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グリーンファイナンス市場の「課題」と、政府・中央銀行が果たすべき役割(下):(白井さゆり)

2021-09-20 22:59:40

IEAキャプチャ

 

 今世紀末までに世界平均気温を(産業革命以前と比べて)1.5℃程度に抑制するためには、多額の投融資資金が必要であり、そのためにはグリーンファイナンス市場の発展が不可欠である。「上」では金融市場は気候変動リスクを十分反映していないミスプライシングな状態にあることを指摘した。本稿では、こうしたグリーンファイナンス市場の発展に必要な政府の政策と中央銀行の役割や最近の中央銀行の動向について論じる。

 

グリーンファイナンス市場の発展には政府によるリーダーシップが大前提

 

 グリーンファイナンス市場の発展には、まずはその大前提として各国・地域の政府が気候変動対策に関する費用と便益について国民の理解を促進し、着実に必要な対策を実施していくリーダーシップが不可欠である。国内外からESG(環境・社会・企業統治)投資を呼び込むために特に重要なのは、グリーン関連あるいは脱炭素に向けた投資総額について今後少なくとも10年前後の間にどの程度必要とされるのか、およびそのために政府としてどの程度の公的資金を用意するのか現段階での推計額を示すことである。

 

 たとえば日本政府は、2020年12月に「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」を策定し、現在、「第6次エネルギー基本計画案」や「地球温暖化対策計画案」が策定されている。これらの努力については評価できる。しかし予定される投資総額と政府による資金の負担額、および対策の工程表が明確ではないため早急に検討が必要だ。

 

 また環境への負荷を考慮して炭素価格を段階的に引き上げる対応が気候・エネルギー政策の柱になることは世界的なコンセンサスとなっている。現在、地球温暖化対策税(炭素税)は石油・ガス・石炭などの税に上乗せされているが、それらの合計は温室効果ガス排出量が最も多い石炭燃料の税額が一番軽く、原油・石油製品の税額が最も重くなっている。この点は、排出量の大きさに比例した税体系に変更する必要がある。そのうえで、より幅広い項目に炭素税を拡充していく必要がある。

 

 フィーベイト(feebate)システムの導入も検討しうる。これは、温室効果ガスの排出量が多いガソリンエンジン車の購入に新たに課税をし、その収入を電気自動車やゼロエミッション車の購入の補助金として支給するシステムである。電気自動車の販売を促進しかつ炭素税の増税幅を抑制するためにも重要な政策手段となりうる。さらに、東京都や埼玉県で実践されている排出枠取引制度の拡充、化石燃料関連の補助金や優遇する規制の撤廃、ゼロエミッション車への補助金の拡充や再生可能エネルギーを拡充するための規制緩和といった複数の対策を組み合わせることが望ましい。

 

 これらの政策により、再生可能エネルギーなどと比べて炭素価格が相対的に上昇していけば、政策の方向性が明確になり、企業による脱炭素を促すイノベーションやESG投資が一段と促される機会となる。また再生可能エネルギーなどのビジネスの採算が改善し、真に脱炭素にプラスのインパクトをもたらすESG投資が誘発される可能性が高まるであろう。

 

政府主導によるグリーン・トランジション活動の定義が必要

 

 各国・地域の政府は、グリーンな活動・プロジェクトを明確に定義し、必要に応じて数値基準を明確にするべきである(同時に各国で合意形成を急ぐ必要がある)。現在、市場ベースのグリーンボンド原則(GBP)や、さまざまな環境評価会社のスコア・レーティングなどがある。だが、その多くは企業あるいはプロジェクトの排出量について正味ゼロ目標対比でのインパクトの大きさが不明確である。「グリーン」とのラベルを付していても、さほど環境改善にプラスのインパクトが大きくないプロジェクトに資金が多く回ってしまう可能性もある。そうなると、なかなか脱炭素に向けた本当に必要な投資は進まなくなってしまう。

 

 環境的に持続可能な活動に関する定義は、欧州連合(EU)が精緻なタクソノミー規則の策定を通じて世界に大きく先行している。各国・地域のグリーンの活動の分類は、正味ゼロ目標の実現に向けた具体的戦略を反映した分類になるため、原発の有無など各国・地域間で多少の違いはあると思われる。いずれにしても、政府公認のグリーンなどの数値基準の設定があれば、ESG投資家は環境インパクトを予測し易くなる。

 

