「ふくしまから はじめよう」ってなんだろう(玉川啓)
2013-12-26 10:31:20
「ふくしまから はじめよう。」ってなんだろう。 この1年、この問いを何度も繰り返してきました。自分なりの今のこたえを残しておきます。 …
ひとつは、この過酷な経験に押しつぶされない。自ら歩んでいくこと。一人の人として、あがき続けていく、自分みずからの足で立っていく。 それを他の人からではなく、自分自身の想いとして「はじめていくこと」。 自分自身に対する励ましであり、決意なのかもしれません。もうひとつは、「ふくしまから はじめる」ということ。 「ふくしまから」でもあり「はじめる」ということでもあること。
ふくしまは、FUKUSHIMAでもフクシマでもなく、そして実は 福島県でも福島市でもなく、ここの時代に生きるみんなに関わる、 集うことができる、「ふくしま」。 今この地域に住む人だけの地域ではなくなりつつあります。
先日の記事で「福島の復興ではなく日本の復興」「人としての復興」。 「日本人としての復興」というコメントをいくつか頂きました。
この「ふくしま」には、今、とてもとても、多くの方々が集い、 小さな出来事から、大きな出来事を含めて、 それぞれの人がこの課題を契機として、次の世代に繋がる活動をはじめています。
ふくしまからそれぞれが、できる人が何かをはじめていく。 歴史的な課題から、新たな解を生み出していく。
「ふくしまから はじめる」というのは、 決して「福島の人」に限定されたものではないのですね。
「気づく」ためにはただの自問ではたどり着けない。 他者との出会いがあって、意味のある問いが生まれ、深まっていくのかもしれません。
改めの気づきを促してくれた、ふくしまに昨夜集ってくれた仲間たちに感謝です。
https://www.facebook.com/home.php#!/akira.tamagawa.9
ひとつは、この過酷な経験に押しつぶされない。自ら歩んでいくこと。一人の人として、あがき続けていく、自分みずからの足で立っていく。 それを他の人からではなく、自分自身の想いとして「はじめていくこと」。 自分自身に対する励ましであり、決意なのかもしれません。もうひとつは、「ふくしまから はじめる」ということ。 「ふくしまから」でもあり「はじめる」ということでもあること。
ふくしまは、FUKUSHIMAでもフクシマでもなく、そして実は 福島県でも福島市でもなく、ここの時代に生きるみんなに関わる、 集うことができる、「ふくしま」。 今この地域に住む人だけの地域ではなくなりつつあります。
先日の記事で「福島の復興ではなく日本の復興」「人としての復興」。 「日本人としての復興」というコメントをいくつか頂きました。
この「ふくしま」には、今、とてもとても、多くの方々が集い、 小さな出来事から、大きな出来事を含めて、 それぞれの人がこの課題を契機として、次の世代に繋がる活動をはじめています。
ふくしまからそれぞれが、できる人が何かをはじめていく。 歴史的な課題から、新たな解を生み出していく。
「ふくしまから はじめる」というのは、 決して「福島の人」に限定されたものではないのですね。
「気づく」ためにはただの自問ではたどり着けない。 他者との出会いがあって、意味のある問いが生まれ、深まっていくのかもしれません。
改めの気づきを促してくれた、ふくしまに昨夜集ってくれた仲間たちに感謝です。
https://www.facebook.com/home.php#!/akira.tamagawa.9

































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