水俣条約国際会議。胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんが、水銀廃棄物「埋め立て地」の危険性を指摘。中川環境相は答えず、途上国での「水銀対策ビジネス」の日本の役割を強調(RIEF)
2017-10-01 08:18:42
スイスのジュネーブで開かれていた水俣条約第一回締約国会議は29日閉幕した。会議に出席した胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんがスピーチで、「水俣病は終わっていない」と訴えたことは広く報道された。実は、彼女は「終わっていない」理由として、原因企業チッソが垂れ流した水銀廃棄物が埋め立てられたままで、環境省も熊本県も十分な対策をとっていない点を指摘していた。
水俣湾には、チッソが長年にわたって垂れ流した水銀廃棄物がヘドロとなって海底に堆積していた。このうち水銀濃度25ppm以上の汚泥をくみ上げ、58.2haの埋め立て地に埋めた。工事費485億円、工事期間14年を費やして、1990年に完成した。しかし、埋め立て地は鉄鋼製の鋼矢板セルで囲っただけで、腐食による漏洩、地震による液状化、護岸の崩壊リスク等を抱えている。鋼矢板の耐久性は50年間とされ、すでに過半の27年が経過している。
埋め立て地とは別に、チッソがカーバイド残渣や工場排水の廃棄場所に使っていた八幡プール跡地も、汚染水の漏洩などのリスクが指摘されている。プール跡地と海や水俣川とを隔てる護岸部分はチッソから市に寄贈され、現在は市道となっている。その護岸のコンクリートはあちこちでひび割れが生じ、昨年の熊本地震でひび割れの拡大が目立っているという。
坂本さんは、水俣病の原因物質が大量に水俣の地に残されたままで、しかも、その管理体制が十分でないことを、世界に訴えた。「水俣病は絶対に終わっておりません。今も裁判で闘っている人がおります。水銀が埋め立て地にあります。県も国も何もしておりません」。
「患者の気持ちになってやってください」との言葉は、自らの体を蝕んだ水銀廃棄物をそのままに、「水俣病対策は終わった」と説明する国と県の行政に、真っ直ぐに向けられている。水俣病対策が終わったというならば、原因物質も撤去すべきというのが、患者の率直な気持ちであり、かつ二次公害を引き起こさないために、環境政策が果たすべき責任だろう。
一方で、同じ会議に日本政府代表として出席した中川雅治環境大臣は、坂本しのぶさんと初めて面談し、「坂本さんのお話によって水銀による被害を全世界が一致協力してなくしていこうという機運を盛り上げていただいた」と、持ち上げる発言をした。中川氏は環境事務次官を務めた環境行政の元責任者でもある。だが、坂本さんと会ったのは今回が初めて。現役の官僚自体に、国内で会う機会がなかったのか、会おうとしなかったのか。
坂本さんが問う水銀汚染の最終処理については、水俣条約でも12条で、水銀で汚染された場所を「汚染サイト」として特定し、リスクを評価して管理する努力を締約国に求めている。しかし、環境省も熊本県も、膨大な水銀廃棄物の埋め立て地については「今も安全性を確認しながら管理しており、問題はない」として、汚染サイトの指定に消極的という。
坂本さんは初対面の中川氏に対して「水俣病の問題をちゃんとしてください。水俣病は終わっておりません。同じことを何度も何度も言ってきました。本当にお願いします」と繰り返した。しかし中川氏は、坂本さんが求める認定問題の遅れや埋め立て地問題には一切答えず、代わりに「しっかり全世界に向けて日本がリーダーシップを発揮して水銀対策を進めたい」と述べた。あたかも、国内の対策は完了しているので、水俣病対策で蓄積した水銀関係の知識や技術をビジネスとして世界に展開したいと、胸を張った形だ。
水俣病問題は、原因企業チッソに第一義的責任があるのは当然だ。だが、原因が究明された以降の認定作業の気の遠くなるのほどの遅れと混乱、原因物質の処理の不十分さや二次公害リスクの温存などは、環境行政の不徹底さと甘さに責任がある。http://rief-jp.org/blog/69703?ctid=33
「水俣」の名を関した国際条約に基づく国際会議。その場で、水俣病患者から重大な宿題が残ったままではないか、と指摘を受けても、明確に返答せず、条約に沿った国内対策にも消極的、という環境行政ならば、環境省は何のために設立されたのだろうか、という基本の疑問が湧いてくる。
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坂本さんが水俣条約第1回締約国会議の「水俣への思いを捧げる時間」で話したスピーチは以下の通り(ゴチック部分はRIEFの追加)
私は坂本しのぶです。
水俣から来ました。
お母さんのおなかの中で水俣病になりました。
胎児性水俣病です。
みんなと同じにできません。
走ったり、水俣病になっとらんば(なっていなければ)いろんなことできたのにと思えば悔しいです。(原因企業の)チッソは絶対許せません。
私は15歳の時にスウェーデンに行きました。
水銀のおそろしさを伝えに行きました。
61歳になりました。
みんなどんどん悪くなっています。
歩けなくなりました。
このTシャツは胎児性の人が書いてくれました。
みんなの気持ちを持ってきました。
私も悪くなっています。
これが最後だと思って来ました。
何べんも何べんも言ってきました。
水俣病は絶対に終わっておりません。
今も裁判で闘っている人がおります。
水銀が埋め立て地にあります。
県も国も何もしておりません。
患者の気持ちになってやってください。
水俣病は終わっておりません。
公害を起こさないでください。
女の人と子どもを守ってください。
一緒にしていきましょう。
(藤井良広)