 グリーンファイナンス市場への信頼性を高めてより多くの資金を投じるインセンティブを高め、ESG投資家が投資期間の長期化を図る可能性もある。また、グリーンの活動の定義を明確にできれば、脱炭素に向けたトランジションの活動の定義も明確にできる。トランジション活動に、正味ゼロ目標との関係で、期限と段階的な数値基準の強化を導入すれば、脱炭素に向けた経路に対する説得力を高め、ESG投資家の資金を呼び込むことにつながる可能性がある。

 

 そうした投融資を幅広く呼び込むために、EUではタクソノミーの開発に早くから着手してきた。現在ではグリーンを含む環境に持続的な活動だけでなく、トランジション活動や環境に大きな打撃を与える活動を含めた分類の検討が進められている。さらに、グリーンタクソノミーの社会版として、社会的に大きな寄与をするプロジェクトと大きな打撃を与えるプロジェクトを分類する「ソシアル・タクソノミー」の検討も進む。

 

GB002キャプチャ

 

グリーン国債の発行はグリーンイールドカーブの形成に重要

 

 次に、日本を含めまだグリーン国債を発行していない国・地域の政府は、グリーン国債の発行を検討すべきである。既に世界では多くの国がグリーン国債を発行しているが、グリーンの定義を明確にしたうえでグリーン国債を発行していくことが望ましい。大自然災害による被害が増えていることから、公共投資でも気候変動対策として「適応」という観点から被害を少なくし災害に対する強靭性を高める投資も重要になっている。

 

 グリーン国債については満期の異なるグリーン国債を発行することで、グリーン利回り曲線を形成することができ、他のグリーンボンドやグリーンローンのベンチマークとなり得る。現在は、ESG投資家によるグリーンボンドなどへの需要が供給を大きく上回っているため、通常の国債よりも安く資金調達が可能な事例が多い。ただし通常の国債よりも発行額がかなり少ないため、流動性が低くなりがちである。この問題を改善すべく、ドイツ政府が同じ満期にそろえた普通国債とグリーン国債のツイン国債を発行しており、それらの国債間で流動性を確保している点は非常に興味深い。

 

企業による排出量目標と開示情報の標準化の促進

 

 ESG投資家の信頼を高めて投資額を増やしていくためには、企業によるデータを含む情報開示を段階的に強化し義務化を進めていく必要がある。環境課題は気候変動以外にも生物多様性、水資源・水ストレス、サキュラーエコノミー、汚染など幅広い分野を含むが、現在の世界おける議論では最初に気候変動における情報開示を優先させ、段階的に他の環境問題への取り組みを進めていくとのコンセンサスが形成されつつある。

 

 したがって、まずは排出量データについてスコープ1(自社の排出量)とスコープ2(他社から供給された電気など)の開示から始めて、スコープ3(サプライチェーン等の排出量も含む)については段階的に開示内容を広げていくことが望ましい。スコープ1とスコープ2の排出量については少なくとも2030年目標(2050年など長期目標があるとなお望ましい)の設定を含めて、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)提言に沿って開示していくことが期待されている。

 

  TCFD提言が2021年秋に改訂されるが、改訂のたたき台によれば、スコープ3にもとづく排出量に関する情報開示を重視している。その際、GHGプロトコールに基づくスコープ3の15カテゴリーの中で、全排出量の4割以上を占める項目や当該企業にとってマテリアル(重要)な項目の開示を要請している。また排出量の絶対量と原単位の両方での開示を推奨している。まずはこうした排出量の時系列データの開示と2030年などの排出削減目標などの設定を含めたうえで、TCFD提言にもとづく開示を大手上場企業から義務化を求め、徐々により規模の小さい企業に適用していくことが望ましい。

 

  2022年4月から東京証券取引所のプライム市場に上場する企業は、TCFD提言に沿った開示が要請されている点は高く評価する。しかし、開示は「コンプライ・オア・エクスプレイン(Comply or Explain)」ベースで完全に義務付けられていないうえに、具体的な開示内容について言及されていない。現在のTCFD提言にもとづく開示の課題は、TCFD提言に賛同して開示をしている企業間でも内容のばらつきが大きく、しかもシナリオ分析の具体的な数値の算出方法や分析結果をどう企業経営に取り入れているかは明確ではない。このため、今後は、政府によるTCFD提言に沿った開示の標準化、とくに気候シナリオ分析について企業間比較ができるように主要セクター別に分析方法の標準化を進めていくことを検討すべきである。

 

金融市場のミスプライシングと中央銀行の役割

 

 中央銀行は政府の気候変動対策をあくまでも補完する役割となるが、「上」で指摘したように、可能な限り金融市場のミスプライシングの是正に貢献できるよう検討すべきである。これまでの多くの中央銀行は経済全体に満遍なく金融政策の効果を行き渡らせるために、できるだけ市場に中立であるべきとの原則を重視してきた。特に欧州の欧州中央銀行(ECB)やイングランド銀行などは社債などの買い入れの際にはそうした中立性原則が採用されてきた。

