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田中正造の天皇への直訴状 113年後に「届いた」。天皇・皇后両陛下が栃木で足尾鉱毒事件の資料見学(各紙)

2014-05-22 13:14:33

渡良瀬川流域の地図の説明を受けられる両陛下=21日、栃木県佐野市で(代表撮影)
渡良瀬川流域の地図の説明を受けられる両陛下=21日、栃木県佐野市で(代表撮影)
渡良瀬川流域の地図の説明を受けられる両陛下=21日、栃木県佐野市で(代表撮影)



 各紙の報道によると、私的な旅行で栃木県を訪問中の天皇、皇后両陛下は21日、同県佐野市の市郷土博物館で、足尾銅山の鉱毒事件を告発した田中正造(1841~1913年)が1901年に明治天皇に渡そうとした直訴状などを見学された。

 


 東京新聞が報じた。それによると、天皇陛下は、田中正造が直訴の決行直前まで、直訴状の文言を、赤字で加筆、修正していたことなどを、説明者から聞くと「この赤いのが訂正ね」と確かめながら、熱心に見詰めていた。


 直訴状は1901年に正造が明治天皇に渡そうとしてかなわなかったもの。113年後の平成の時代になって、現在の天皇陛下に届いた形といえる。当時の正造を支援した親族の子孫、原田定子さん(87)=同県足利市=は「(正造が)生きていれば、きっと喜んだはず」と感慨深げだ。


 佐野市出身で衆院議員を務めた正造は、当時の帝国議会で鉱毒被害を訴えたが聞き入れられず、2001年10月に辞職。同年12月、帝国議会開院式から帰る途中の明治天皇に直訴を試みたが、その場で警官に取り押さえられて直訴状を渡せなかった。



 直訴状は、渡良瀬川流域に広まった「毒土」の除去や、足尾銅山での鉱業を中止して毒の流出を根絶するよう、政府に命じることを求める内容。国民の犠牲の上に文明国家は成り立たないと訴え続けた、正造の信念が込められている。



 直訴は失敗したが、正造の行動は当時の新聞で大きく報じられた。それを読んだ学生らが大挙して被害地を訪れるなど、その後の反対運動の広がりにつながった。



 直訴状はその後、市郷土博物館に寄託された。博物館は普段、複製を展示しているが、この日、陛下が見学したのは実物。山口明良館長によると、15分ほど正造関連の展示物を見学した陛下は直訴状に最も長い時間をかけ、一字一字を追うようにじっくり読んだ。



 「田中のおじいさんは、苦しんでいる被害民たちをただ見ていられなくて、大騒ぎしていた素直な人だった」と定子さん。「明治天皇への直訴状を、ひ孫であっても天皇陛下に見ていただいたのだから、喜んでいると思います」と話している。

              ◇

 両陛下は博物館の視察に先立って、ラムサール条約に登録されている渡良瀬遊水地も視察された。風雨が強まる中、貯水池近くを散策しながら、ヨシによる水質浄化の効果や絶滅の恐れのある植物などについて説明を受けた。

 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014052202000132.html