書評:「環境とビジネス」白井さゆり著(岩波新書)
2024-09-01 01:59:56
著者はマクロ経済が専門のエコノミストとして知られる。国際通貨基金(IMF)のエコノミストのほか、日本銀行の審議委員を務めた経験もあり、国際的な動向と国内政策の両面について詳しい。その著者の最新作である。2016年に日銀審議委員を退任後、著者が慶應義塾大学での研究生活に戻ってから、積極的に取り組んでいる分野の一つがサステナビリティ、ESG等の領域という。本書は複雑化する同領域について、企業人をターゲットとして、最新の分析と報告をまとめている。
ESGや環境経営をタイトルとする書籍は数多(あまた)ある。そうした中で、著者が企業人向けの「入門書」を執筆した理由は、著者に聞く以外にない。ただ、本書を読んでの評者の読後感を言えば、気候変動等の環境問題による企業経営への影響が増大する中で、中心となる気候課題のポイントを、企業経営に絡めて、わかり易く整理・説明したうえで、わが国の「企業経営」がどう対応すべきかの問いかけを、正面から読者に投げかけることが狙いではと、推測している。
そうした感想を抱く理由として、本書を貫くキーワード的な言葉である「『世界のトレンド』を知ろう」のフレーズが印象に残った。全体で6章の構成のうち、第4章のタイトルでも「企業経営の持続可能性に欠かせない『世界のトレンド』を知ろう」としている。
サステナビリティや環境経営等が「世界のトレンド」であるのは、単にムードや流行といった意味での「トレンド」ではない。グローバル市場に立脚し、グローバル競争時代に生きる企業にとって、自らの経営の持続可能性を維持するうえで、「1.5℃」目標への対応、気候対応情報の開示や気候コストの内部化等は、市場価値の源泉であり、企業の競争力を左右するものであることを、世界の大企業や大手金融機関はすでに理解し、そうしたことに対応するための「世界のトレンド」が起きている。
大企業だけではない。著者は「中小企業や上場していない企業も、こうした世界のトレンドから影響を受けずにすむことはないと理解しておこう」と呼び掛ける。グローバル・サプライチェーンはあらゆる企業を相互に結び付ける。そうした経済構造の中でわが国企業にも「環境経営」の展開が求められているというのが、著者の企業人に向けたメッセージだろう。
日本の大企業、中小企業を含む、世界中の企業活動が長年、排出してきた温室効果ガス(GHG)の累積的な負荷が、地球全体の浄化能力を超えて温暖化現象を進行、深化させている。そうした環境下で、企業が取り組むべき「環境経営」では、企業の経営戦略、収益目標、リスク管理等の経営の基本施策の中に、気候リスクの把握と評価、同コストの削減と制御(さらには収益化)を、いかに迅速、効率的に展開するか、が問われている。
著者が第2章と第4章で取り上げる「カーボンプライシング」の重要性は、そのために企業は、GHGの排出量に価格付けを行い、企業の資源配分の対象としたうえで、安定的な収益の持続可能性を目指す経営姿勢が求められることを強調するものといえる。企業の本来機能である経営判断の中で、環境問題のソリューションを見出すことこそが、今、求められている「世界のトレンド」ということになる。
本書が取り上げる環境経営の対象は、主に気候変動の影響とそれへの対応策が中心だ。しかし、企業が直面しているのは気候問題だけではない。さらに自然資源・生物多様性の保全、プラスチックや化学物質等による廃棄物問題等に対しても、企業はどう対応するのかという点も、企業経営にとって避けられない「世界のトレンド」として眼前に浮上している。
また企業経営が「非財務」の環境課題に向き合い、「財務化」するうえで、各国の関連政策の妥当性が重要な影響を及ぼす。しかし、そうした国別の政策もグローバル市場と、グローバルサプライチェーンでつながっている経済活動を前提にすることから、「世界のトレンド」の影響を受けざるを得ない。著者には、こうした次なる論点についての分析と問いかけに、新たに取り組まれることを期待したい。
<本書の構成>
第1章 サステナブルな未来ーー環境とビジネスは両立が可能ーー
第2章 環境へのソリューションが企業の未来を決める
第3章 排出量データの可視化は企業の競争力を高める
第4章 企業経営の持続性に欠かせない「世界のトレンド」を知ろう
第5章 排出の多い産業の低炭素化を支える新しい金融
第6章 カーボンクレジットは企業の救世主になるのか
(藤井良広)