 

英中央銀行のインフランド銀行
英中央銀行のインフランド銀行

 

 しかし先に指摘した市場のミスプライシング課題を放置すれば、政府のネットゼロ目標の達成を遅らせかねない懸念が生じている。現行の社債発行の多くは、排出量の多い資本集約的な大手企業による発行が多いことからも、従来通りの買い入れ政策では、排出量の多い企業の活動を温存することにつながりかねないからである。以下、3つの観点から中央銀行の役割を検討する。

 

(1)気候変動に関するマクロプルーデンス政策

 

 欧州の複数の中央銀行では、気候変動リスクが顕在化すると金融機関の投融資ポートフォリオで損失が生じ、金融システムの安定を損なうことへの懸念を高めている。このため金融機関に気候ストレステスト(シナリオ分析)や投融資ポートフォリオの排出量について投融資先企業のデータを把握し情報開示を促すことで、金融機関の投融資ポートフォリオのグリーン化を図る動きが見られ始めている。

 

 この点、ストレステストで最も先行するのがイギリスのイングランド銀行だ。「上」で指摘した3つの気候シナリオ(現状維持シナリオ、円滑に1.5℃を実現するシナリオ、無秩序に1.5℃シナリオを実現シナリオ)について、銀行と保険会社に対して現在本格的なストレステストを実施中である。すでに2009年に大手保険会社に対して気候ストレステストを実施した経験もある。イギリスでは企業・金融機関に対してTCFD提言にもとづく開示の段階的な義務付けへの動きも始まっている。

 

 カナダの中央銀行も気候ストレステストを検討している。ECBでは、法的拘束力はないものの、2020年に銀行に対して気候関連と環境リスクに関するガイドラインを発表し、気候変動リスクを安全かつ慎重に管理し、そのリスクについて透明性を高めるために開示することや気候変動リスクのストレステストの実践を促している。

 

(2)中央銀行の非金融政策関連資産の運用方針

 

 中央銀行の非金融政策関連資産には外貨準備(外貨資産)、職員の年金資産、あるいは量的緩和とは無関係に保有する国内外資産などが含まれている。こうした資産の運用に環境基準などを導入または検討する中央銀行が増えている。一般的に、外貨準備資産を運用する場合、売却が容易なこと(流動性)が重要な要件となっているため、各中央銀行は同要件の範囲内でリターンを考慮して運用を実施している。ここに、新たに環境基準も含めて資産運用を行う動きが見られるようになっている。

 

仏中央銀行のフランス銀行
仏中央銀行のフランス銀行

 

 フランス中央銀行は、既に2018年から自行のファンドと年金債務のポートフォリオについて「責任投資アプローチ」を適用し、ファンドの株式については排出量の多い企業への投資を排除し、ESGのスコアをもとにウエイトを調整して投資を実施している。年金資産の運用についても2022年末までにそうしたアプローチを採用する計画である。石炭関連からの投資については遅くとも2024年までに売却を宣言しており、2018年以来、投資対象について石炭関連の売上高が20%を超える企業を除外し、2021年にはこの閾値を2%へ引き下げる。石油関連についても、2024年までに石油関連からの売上高10%以上の企業およびガスからの売上高50%以上の企業は投資先から除外する予定である。

 

 オランダ中央銀行では、2019年3月に中央銀行として初めて国連支援の責任投資原則(PRI)に署名し、外貨準備や国内資産についてESGの観点を考慮している。さらに、クラスター爆弾、地雷、化学兵器、生物化学兵器、原子力兵器などの生産に関与する企業は投資対象から排除している。最低限の倫理的基準として国連グローバルコンパクト原則をもとに、問題がある企業については投資対象から除外するネガティブスクリーニングも実践している。イタリアの中央銀行も自行の株式ファンドについてESG基準を適用することを決めている。

 

  フィンランド中央銀行も2019年12月にPRIに署名し自行の投資についてESG基準を反映させることにコミットしている。2021年9月には自行の投融資ポートフォリオについて遅くとも2050年までにカーボンニュートラルを達成する計画を発表し、そのためのロードマップと中間目標を策定中だと発表している。投資要件として、これまでの、流動性、安全性、リターンに加えて、新たに4番目の基準として「責任」を追加して、これらの観点からもポートフォリオ全体を見直していく予定である。さまざまな資産の中で、まずは株式と債券について2050年目標と相いれないビジネスモデルをもつ企業への投資を削減し、2050年より前にカーボンニュートラルが達成できる見通しだという。

