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被災を生き抜く/山河を守る独立自尊の気概(河北新報) 「山河破れて国あり」になっていないか

2013-01-09 09:12:44

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abukumakyouwakoku51wUCsjeO0L__SL500_AA300_<去年今年貫く棒の如(ごと)きもの>
高浜虚子、1950年の作。「貫く棒」の解釈をめぐっては、「変化なく過ぎていく歳月」という老年の泰然とした心境を表すというのが一般的だ。
新しい年が明けた。
仮設住宅で迎える二度目の正月は、昨年より快適だろうか。家族てんでんばらばらの避難生活を送る被災者には久しぶりのだんらんを、と願わずにはいられない。
東日本大震災から、間もなく2年がたとうとしている。受難にあって、平凡こそが掛け替えのない価値だと知った。ジェットコースターのような一生に耐えられるほど、私たちは強くできていない。

元旦に「心機一転」を誓うにしても、それは「貫く棒」である穏やかな日常があればこそ。安心立命は万人の願いである。

一方で新年を素直にことほぐ気分になれないのは、復興の遅れという重苦しい棒が被災者を貫いているからでもある。去年も、今年も、そして来年もとなれば気力はなえ、被災地は衰退していく。

反転のきっかけをつかみたい。禍福があざなえる縄だというなら、この手で福をより合わせよう。2013年、固い信念を貫き通す年にしたい。

◇   ◇
「わが阿武隈村は、今日ここに共和国として、日本国から分離独立することを宣言します」

昨年、出版された村雲司さんの『阿武隈共和国独立宣言』は、放射能に汚染された村の老人たちが国と刺し違える覚悟で独立を宣言する奇想天外なフィクションだ。
時は大震災から2年後の2013年3月11日。彼らは日本外国特派員協会で「独立」をぶち上げる。

国旗は「暮しの手帖」創刊者・花森安治に倣って、ボロ布をつぎはぎした「一銭五厘の旗」、国歌は仮設住宅で歌うようになった『夢であいましょう』だ。

「日本国」からの侵攻に備えるため、「核武装」することも併せて宣言する。原料は放射性物質の汚染土。これを三尺玉に詰め、いざという時、地元の花火師が打ち上げる。

物騒なプランの結末を明かすのは、やぼになるのでやめておこう。ただ、非暴力主義者である彼らのこと、意外な展開が待ち受けている。

「仮設住宅、仮の町、仮の人生。仮のままで人生を終えたくはない」。古老のつぶやきは、そのまま原発事故で避難を強いられている人たちの苦悩と重なる。
「故郷の山河を棄(す)てろと国が強要するなら、俺たちは国を棄ててもいいとさえ思っている」。村議会議長の叫びは「帰還困難区域」というレッテルを、地域のプライドに懸けて返上する決意表明だ。

「核武装」は震災がれきの受け入れをめぐって、各地で起きた混乱に対する強烈な皮肉であることは言うまでもない。告発の対象は、原発政策に象徴される国土構造のゆがみである。

◇   ◇

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題をめぐり、東京の非政府組織(NGO)などが昨年、県内移設は人権侵害との申し立てを国連の人種差別撤廃委員会に行った。

沖縄では一向に解決しない基地問題へのいら立ちから、「沖縄への差別」と指摘する人が増えている。

宮里政玄琉球大名誉教授は差別の根底に「最大多数の最大幸福を目指し、人口の少ないところ、経済的に弱いところに犠牲を強いる功利主義がある」と指摘。原発にも同じ構造を見て取る。

岩手、宮城、福島3県を中心にいまだ32万人余りが不自由な避難生活を送る。

「山河破れて国あり」。復興の足取りが遅れれば、私たちは荒廃したふるさとを子や孫に引き渡すことになる。それは将来世代に対するつけ回し。差別にほかならない。
昨年、沖縄県尖閣諸島の領有権をめぐって日中両国が角突き合わせた。絶海の無人島を守るために費やされた政治的エネルギーに比して、東北復興に割かれたそれは十分だったろうか。復興予算の流用問題は、政官の本質を浮き彫りにしたのではないか。

「阿武隈村」の独立を荒唐無稽と切って捨てることは簡単だが、東北の位置付けを変えずして、どんな復興策も未来を照らし出すことはない。

三尺玉に込めるべき火薬、それは「独立自尊」である。

 

http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2013/01/20130101s01.htm