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ドイツの脱原発・市民発電のシェーナウ電力が 本年の環境賞「電力革命児」に山本太郎氏ら日本人3人を選出 ドイツの市民は日本の”変化”を見守り続けている(FGW)

2014-07-03 00:18:10

EWSキャプチャ
EWSキャプチャドイツの脱原発・市民発電の普及を進めるシェーナウ電力(EWZ)が毎年選出するシェーナウ環境賞「電力革命児」に、3人の日本人が選ばれた。反原発運動に携わる大塚愛さん(フクシマの母たちを代表)、山本太郎氏(俳優、参議院議員)、佐藤弥右衛門氏(市民参加エコ電力会社設立の酒造家酒造家)。福島原発事故から3年超が経過したが、世界の目は、「変化」を実践する日本人を見抜いている。



 

シェーナウ電力は、今年の「電力革命児」賞を選出する理由を、次のように位置づけている。

 

日本の原発大事故から3 年を経た現在、日本においても福島原発事故への報道関係の関心が薄れつつある。故郷を失った原発事故避難者や、福島第一原発で被爆の危険にもかかわらず従事する作業員たち、いまだに絶え間なく海に注ぎ込む高濃度の放射能汚染水については一般にはあまり知らされていない。むしろ東京都の治世者(日本政府という意味)は、安倍首相の政権のもとで核エネルギーの復活を目指している。それも専門分野の権威や菅直人元首相などの著名人が新政府の原発政策を批判し、新たな大地震が発生した場合、福島の災害を上回る大惨事に至ることを警告しているにも関わらずである。

 

朝日新聞の2014 年3 月の調査によれば、80%弱の国民が最終的な脱原発を願っているというが、それも不思議ではない。福島の災害発生後の日本では、事故による被害や上昇する放射能濃度を軽視する原子力発電会社の東京電力TEPCO と国営機関、省庁に抗議する集会に多くの市民が参加した。この暗鬱な状況の中で、数人の市民が熱烈な草の根的社会参加により日本の脱原発を目指して行動に移り、市民の手による次世代のための持続的な電力供給を実現するために立ち上がった。
私たちはこれらの偉大な功績を高く評価し支持するため、勇敢で多様な日本の反原発運動を代表する3 人の受賞者を選定し、2014 年のシェーナウ環境賞「電力革命児」によって表彰することになった。

 

「変革をもたらすため実行に移し、反対を乗り切っていくことがどんなに困難かは、私たちも体験からよく知っています。それには自分自身のエネルギーばかりではなく、友人たちの支援もまた必要です。私たちは2014年シェーナウ環境賞『電力革命児』の授賞によってそのような運動に少しでも貢献したいと思います」と、シェーナウ電力(EWS)理事のウルズラ・スラーデック氏は語る。

 

<受賞者の横顔>

 
大塚愛さんとフクシマの母たちAiOtsukaキャプチャ

福島の災害から3 年経った今も、14 万もの人々が故郷から遠く離れた土地に住んでいる。大塚愛さんのように子どもたちの安全のため、不安を抱いて避難することに決めた母親たちはとりわけ多い。大塚愛さんは2011 年3 月11 日、ご主人と2 人の幼児と共に直ちに家を立ち去った。

 

一家の住んでいた福島の家は、放射能汚染によりこの先数十年は住むことができなくなった。大塚愛さんの一家は岡山県へと避難し、そこで他の被災者達と共にイニシアティブを発足させた。イニシアティブは避難者の受け入れを組織し、最初の数週間を過ごすためのホームを運営している。岡山県は事故のあった原子力発電所からは遠く離れた安全な土地であり、ほどなく避難者たちにとって重要な拠点となった。

 

多くの被災者にとって、見知らぬ土地へ友人や知人の助けなしに移住することは容易ではなかった。避難者たちは一般的に歓迎されず、利己主義であるとか、その不安が大げさであるとか、大災害の犠牲者であることをひけらかすとか批判されたりした。孤立化を避けお互いに助け合うため、数人の避難者たちがフクシマの母たちとして団結した。「岡山に移住することができたのも大塚さんのお蔭です」と語る避難者は少なくない。

 

イニシアティブは幼稚園、学校、公園での放射能濃度測定を実施させ、安全衛生保護法や放射能の被害を受けた子どもたちの健康診断のための署名運動を行った。またイニシアティブは血液・甲状腺検査を可能にするための基金を設立した。このようにして大塚愛さんの核エネルギーとの取り組みが始まった。そして今日に至るまで最大級原発事故の責任逃れをして、その解明と、医療・安全保護に関して十分な処置を取らない国家に対する不信感を強めていった。

 

フクシマの母たちはゆるやかなネットワークとして、災害が日々忘れ去られ、事故が遺した影響が黙視されることに対する闘いを現在に至るまで続けている。母たちは災害による持続的な被害と犠牲者としての自分たちの体験を一般にむけ勇敢に語りかけ、また原発事故のすべての被災者のための補償を求め、究極的な原子力産業の廃止とエネルギー政策の長期的な改善とを要求している。

 

 

山本太郎氏 俳優、参議院議員、反原発活動家Yamamototaroキャプチャ

 

山本太郎氏は有名な俳優であり、日本で脱原発を主張した最初の有名人の一人であった。その結果、氏は反原発運動の先導者となった。政治家達は氏を危険な扇動家と呼び、マスコミは人気の高い俳優がこのような形で政治活動に参加することに驚きを表した。その政治活動は俳優として映画、テレビ番組、シアターへの出演がなくなるという痛手を山本氏にもたらした。

 
しかしながら山本氏は信念を揺るがせることなくエネルギー事業の大幅な改善を要求し、福島の子どもたちのすべてが疎開する権利を持てるよう尽力した。2013 年の選挙では無所属の候補者として参議院議員に当選し、議院ではすべての原発廃止とエネルギー事業のエコロジカルな立て直しとを懸命に主張している。

