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福島原発事故で東電の「事故過小評価」対応が判明。「炉心溶融」の社内規定を適用せず。新潟県の指摘で判明。意図的な“操作”か?(各紙)

2016-02-25 12:30:10

fukushimaキャプチャ

 

 東京電力は24日、福島第一原発事故時に、核燃料が溶け落ちる「炉心溶融(メルトダウン)」の基準を定めた社内規定「原子力災害対策マニュアル」が存在していたのに、見過ごして事態を過小評価していたことを認める発表をした。東電が炉心溶融を認めたのは事故から2ヶ月後で、対応遅れの要因となった。東電は「基準」の存在については、「今月になって気付いた」と説明している。


  記者会見した東電の白井功原子力・立地本部長代理氏は、「事故当時は『シビアアクシデント対応手引き』にのっとって炉心損傷の評価をした。しかし炉心の損傷割合が5%になったら炉心溶融と判断するという『原子力災害対策マニュアル』の記載は、今年2月に入って初めて発見した」と説明した。

 

 東電によると、福島事故前の2010年4月に会社全体の原子力災害対策の方針を示して、マニュアルに炉心溶融判断の規定を入れたという。「炉心損傷割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定する」とした。しかしその後、マニュアルはあらためて改訂し、炉心溶融の言葉を削除したとも説明。マニュアル再改定の理由は、元になる原子力災害対策特別措置法改正に伴ったものだが、「改訂というより、新たに書き直した。その際、以前のものを詳しく確認しなかった」(白井氏)という。http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20160225&ng=DGKKASGG24H57_U6A220C1EA2000

 

 事故当時、東電は、2011月年3月14日午前5時過ぎには、3号機の原子炉格納容器内の放射線監視装置が回復し、炉心損傷割合が約30%に達していることを把握した。また、1、2号機も5%を超えていることを確認していた。したがって、当時のマニュアルに沿った対応をすれば、この時点で「炉心溶融」を認識し、それに沿った緊急対策や周辺住民への要請等をしなければならなかった。

 

 ところが、東電から当時、地元自治体などへ伝えられた通報文書にはこの点での記載はなかった。東電はこれまで「(炉心溶融を)判定する根拠がなかった」と説明していたが、新潟県の柏崎刈羽原子力発電所が立地する新潟県の技術委員会が、公表遅れの経緯を検証する要請があり、東電は今月、当時の事故対応マニュアルに炉心溶融の判定基準が規定されていることがわかったと説明している。

 

  東電は「(早期に)データの持つ意味を解釈し、炉心溶融を公表すべきだった。事故を矮小化する意図はなく、公表をしないよう外部からの圧力もなかった」と説明している。基準を見過ごしていた背景や理由について、第三者を交えた社内調査に乗り出すという。

 

 しかし、原発管理の最大の課題である「炉心溶融」についてのマニュアルを前年に決めておきながら、実際に事故が起きた際に適用せず、5年近くたって外部からの要請を受けた調査でその存在を公表するのは、いかにも不自然といわざるを得ない。

 

 地元福島の福島民報は「基準(マニュアル)は事故前に防災訓練で使用しており、事故当時に存在を誰も指摘しなかったとは信じ難い。東電は公表遅れによる影響はなかったとするが、的確に使われていれば県民への正確な情報発信につながったはずだ」と指摘した。http://www.minpo.jp/news/detail/2016022529114

 

 
 また今回のマニュアル存在の発覚が、新潟県の指摘で分かったという点も重要だ。東電は柏崎刈羽6、7号機の早期再稼働を目指しており、国の安全審査も山場を越えたとされる。しかし、泉田裕彦新潟県知事は再稼働を議論する前提として福島原発事故の検証と総括を求めて、昨年12月、同県の技術委員会が公表遅れの経緯を明らかにするよう求めていた。

 

 東電が自ら作成した規定に基づく判断をせず、またその事実を5年間も公表せずにきたことは、東電および電力会社の原発運営への不信感を高める。すでに国は、九州電力の川内原発の再稼動を認めたのを皮切りに、関西電力・高浜原発1、2号機(福井県)の運転延長も視野に入れている。しかし、原発運営の電力会社に対する地元の不信が高まると、これらの地域を含めて他の原発の扱いにも影響が及びかねない。



 「福島民友」紙は地元の声として、「社内の対策マニュアルの記述にどうして5年間気付かなかったのか驚きだ」(福島県原子力安全対策課の菅野信志課長)、「原発事故直後、正確な情報が発表されていれば避難の状況は変わった。(東電も)厳しい状況に追い込まれていたと思うが、危機管理は徹底すべきだった」(双葉町の伊沢史朗町長)、「大変遺憾なこと。5年たってから、そういう話が出てくるのは残念だ」(富岡町の宮本皓一町長)などのコメントを紹介している。http://www.minyu-net.com/news/news/FM20160225-052678.php

 


[炉心溶融と炉心損傷]

 原発が運転を止めても燃料は熱を出し続けるため、水で冷やし続ける必要がある。東京電力福島第1原発事故のように注水が不能になった場合、原子炉圧力容器の水位は下がり続け、やがて燃料が露出、熱くなって溶け始める。この状態が「炉心溶融」で、溶けた燃料は重力によって圧力容器の下部へ落ちていく。「メルトダウン」とも呼ばれる。事故当時、原子力安全・保安院は炉心溶融の前段階として、燃料を覆う被覆管が溶ける状態を「炉心損傷」と定義していた。