HOME5. 政策関連 |国際的な水銀規制の「水俣条約」発効。だが、未認定患者問題は解決せず、現場での汚染水銀埋立地のリスクは続く。環境行政の「成果」なし(RIEF) |

国際的な水銀規制の「水俣条約」発効。だが、未認定患者問題は解決せず、現場での汚染水銀埋立地のリスクは続く。環境行政の「成果」なし(RIEF)

2017-08-18 01:16:12

minamata6キャプチャ

 

 水俣病のような水銀中毒事件を二度と起こさない決意を込めて国際的に成立した「水俣条約」が16日発効した。世界中で水銀規制が強化される。日本の産業公害の代表として国際的に知れ渡った水俣病だが、患者の未認定問題は続き、現地の熊本県水俣市では、水銀汚染ヘドロの大量埋め立て地のリスクが今も続く。日本の環境行政の存在意義が問われている。

 

 水俣条約の発効を受け、9月下旬にスイス・ジュネーブで第一回締約国会議が開催される。会議には、1972年のスウェーデンでの国連人間環境会議に出席して、水銀汚染の被害を身をもって世界にアピールした胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんが、45年ぶりに国際会議に出席し、条約の有効性を訴える予定という。条約の発効自体は、国際的な成果であることは間違いない。

 

 ただ、水銀中毒問題の発祥の地である我が国の環境行政の在り方を振り返ると、暗澹たる思いがする。水俣病公式確認以来、61年という歳月を経ながら、また水俣病に代表される産業公害対策として、1971年に環境省(当時は環境庁)自体が設立されながら、その使命を生かした課題解決型の行政を展開してきたのかと考えると、二つの疑念が生じる。そのひとつが、患者の認定問題であり、もうひとつが、大量に排出された汚染物質、有機水銀の除去問題だ。

 

 水俣病患者は、公害健康被害補償法に基づき認定される。これまでの認定者数は熊本、鹿児島、新潟の3県で約3000人。さらに2000人以上が認定を求めて申請中だ。だが、水俣病公式確認から61年を経ても、その被害者を救済する行政の仕組みが十分に機能していない。今も、司法を巻き込んだ綱引きが延々と続いている。

 

2013年の原告勝訴の最高裁判決
2013年の原告勝訴の最高裁判決

 

 認定問題が混迷するのは、行政が設定する認定基準に原因がある。政府は1977年、感覚障害を中心に複数の症状があることを救済の原則とした。しかし、2013年の最高裁判決では、行政が認定しなかった原告の申請者を、司法が患者として認定する結果となった。それを受けて、行政は被害者の感覚障害だけでも患者として認定するとの通知を出した。

 

 だが、その認定基準の変更には、メチル水銀摂取の証明を患者側に求めるなどの条件を付けたため、それ以降も認定による救済は広がっていない。「救済」の視点ではなく、「水銀中毒の影響が明確な人だけを認定したい」という選別の視点が行政側には一貫してある。

 

 政府は未認定患者対策として、これまで政治的判断や水俣病被害者救済特別措置法(特措法)制定などによって、一時金配布を決めてきた。だが、まさに「つかみ金」の配分で、認定患者との差が大きく、被害者側の不満は収まっていない。

 

 公害によって引き起こされた人為的な健康影響は、自然な疾患や個人差、年齢的な衰え等との「線引き」が容易ではない。それが公害事件の特徴の一つでもあるが、環境行政は「患者、or 非患者」の基準を設定することで、事実上、本来は救済すべき人まで「切り捨てる」政策を続けてきた。

 

 特措法で救済対象外となった人らは、さらに国などを相手取って損害賠償請求訴訟を起こし、争っている。日本政府はこうした実態について、ジュネーブでの締約国会議で説明できるのだろうか。

 

 被害者の救済が遅れているだけではない。水銀汚染からの環境回復も実は進んでいない。水俣湾沿いに広がる緑豊かな公園「エコパーク水俣」は、夏の緑が映え、芝生広場やバラ園、テニスコートなどが市民の憩いの場になっている。ところがこの公園の地下には水銀を含む廃棄汚泥がそっくりそのまま、大量に埋め立てられているのだ。

