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この国と原発:メディアの葛藤/ マスコミOB・東電、訪中ツアー 本人の負担は5万円(毎日) 今頃、意味不明の“言い訳”。「業界ゴロ」がつなぐ企業とマスコミの実態が垣間見え

2012-11-02 09:41:54

経営責任を取らずに退任した勝俣恒久元東電会長
経営責任を取らずに退任した勝俣恒久元東電会長


東日本大震災で東京電力福島第1原発が止まった昨年3月11日、同社の勝俣恒久会長(72)と鼓(つづみ)紀男副社長(66)=いずれも当時=は、毎日新聞を含むメディア関係者らとのツアーで中国・北京にいた。「週刊文春」3月31日号の記事をきっかけに「東電による接待旅行だったのでは」との疑問の声が上がった。実際はどうだったのか。

ツアーの実質的な主宰者は石原萌記(ほうき)・日本出版協会理事長(87)。社会党右派出身で、左翼陣営に対抗して自由主義を掲げ、1950年代から文化人の組織化や日米交流などの活動をしていた人物だ。その活動を当時の東電社長、木川田(きがわだ)一隆氏が支援し、後に経団連会長となる平岩外四(がいし)氏が総務課長として連絡役を務めた。

「日本の政財界、マスコミ界と中国の指導者層が定期的に交流する機会を作りたいと考え、平岩先生の協力を仰いだのです」。石原氏によれば、親しい元中国人留学生から「日中交流事業をしたい」との要望があり、平岩氏に相談。01年にこのツアー「愛華(あいか)訪中団」が始まった。毎年1回、10〜20人前後が参加した。「人選は全て私の判断」と石原氏は言う。

21人が参加した昨年は勝俣氏が団長、鼓氏と毎日新聞元主筆(現顧問)の平野裕(ひろし)氏(81)が副団長だった。メディア関係者は毎日記者OB2人を含む元新聞社幹部や週刊誌元編集長ら計11人。いずれも現役時代に取材などで石原氏とつながりがあり、平野氏は60〜70年代にモスクワ特派員だった頃から、日本と旧ソ連の交流事業を手がけていた石原氏と知り合いだった。

ツアーには東電幹部が毎回同行し、関西、中部両電力の幹部も頻繁に参加した。東電広報部は参加目的を「中国の企業や政府要人と交流を持つため」と説明。参加が3回目だった平野氏も「(東電幹部らは)中国の電力事情の情報収集をするいい機会だと捉えていたようだ」と言う。

一行は昨年3月6日に成田空港を出発。上海で現地の電力会社幹部と懇談した他、遊覧船で夜景を見るなどした。南京では共産党の宣伝担当者や新聞社幹部らと懇談。南京大虐殺の記念館も見学した。北京入りした10日、丹羽宇一郎大使を表敬訪問した後、中国政府の対外宣伝部門である国務院新聞弁公室の幹部らとの夕食会に出席。電力幹部らはグループと別行動することが多かったといい、勝俣氏は同日合流した。

宿泊先はいずれも最高ランクの「五つ星」ホテル。北京市中心部にある「王府井大飯店」の宿泊料はシングルで1泊1万円前後からとされている。石原氏によると、費用は総額550万〜600万円。半額は中国政府と中国側団体が負担し、日本側負担のうち半分は電力会社、半分は自分で企業から集めた。メディア関係の参加者の負担は1人5万円だけだった。

企業から集めた資金には、石原氏創刊の月刊誌「自由」(09年休刊)にかつて東電が支払っていた広告料も含まれている。石原氏は「電力会社は広告料をいつも多めに出してくれた」と語る。同誌には原発推進を訴える記事も多かった。

翌11日、一行は故宮博物院などを訪ねた。震災の発生を知ったのは、中国外務省幹部との懇談のため同省に向かうバスの中。勝俣氏の近くにいた加藤順一・元毎日新聞中部本社編集局長(74)によると、東電北京事務所から勝俣氏の秘書の衛星携帯電話に連絡があったという。

勝俣氏は「原発は安全に止まりました。大丈夫です」と言い「大停電にはなっていません」と2回繰り返した。懇談は「震災対応のため」という中国側からの申し入れで取りやめになった。

1週間後の3月18日、毎日新聞朝刊は勝俣氏と鼓氏、清水正孝社長(当時)の最高幹部3人が震災発生当日、東電本店にいなかったと報じた。勝俣、鼓両氏はすぐ帰国しようとしたが、成田空港の閉鎖で翌12日に帰国。清水氏も関西出張中で11日中に戻れなかった。

記事が載った日、東電からは何の反応もなかったが、平野氏から河野俊史編集局長(56)=現大阪本社代表=に、加藤氏から社会部の鯨岡秀紀デスク(46)=現仙台支局長=に電話があった。平野氏は記事に「勝俣会長が団長で、12日まで上海や南京などを回り、中国財界幹部と会合を開いた」とあるのを捉え「会長が地震後も旅行を続けたように誤解される記事だ」と主張。加藤氏は「会長の事情も取材してほしかった」などと話した。

だが、記事は続けて「11日は成田空港が使えず、勝俣会長らは12日に帰国した」と会長側の事情を明記しており、毎日新聞として問題はないと判断した。

http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20121102ddm002040066000c.html