として、干害、洪水、火災などの異常気象が多発している。こうした異常気象は悲惨な難民危機の一因となり、気候変動に対する責任が最も少ない貧困層こそが、もっとも大きな被害の影響を受けている」と、「罪悪」の大きさを強調した。

 

  新たな罪悪を悔い改め、人間による「生態系への債務(ecological debt)」を返済する具体的な方法としては、個人個人の生活の見直しを改めて求めている。見直すべきなのは、たとえば、生活に必要なレベルを上回って消費する無節操な生活、犠牲を顧みず利益だけを得ようとする思考、社会的排除への無関心、自然の破壊等だ。

 

   法王は、具体的な悔い改めの行動として、次のような行動を提唱した。プラスチックや紙の使用を避ける、水の消費を減らす、廃棄物の分別、必要なだけ調理する、他の生き物を大事にする、公共輸送機関の利用あるいは車の共同利用、植林、電気のスイッチをこまめに消す、など。

 

 いずれも特に目新しい提言ではなく、日々の積み上げである。しかし法王は、「これらの努力の成果は小さ過ぎて、社会の改善につながらないと思われがちだが、そんなことはない。『消費の強迫観念』からの解放を味わうべきだ」と強調している。

 

 さらに、経済、政治、社会、文化の各分野は、いずれも短期的な思考や即効的な金融的利益あるいは政治的利益によって支配されがち。だが、そうではなく、「持続可能性を追求するともに、被造物への配慮を含めて公共財としてみる方向に、緊急に転換する必要性がある」と訴えている。「コースを変える」ということだ。

 

 「生態系への債務(ecological debt)」の支払いに関して、貧困途上国の環境問題に配慮して、それらの国の持続可能な発展を促すとともに、気候変動の解決に伴う資金と技術を供給する形での債務の支払いが求められる、と指摘している。グリーンファイナンスである。

 

 われわれの「共通の家」である地球を保護することは、グローバルな政治的コンセンサスを必要とする、とも指摘している。そうした方向に沿った活動として、昨年9月の持続可能な開発目標(SDGs)や、同12月の温暖化対策のパリ協定を評価している。

 

 

 法王は「罪悪」を強調しながらも、「神はわれわれを見捨てない。神は造物という愛すべきプランを放棄はしないし、われわれ人間を創り出したことへの後悔もしていない。神は常に、われわれが新たな道を見出すことを見守っている」と。

 

http://w2.vatican.va/content/francesco/en/messages/pont-messages/2016/documents/papa-francesco_20160901_messaggio-giornata-cura-creato.html

http://press.vatican.va/content/salastampa/en/bollettino/pubblico/2016/09/01/160901a.html