 

2013 年の初め、山本氏は広瀬隆氏と共にシェーナウ電力を訪問した。遠来の客人との会談でウルズラ・スラーデクEWS 理事は「果敢な市民的勇気、忍耐、創造性、そして民主主義への健全な理解」が社会変革のプロセスにおいて重要な前提条件であることを強調した。

 

2013 年10 月、山本氏はある「スキャンダル」を惹き起こし、日本のマスコミ界を数日間にわたって賑わせ、国際的にも注目を呼んだ。園遊会において氏が天皇陛下に直接話しかけたばかりではなく、公衆の面前で陛下に1 通の手紙を手渡すという、前代未聞の行為に至ったためである。その手紙の中で、山本氏は福島の原発作業員の劣悪な労働環境と苛酷な生活条件をあらわに書き記した。山本氏は報道陣を前にこの行為を正当化し、「陛下に直接手紙をお渡しする必要があった、私の抱く不安を書きしたため、また西日本の子どもたちは放射能を被爆して病気だというのに誰もそれについて話さない、ということを陛下にお伝えしたかった」と語った。

 

佐藤弥右衛門氏、酒造家、電力パイオニアsatoキャプチャ

 

佐藤弥右衛門氏は福島の災害以前は職業的に電力とは関係なく、個人的にエネルギー政策に関心を寄せていた訳でもなかった。大和川酒造代表の氏は224 年の伝統を誇る福島県会津地方の旧家の酒造家である。原発事故のあった当時、氏は飯館村の観光大使でもあった。飯館村への強いつながりは、氏が「電力革命児」となるきっかけをもたらした。

 

かつて「日本で一番美しい村」と名付けられた飯館村は、事故の起きた原子炉から30km 北西に位置し、原発事故によって最も大きな放射能被害を受けた地域に属している。佐藤氏によれば省庁は危険を認知したにもかかわらず放射能汚染への警告を与えることをしなかった。氏は「この村が滅びるのを見たときに、私は原子力とエネルギー事業について深く考え始めました」と語る。

 

佐藤氏は考えを同じくする友人と共にNPO「ふくしま会議」を設立し、犠牲者たちの発言を可能にし、原子力に依存しない社会を創ることを目的に、会津地方の住民が参加する場を提供した。氏の特別な関心事は、日本政府が長期にわたり原子力の危険性について一切、口を閉ざしてきたという背景について学校で啓蒙活動をすることである。

 

2013 年8 月、佐藤氏はシェーナウ電力をモデルにして4 人の協力者と共にエネルギー事業会津電力AiPower を設立した。現在9 人の社員が4 人の理事と共に従事している。AiPower はエコロジカルで地域的な電力供給会社として社会参加し、この目的のために空き地が太陽熱発電建設に利用されている。第2 期には引き続き小型の水力と木材バイオマス熱利用によるオーガニックな自然エネルギーの発電が計画されている。

 

法規上可能になり次第、AiPower は電力の売買を開始し、また地域の電力網を入手していこうとしている。その上、電力の自給自足という野心的な目的の達成のため、地域の大型の水利権の買い取りを目指している。佐藤氏は市民の圧力が大きくなることで東京電力の福島事業の解体に至り、実際上の事業主としての政府がAiPower に権利を売渡せざるを得なくなることを望んでいる。

 

 

シェーナウ電力(EWS)の歴史

1986 年のチェルノブイリ原発大事故と共に始まる。当初、省電運動を呼びかけ、再生可能エネルギーとコジェネレーション・システム設置の資本を提供する「原子力のない未来のための両親の会」が設立さた。シェーナウ・エネルギー・イニシアティブの活動に対して地域の電力供給会社の妨害が度重なり、自給によるエコロジカルなエネルギー供給を実現させるため電力網を買取るというアイデアが生れた。

 

ウルズラ・スラーデク理事は「7 年間の長い闘いでした。2 回の市民投票と長期の裁判に打ち勝って、1997 年にようやくほぼ実現に至りました。電力網が市民の手に入ったのです。現在、私たちのネット域は4 倍にも拡張して、約15万戸の顧客を擁し、ドイツの最大級のエコ電力供給会社のひとつに数えられます。私たちは土地の住民達と共に再生可能エネルギーを経済的に支え、ドイツ各地の電力網買取りのイニシアティブを支援し続けています。私たちの目的は、中央集権的な独占構造を廃し、供給を地域的な構造へと移行させていくことによって、エネルギー事業の立て直しを招き寄せることです。エネルギーの将来は市民の手中にあるからです」と回想も交えて語る。

 

ウルズラ・スラーデク氏は2011 年に環境保護分野のノーベル賞といわれるアメリカのゴールドマン環境賞を受賞し、また2013 年にはドイツ環境賞によりその功績を称えられている。
「電力革命児」年間賞はシェーナウ・エネルギー・イニシアティブとシェーナウ市とが共同で表彰する名誉賞であり、個人的な社会参与によってビジョンを実現し、反対を乗り切って環境保護と持続的な省エネとに貢献した人々の功績を称えて授賞される。これまでの受賞者にはハルトムート・グラースル博士、アルフレート・リッター(Ritter Sport 社)、トーマス・ヨルベルク(GLS 銀行)、ルイーゼ・ノイマン・コーゼル(市民エネルギー・ベルリン)、イルム・ポンテナーゲル(Eurosolar 社)などがいる。「電力革命児」年間賞の受賞者はまたシェーナウ市のゴールデンブックに名誉ゲストとして記帳することになっている。

 

http://www.ews-schoenau.de/Stromrebellen2014.html