緑豊かな「エコパーク水俣」。地下には大量の水銀汚泥廃棄物が今も存在。
緑豊かな「エコパーク水俣」。地下には大量の水銀汚泥廃棄物が今も存在。

 原因企業のチッソが長年にわたって水俣湾に無処理で排出してきた水銀廃棄物が海底に堆積、それを汲み上げ、工事期間14年をかけて、埋め立て地として完成したのが1990年。水銀濃度の高い汚泥を鋼矢板で囲って海と仕切って埋め立てた。その上に汚染されていない山の土で覆って公園とした。全体で約58.2haの広さ。

 

 鋼矢板の耐用年数は約50年。すでに20年が経過している。報道によると、熊本県は、腐食の進行が想定より遅いので少なくとも2050年ころまでは大丈夫と説明しているという。だが、その後、この水銀汚染の膨大な固まりをどうするのか、方針は決まっていないとされる。

 

 

 朝日新聞の取材に対して、元国立水俣病総合研究センター国際・総合研究部長で、今も水俣で水銀の研究を続ける赤木洋勝さん(75)は、地震で埋立地が液状化して、地下の水銀を含む水が地表に噴き出すリスクを指摘し、「単に水銀を集めて囲っただけの場所。汚染が残ったまま条約の地をアピールするのはちぐはぐだ」と話している。

 

 熊本学園大の中地重晴教授(環境化学)は、埋立地の水銀汚泥を掘り起こし浄化するには750億円の資金が必要と試算している。鋼矢板を50年に一度、入れ替えて汚染物質を水俣の地に残し続けるのか、それとも、汚染物質を埋立地から除去して水俣の街を「水銀フリー」の本来の自然な地に戻すのか。

 

 市北部を流れる水俣川河口の左岸一帯の旧八幡(はちまん)プールの跡地も、水銀廃棄地としてその影響が懸念されている。チッソは1958年9月から約1年間、有害な排水の放流先を水俣湾からこのプールに変更し、大量に垂れ流したという。

 

埋立地の護岸のコンクリートにはひび割れが発生している

 

 プール跡地と海や川とを隔てる護岸部分は2002年にチッソから市に移管され、市道になっている。その護岸のコンクリート部分はあちこちでひび割れている。

 

 発効した水俣条約では、水銀で汚染された場所を「汚染サイト」として特定し、リスクを評価して管理する努力を締約国に求めている(12条)。では、環境省は、水俣の埋め立て地をそうした「汚染サイト」に認定するのかと思いきや、消極的という。サイト認定すると、「水俣病問題」が現在進行形であると認めることになるのを嫌がっているとされる。

 

 環境省への国民の期待は、二度と激烈な産業公害を引き起こさない抜本的な政策展開だった。しかし、この間の公害・環境行政は、産業公害の「証拠」を国民の目から見えにくくする「カバーアップ」が主な役目だったのでは、と思いたくなるような動きでしかなかった。

 

 その象徴が水俣市の膨大な水銀埋め立て地、というわけだ。人の目に見えないように“隠した”だけで、汚染の実態が取り除かれたわけではないのである。産業公害を『過去』のものとしたり、『見えないもの』のように扱おうとする行政の姿勢は、現在の東電福島事故での放射性汚染廃棄土壌の処分問題等にも共通する。

 

 水俣条約の前文は「水俣病の重要な教訓、特に水銀による汚染から生ずる健康及び環境への深刻な影響並びに水銀の適切な管 理及び将来におけるこのような事態の防止を確保する必要性を認識」とうたっている。環境省はどのように「水俣の教訓」をこれまでの政策に生かし、今後も生かしていこうとしているのだろうか。

http://www.env.go.jp/press/104418.html

http://digital.asahi.com/articles/photo/AS20170816002805.html