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福島原発の事故過小評価を意図した「炉心溶融」表現の回避、東電・清水元社長が直接命じていた。「官邸からの指示」と説明(各紙)

2016-06-16 21:58:26

takekuroキャプチャ

 

 各紙の報道によると、2011年3月の福島第一原発事故時に原子炉の核燃料が溶け落ちる「炉心溶融」(メルトダウン)が起きていたのに公表が遅れた理由は、当時の東電の清水正孝社長の指示だったことがわかった。この問題を検証している第三者検証委員会の報告書案に、「当時の清水正孝社長が『炉心溶融』という言葉は使わないように」と社内に指示をしていたことが盛り込まれた。

 

 第三者委員会(委員長・田中康久弁護士)がまとめた報告書案では、2011年3月14日夜に、当時の清水正孝社長が記者会見中だった副社長に対して、広報担当者を通じて、首相官邸からの指示として「この言葉(炉心溶融)は絶対に使うな」と伝えていたとしている。

 

 実際には、同日早朝には、1,3号機の状況については、仮設電源の設置によって一時的に計測機器が復旧したため、炉心の損傷割合が5%超であることを東電は確認していた。当時の東電の社内マニュアルに基づくと、明らかに炉心溶融と判断できる状態だった。

 

 しかし、東電は炉心溶融の前段階にあたる「炉心損傷」との説明をし続け、正式に溶融を認めたのは2か月後の5月に入ってからだった。当時、なぜマニュアルを無視して、炉心損傷と一ランク下の扱いを強調し、2か月も溶融判断が遅れたのか、という疑問が続いていた。

 

 この点について、東電は長い間説明を避けてきたが、今年に入り、「マニュアル上の炉心溶融判断について今年2月に、その存在を発見した。事故を矮小化する意図はなく、公表をしないようという外部からの圧力もなかった」(白井功原子力・立地本部長)と、自分たちが作成したマニュアルの存在に気付かなかったとの説明をした。http://rief-jp.org/ct13/58832

 

 

 ところが今回の報告書案では、清水社長自らの指示によるものだったことが示された。社長指示は、「官邸からの指示」との趣旨の指摘になっているようだが、指示をしたとされる人物や具体的な指示内容などについては特定していないという。

 

 当時の官邸と東電本社、福島第一原発の3者のコミュニケーションは、大混乱の中で大きく乱れていたことがわかっている。その中で、いくつかの「不都合」が起きた。問題の3月14日夜には、東電本社から官邸に「福島の現場からの東電社員の総撤退」の申し出があり、官邸側と押し問答となったことも知られている。

 

 また原子炉への海水注入を巡って、当時の民主党政権は海水注入を求めたのに、事故対策のため官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローから福島原発の吉田昌郎所長に電話で、「官邸はまだ海水注入を了解していないので四の五の言わずに止めろ」と指示があった(吉田調書)、との証言もある。

 


 「『炉心溶融』の言葉は絶対に使うな」と命じた社長指示は、官邸の政権からのものか、武藤フェローのものか、あるいは、実はそうした指示は本当にあったのか。武藤フェロー、清水元社長、そして当時の菅直人首相らの言い分を聞き、突き合わせる作業をする必要がある。

 

http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/