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維新の会の 選挙公約に見る「霞が関」的巧妙さ (古賀ブログ)

2012-12-02 10:59:14

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29日、世間が注目する維新の政権公約「骨太2013-2016」が発表された。その内容をざっと見て感じたのは、様々な面で「霞が関文学」と言ってよいテクニックが使われているということだ。いくつか例示を挙げてみたい。 

●「ただの例ですから」という言い逃れ

  1. 骨太本文と政策実例の違い

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今回の「骨太」には、本文とそれに付属する「政策実例」とが含まれている。実例集は単なる例示に過ぎないので、必ず守るというものではないはずだ。ただの例ですからと言って逃げられるようにしてある。ちゃんと約束しているのは骨太本文だけということなのだろう。

 民主党は、30年代ゼロを閣議決定できず、付属文書に落としながら、30年代ゼロと決めたと言い張ったが、まさにそのやり方を思い出す。本文は当たり障りのないことだけが並んでいる。ただ、憲法改正だけは何が何でもやることだけが伝わってくることに違和感を感じる。

  2.「既得権と闘う成長戦略」が本文から落ちている。

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これは、ものすごい後退だ。維新八策では入っていた。今回の選挙の最大の争点にして欲しかったテーマだが、関連の項目が全て実例に落ちてしまっているので全く迫力がなくなった。結局、本文には、厳しい話は入ってない。しかも、実例の中の農業、医療などについて書いてあるところだけ、重ねて (例)、と書いて、決して具体的に約束してるわけではありませんよ、というニュアンスを色濃く出している。他の実例のところには、わざわざ(例)などとは書いていない。

 たちあがれがごねて、農協、医師会対策としてやったのだろうが、かえって目立ってしまった。

 霞が関文学の技に溺れたケース。

  3. 「脱原発依存」と脱原発の違い

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脱原発依存はゼロにしないことを含むということで、当初、菅さんや野田さんをを抑えるために経産省が考えた言葉だ。「依存」とは、頼ること、もっと言えば、それがないと生きられないという意味だね、と来る。1割くらいなら、頼ってると言えないよね。すぐに他に代えられるから、というように使う訳だ。

2割だとまずいかな。15%までならいいだろう、ということで、30年15%に落すための霞が関文学。ただし、あまり説得力を持たない、ひとりよがりのケース。いずれにしても、ゼロにするかどうかが争点になっているのに、わざとそれを隠そうとしているのは卑怯だと言われるだろう。

 ●「厳格に」の霞が関的解釈

  4. フェードアウトの意味

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ゼロかどうかが論点になっているのに、なぜゼロではないのか。わざわざフェードアウトという意味は?霞が関文学としては、初級。

 

 5. 「既設原子炉フェードアウト」と「既設」を付けた理由

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自民党は、「リプレース」、つまり、「建て替え」で原発は維持する作戦だ。この部分は、多分、たちあがれがそれに合わせようとして書いた霞が関文学だろう。「新設」は認めるか?と聞くと、認めないと言う。これは、新しいサイトは作らないという意味だ。サイト内の「増設」は?と聞くと、これもやらないと言う。

 さらに、「40年廃炉」も厳格に守る、と言う。実は、厳格に、というのは例外があるのが霞が関の読み方だ。本来は例外なく、と言うべきなので、ここにもトリックがあるが、普通は気づかない。新設なし、増設もなし、40年廃炉原則は厳格に守る、と聞けば、「それなら、ゼロになるな」と誰もが思う。それが狙いだ。実は、その先があり、「建て替え・リプレース」もやらないのか? と聞くと、古いものを動かすより、新しいものにした方が安全でしょ?と答える。つまり、建て替えは認めるということ。建て替えを認めると、いつまでたってもゼロにはならない。たちあがれが入れさせた文言だろう。

 フェードアウトという言葉で、ゼロに向かうのかな、それなら前進、と錯覚させる。きれいな文言を出しながら、実は正反対の原発維持を狙うやり方。かなり高度な霞が関文学。裏に官僚がいると思われる。片山、園田氏らは、こういう仕事のプロだ。守旧派官僚に支えられながら原英史氏と戦って腕を磨いたとしたら皮肉な話だ。

 6.「女性労働力の徹底活用」という言葉に表れた上から目線の男の発想

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霞が関文学とはちょっと次元が違うが、少し苦言を呈しておきたい。この表現は、女性を経済成長のために働かせればいいという発想だととられやすい。前近代的な言い方だ。女性の自己実現や働きやすい環境の整備とか、職場の提供とか、女性の立場に立った発想ではない。こういう考え方だと男社会の悪い面が女性にもさらに広がり、どんどん強化される可能性がある。

 時間がないドタバタで作ったと言うのだろうが、それにしても無神経と言われるのではなかろうか。