HOME |菅元首相が吉田調書を巡る読売新聞の社説に大抗議。「読売新聞は社説に責任を持て」 と。(菅ブログ) 読売は同調書取材で、朝日、産経、共同に抜かれ大惨敗。腹いせの菅批判か |

菅元首相が吉田調書を巡る読売新聞の社説に大抗議。「読売新聞は社説に責任を持て」 と。(菅ブログ) 読売は同調書取材で、朝日、産経、共同に抜かれ大惨敗。腹いせの菅批判か

2014-09-03 22:22:58

kannnaoto
kannnaoto読売の社説を担当する部署に、私を名指しで批判した8月31日付の社説について、スタッフから電話をし、説明を求めた。しかし、社説を担当する論説部からは何も応答がない。逃げているのか。

 

吉田調書についていろいろな視点から解説するのは大いに結構。しかし、解説の中で個人名を挙げて批判した場合に当事者から求められれば、その趣旨を説明をするのは当然報道したものの責任だ。

 

読売新聞が小泉元総理の原発ゼロ発言に「見識を疑う」社説に書き、その後小泉氏の反論を紙上に掲載した。つまり反論権を認めるのも一つのやり方だ。

 

今回の読売の社説は、昨日の私のブログでも説明したように、私が3月12日早朝に福島原発の現地を訪れたことやベントの遅れの理由を聞いたことを指して「過剰介入」と批判している。しかし住民の避難を判断しなくてはならない原子力災害対策本部長としては、ベントがいつ行われ、どの程度の放射性物質が放出されるかを知ることが極めて重要。

 

そのことを当時、東電本店から官邸に説明要員として来ていた武黒フェローに聞いても「分からない」と言う。そこで現場の責任者と直接話す必要があると考えて、現地に出かけ、吉田所長と直接話した。吉田所長は図面を広げ、電気が通じていないので弁を人手であけなければならないこと。弁の近くの放射線量が高く作業が難航していること。しかし、格納容器の爆発を防ぐため決死隊を作ってでも弁をあけるつもりであることなど、明確に説明してくれた。

 

住民避難に関してはベントを了解する前の11日21時23分にまず3キロ圏の避難と3キロから10キロ圏の屋内退避を原災本部として指示した。更にベント作業の遅れで格納容器の圧力が上がり、格納容器の爆発の危険性が高まったと思われる12日、午前5時55分に10キロ圏内の避難を指示した。この時期、ベントを巡る現場の状況が原災本部に伝わってこず、原子力安全委員長などの専門家の助言に沿って、手探りで避難範囲を決めていた。

 

こうした状況で、現地の責任者と会って話すことが「過剰介入」という読売の社説は納得できない。東電は原発の対応の責任者であるが、住民避難は東電ではなく原災本部の責任である。その責任を果たすためには原発のベントの状況を知ることは何よりも重要であったからだ。

 

読売新聞は責任を持って、私の反論に答えてもらいたい。そして紙上で私に反論する機会を提供すべきだ。逃げを打つことは許されない。

 

<追記>

8月31日付の読売新聞社説ではさらに、「菅氏が、東電の『全面撤退』を阻止したと主張している点についても、吉田氏は『誰が撤退なんて話をしているんだと言いたいぐらいだ』と反発し、『現場は逃げていない』とも述べている。」と吉田調書を紹介しつつ私を批判している。

 

しかし、私に東電の撤退の意向を伝えたのは清水社長からの電話を受けた海江田経産大臣(当時)である。まさに吉田氏が「誰が撤退なんて話をしているんだ」というのは彼自身はそうしたことを考えていなかったからだと思うが、清水社長は海江田大臣らに撤退の話をしたのである。清水社長から電話を受けた経産大臣や官房長官は清水社長が撤退することの了解を求めてきたと受け止めたことは事実だ。

 

読売の31日付の社説では、清水社長から海江田経産大臣にかかった電話には触れないで、私と吉田所長の見解が食い違い、対立しているように書いているが、私は吉田所長の見解と食い違いがあったとは思っていない。私が東電撤退に危機感を持ったのは、あくまで本店の清水社長から経産大臣らにかかった電話であり、吉田所長からではない。

 

私と吉田所長が対立していたかのような社説の表現は読者に誤解を与える。そのような意図で書いたとしたらもっと問題だ。

 

私はこれまで各紙が報道した吉田調書での吉田氏の証言に関して全く違和感はない。現場で原発事故対応に全力を上げていた吉田所長の率直な発言と受け止めている。

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