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英国のEU離脱とESG政策への影響(藤井良広)

2016-06-25 16:00:44

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 英国がEU(欧州連合)から離脱することになり、金融市場は大混乱となった。離脱の選択自体は望ましくはない。ただ、冷静に考えると、実際に離脱しても、欧州から島ごと大西洋に流れ出すわけではなく、現在の地にいるわけで、かつ経済・金融への影響は、マスコミが騒ぐほどには大きくはないと思われる。影響が出るのはむしろ、政治・外交、さらに環境・社会政策などだ。

 

 離脱を選択した国民投票の結果を伝える当日のNHKニュースを見ていて、驚いた。解説するNHKの記者が、離脱によって「大陸諸国との経済関係では従来とは違い、EUとの間で関税がかかるなどの影響が出る」と発言したからだ。英国はEUから離脱しても欧州の国である。欧州諸国だけれどもEUに未加盟の国には、ノルウェー、スイス、アイスランド、リヒテンシュタインなどがある。これらの国々は、欧州自由貿易連合(EFTA)を作り、EUとの間では、経済面の共通化を進めた欧州経済領域(EEA)や二国間での共通市場化を実現している。

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 EFTAにはかつて英国も所属したことがあるだけでなく、EFTAを創設したのは英国だった。離脱後の英国がEFTAに戻るかどうかは今後の交渉次第だが、少なくとも欧州の国なので、スイス、ノルウェーなどと同様にEUとの経済的関係を維持するとみるのが自然だろう。英国自体これまでEU加盟国としてEEAに合致する市場条件を備えているので、実務的な障壁が多くあるとは思えない。

 

 EFTAが英国加盟を拒否したり、英国はスイスのようにEUとの二国間協定を選択する可能性もある。だが、もし意図的に厳しい条件を英国だけに突き付けると、離脱派が主張したEUの官僚主義の証左となり、英国の愛国心を高めるだけで、EUにも英国にもプラスにならない。つまり、経済関係に関しては、離脱しようとしまいと、影響はほとんどないと言っていい。

 

 ある米銀が拠点をロンドンからアイルランドなどに移すことを検討する、とのニュースも流れた。これもどこまで本気か。ダブリンに行きたければ行けばいいが、行く必要はない。非EUになるからといってユーロ・ポンドの取引が制限されるわけではない。ユーロ不安でスイスフランが買われたと、別のニュースが語ったように、EU域外のスイス市場でも欧州の投資家、金融機関は自由に取引をできる。むしろ、英国は非EUになることで、ユーロに参加しなかったポンドが、将来はスイスフランのような役割を演じるメリットを得るかもしれない。

 

 問題は経済以外の分野である。共通外交安全保障政策(CFSP)であり、共通防衛政策(ESDP)などの政治・軍事・外交面だ。EFTA諸国が経済面ではEUと共通市場を形成しながら、EUに加盟しないのは、政治的に中立国が多いという点を見逃してはならない。政治・軍事・外交面で独自のスタンスを維持するため、EFTAにとどまっているのだ。

 

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 英国がCFSPから離れることは、少なくともEUの政治交渉力に影響する。ウクライナ、シリア、中東等の案件ごとにEUと英国が調整することになるだろうが、英国自体、欧州周辺国に独自の利害関係を有するだけに、EUとの政治的調整は課題を残す。

 

 もう一つの影響が懸念されるのは、われわれ(環境金融研究機構)の関心領域である環境・社会・ガバナンス(ESG)分野である。いわゆる財務・経済的な評価だけでは計れない非財務の領域だ。

 

 今回の離脱派の根拠も、雇用や社会的取扱いでの不満を感じる人の票が予想を上回った。「人の移動の自由化」はEU市場の中心政策の一つだが、それは「自由にどこの国にも行ける」という面だけでなく、「自由にいろんな国の人がやってくる」という面もあるということに、人々は、共通市場ができてしばらくしてから気づき始めた。

 

 英国でも2004年の東欧諸国の一斉EU加盟後から、移民労働者の流入が増加し、地域によっては、コミュニティの風景や機能に目に見える形での変化が生じていた。こうした日常の変化に、伝統を重視する高齢者、仕事を移民に奪われたと感じる中高年、将来への不安を持つ若者らが、「日常の不安」を感じ、離脱を選択したとみるのが自然だろう。

 

 実は国民投票でEU統合の深化を否定したケースは10年前にも起きている。EU首脳たちがEUを一段と「国家に近い形」に統合する新たな条約(欧州憲法条約)を制定しようとした際だ。フランス、オランダの国民が相次いで国民投票で「ノン」と意思表示をし、今回の英国と同様に政府の提案を拒否したのである。その結果、条約は統合色を大幅手直しし、何とか修正案(リスボン条約)に切り替えるという経緯があった。その時のフランス、オランダ両国民の「EU深化拒否」の理由も、今回と同じ移民労働者の増加だった。

 

 当時、象徴的に語られたのが『ポーランドの配管工』のエピソードだ。西欧諸国では3K職場で働く人が減り、配管工の大半は東欧移民で占められるという比喩だった。この比喩はその後も、バルカン、旧ソ連圏諸国、中東などからの移民労働者に置き換えられ増えている。町の人口の3割を移民が占めるコミュニティが欧州の随所で生じている。EU離脱の引き金となった移民問題は、英国特有の現象ではない。

 

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 欧州ではその国の国籍を持たなくても「欧州市民権」によって、居住国の国民と同じ条件で扱われる。居住権だけでなく、州議会選挙等への立候補もできる。域内の人権概念を統一した法的拘束力のある欧州基本権憲章もある。移民であっても、不法難民であっても、住み続けると市民としての権利を保証される。しかし、「移民たちの安心」を確保する根拠が、昔からの住民の「日常の不安」の原因になっているとすると、住民たちはそうした根拠・枠組みに拒否感を持つようになる。英国でのように。

 

 離脱後の英国はどうなるか。すでに多くの移民労働者らが感じているように、彼らに対する社会的圧力が高まる可能性がある。雇用や教育での差別、生活面での疎外、宗教・人種差別等が表面化する懸念だ。ESGの「S」への対応が困難になりかねない。

 

 

 また「E」の環境、特に気候変動問題への対応も微妙になる。再生可能エネルギーの電力取引等、経済的判断に基づくものは、上述のように市場原理で対応できる。ただ、気候変動の場合は、各国への排出量の配分やルール化など、政策判断による作業が土台として必要だ。パリ協定の合意も、現在は、EUとして合意した排出量削減分を各加盟国に配分する形だが、英国離脱後は、英国抜きの配分をしたうえで、英国自体は単独で目標を設け、従来のようにEU域内での調整機能(EU-ETSなど)を活用できなくなる。

 

 環境も社会面も、経済的要因プラスアルファの政策判断によって成り立っている。このため、離脱後の対応では、政治・軍事・外交面と似て、政策的判断のウエイトが増す。ここ10年来、ロンドンの国際金融街のシティは、国際金融センターとしての機能に加えて、ESGの非財務分野でも国際センター化を目指す市場基盤の整備を進めてきた。しかし、社会面での軋轢増加の懸念に加え、気候変動政策ではEUの政策協調の枠から外れるとなると、非財務市場づくりは覚束なくなり、グローバルなESG市場の拡大にも影響を及ぼしかねない。 (藤井良広)

 

 

 

 藤井良広(ふじい・よしひろ) 日本経済新聞記者を経て、2015年春まで上智大学教授。現在は同大客員教授を務めながら一般社団法人環境金融研究機構の代表理事。著書に「EUの知識<第16版>」(日経文庫)など多数。