HOME |米非財務基準機関のSASBのCEOにMadelyn Antoncic氏。知る人ぞ知るリスク分析のプロ。あのリーマンショックでも(RIEF) |

米非財務基準機関のSASBのCEOにMadelyn Antoncic氏。知る人ぞ知るリスク分析のプロ。あのリーマンショックでも(RIEF)

2019-03-11 08:49:05

Maderin1キャプチャ

 

 米ESG情報開示の非営利団体サステナブル会計基準機構(SASB)は、新しいCEOにMadelyn Antoncic氏を選出しだ。同氏は、米主要総合資産運用会社である Principal Financial Groupのグローバル運用部門の責任者からの転身。彼女が米金融界で知られるのは、リーマンブラザース社在籍中に、同社が抱えた潜在リスクを警告して上司と衝突、破綻前に社を去ったというエピソードの持ち主である点だ。

 

 マデレインは、リーマンだけでなく、ゴールドマンサックス、バークレイズなどの主要なウォールストリートの金融機関で、リスク分析の専門家として30年以上もの経験を持つほか、世界銀行の財務部門も歴任してきた「つわもの」である。

 

 伝説となっているのが、リーマンブラザースの最高リスク責任者(CRO)として、CEOのDick Fuldと対立、首になった辞任劇だ。ゴールドマンサックスのモーゲージ商品のトレーダーをしていたマデレインは、1999年にリーマンに移籍、当時のCROの片腕として働いた。

 

SASBキャプチャ

 

 リスクマネジメントの専門家として実績を積んできたマデレインは、リーマンが住宅債権をベースとしたクレジット証券化商品ビジネスに傾斜するで、頭角を表し2000年にはCROに昇格した。2006年には専門誌が選ぶ「同年の最高リスクマネジャー」の称号も得た。

 

 ところがリーマンのビジネスは2003年ころには、投資銀行というよりも、不動産のヘッジファンド化し、膨大な潜在リスクを内部に抱えるようになっていった。CROのマデレインは、ことごとくCEOのFuld氏と対立するようになる。決定的な対立は、破綻前年の2007年に起きた。

 

 彼女がFuldに「この銀行はあまりにリスクを抱え過ぎている(too risky)」と警告したことに対して、Fuld氏は「Fire!(首だ)」。彼女を追い出した。後任には、自らのお気に入りのイエスマンを就け、その後は周知のとおりの展開になっていく。

 

競売にかけられるリーマンブラザーズの看板
競売にかけられるリーマンブラザーズの看板

 

 リーマンを去ったマデレインは世界銀行に入り、世銀が発行するグリーンボンドの推進役の一人となった。ESGを軽視した資金の流れをただすことをグリーンボンドに見出した点で、リスク分析の専門家としての視点が生かされた形でもあった。

 

 リーマンショックから10年強を経て、非財務基準を完成させたSASBのトップに、マデレインが就任したのは、この間の時代の変化を映すとともに、新たなリスクの視点を、みんなが見失っているかもしれないことへの警鐘のような気もする。

 

 洋の東西で、ESG投資が喧伝されている点だ。本来、ESGは非財務リスクの評価が論点であったはず。それが、ESG評価に取り組めば、リスクは減り、新たなオポチュニティが容易に手にできるかのムードが漂い、語られている点だ。

 

 国連の持続可能な開発目標(SDGs)の語り口もこうした文脈に近い。グリーン事業はまだしも、ソーシャル事業のリスク・リターン評価は、本来のビジネス事業よりもはるかに困難なはずだ。ビジネス化が困難だから、民間資金が流れず、社会課題の解決が滞っているのが現実だ。

 

 ESGが、SDGsが、新たなバラ色のビジネスの場であるかのような「錯覚」が、錯覚として認知されずに広がっているとすると、どことなく「リーマン前」と似通っていないか。「錯覚の規模」はまだ小さいが。

 

 マデレインが、SASB開発の非財務基準を、各企業の非財務情報の財務化プロセスに取り込まさせて、それを投資家が自らの目線で財務、非財務のリスク評価の比較検証を行うというリスクマネジメントの強化・深化を促す活動を展開していけるかどうか。その道筋のどこかで、誰かが、また「Fire!」と無知なる暴言を吐かなければいいが。

                      (藤井良広)