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1989年6月、天安門は解放区だった (HuffPost) 中国の貪欲と迷走はここから始まった

2014-06-05 15:45:54

学生たちは「民主主義の女神」像を作った
学生たちは「民主主義の女神」像を作った
学生たちは「民主主義の女神」像を作った


笑顔の人々や、踊っている子供たち――以下の画像集では、1989年に起きた天安門事件の暴力的なイメージとはかけ離れた光景を見ることができる。

全体的にヒッピー的な雰囲気が浸透しているこれらの素晴らしい写真には、急速に繰り広げられた後、なおいっそう素早く隠し去られた悲劇の痛切な側面が写し出されている。

1989年6月1日、天安門広場では子供たちが笑顔で踊っていた
1989年6月1日、天安門広場では子供たちが笑顔で踊っていた


25年前の1989年春、北京では大規模なデモ活動が展開していた。数週間に渡って平和的な抗議活動は続いたが、中国当局は1989年6月4日、北京の街で残酷かつ無慈悲な大虐殺を実行した。正確な犠牲者の数はわかっていないが、数百人以上が殺害されたと見られている。

中国人民解放軍が市民に向けて発砲し、装甲車で轢き殺すなどして学生たちから天安門広場を奪回する前に、どんな世界が展開していたのかを、以下の画像でかいま見ることができる。

伝説となったこの写真には、事件当日の精神が捉えられている
伝説となったこの写真には、事件当日の精神が捉えられている


軍は、怒る市民に向けて大量発砲を行った
軍は、怒る市民に向けて大量発砲を行った


しかし、平穏さは不確実なものだった
しかし、平穏さは不確実なものだった


学生指導者の王丹が、街中でデモ行進を行うよう呼びかけている。王丹は、当時北京大学の1年生だった。その後、政治犯として収容されたが、国際的な圧力で1998年に仮釈放されると同時に、アメリカに亡命。現在はオックスフォード大学に上級研究員として籍を置き、台湾で中国民主化運動を続けている。
学生指導者の王丹が、街中でデモ行進を行うよう呼びかけている。王丹は、当時北京大学の1年生だった。その後、政治犯として収容されたが、国際的な圧力で1998年に仮釈放されると同時に、アメリカに亡命。現在はオックスフォード大学に上級研究員として籍を置き、台湾で中国民主化運動を続けている。