 

  ユーロ圏全体のアプローチとしては、ECBとユーロ圏19カ国の中央銀行で構成する欧州中央銀行制度(ユーロシステム)は、2021年2月に金融政策以外の目的で保有しているユーロ建てポートフォリオに関して、気候関連について持続的で責任ある投資原則についてユーロ圏共通のスタンスで対処していくことで合意している。この共通の投資方針により中央銀行の保有する資産に対する気候関連リスクの情報開示と理解が促進されると期待されている。ユーロシステムは2年以内にこれらのポートフォリオについて、少なくともTCFD提言などとも整合的に気候関連の情報開示を開始することも目指している。ポートフォリオにおける温室効果ガス排出量の測定やそれ以外のサステイナブルで責任ある投資関連の評価基準について現在準備を進めている。

 

欧州中央銀行(ECB)

欧州中央銀行(ECB)

 

 スイス国立銀行も2020年12月に外貨準備の資産運用で、石炭採掘に関与している企業を運用ポートフォリオから除外するネガティブスクリーニングを発表している。スウェーデン中央銀行のリクスバンクも、外貨準備資産として米国やドイツの債券のほかに、豪州とカナダの連邦地方債なども保有しているが、2019年から環境基準を導入し、同年末に排出量の多いカナダのアルバータ州と豪州のクイーンズランド等の地方債の売却に踏み切っている。

 

(3)中央銀行の金融政策関連の資産の運用方針

 

 気候変動問題に対処するための金融政策については、イギリスの動きが興味深い。イギリスは2019年には2050年までに排出量の正味ゼロ達成目標を掲げ、法制化した。さらに2021年4月には独立した気候変動委員会の提言を受けて、2035年までに排出量を1990年対比78%削減する目標を法制化する予定だと発表した。既に2030年までに68%削減目標でコミットしており、世界でも最も野心的な削減目標を掲げているが、それを一段と削減し必要な対策を前倒しして実施する。政策の詳細については英国で2021年11月に開催する国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)までに公表する計画である。

 

 こうした積極的な気候変動への取り組みの一環として、2021年3月にリシ・スナック財務大臣がイングランド銀行総裁のアンドリュー・ベイリー氏に宛てた書簡の中で、金融政策運営の責務として物価安定などの他に、温暖化ガス排出量の正味ゼロ社会へ向けた移行を追加しており、主要な中央銀行としては画期的な動きを示している。イングランド銀行はただちに歓迎するとの声明文を出し、2021年5月に社債買い入れについて具体的な原則を示した協議文書を公表している。正味ゼロへの移行と整合的でないと判断される企業が発行する社債を投資対象から除外する可能性を検討するとした。

 

 つまり、社債買い入れについて従来の中立性原則を撤廃し、排出量の正味ゼロ達成に向けた企業行動の変化を促すために将来の(再投資などの際に)正味ゼロの達成の見地からグリーン基準を導入する。正味ゼロ目標との関係でパフォーマンスの良い社債をより多く買い入れることでウエイトを調整する傾斜方式(ティルテンング)、および段階的にその基準を強化して傾斜を強めていき将来的には未達の社債は対象から除外・売却の可能性も含むこと(エスカレーション)などの原則である。イギリス政府は2021年9月からグリーン国債を発行しており、9月発行分は12年物、10月に発行するグリーン国債は20-30年物を計画している。これにより、イングランド銀行の資産買い入れ対象も拡大する。

 

 一方、ECBは以前から域内で発行されている様々なグリーンボンドを購入している。2021年からはサステナビリティリンクボンドも買い入れ対象としているが、中立性原則を維持して買い入れを進めてきた。しかし、保有する社債には排出量の多い企業が発行する社債が多く含まれていることを懸念し、2021年7月に金融政策の戦略レビューを公表し、金融政策運営で気候変動を含めるためのアクションプランも公表し、社債買い入れについてはイングランド銀行と同様な検討に着手している。企業の情報開示についても、社債買い入れや金融機関がECBから資金供給を受ける際の担保要件として考慮するなどのアクションも検討している。これらの措置は、EUが2050年までに排出量を正味ゼロにする目標を掲げ、2030年には(1990年対比)55%まで削減する中期目標を掲げる野心的な気候変動対策をサポートする狙いがある。

 

  EUでは7500億ユーロの復興基金の予算執行を開始している。この財源の3割をEUとしては初めてグリーンボンドの発行でファイナンスする計画だ。発行に際しては国際資本市場協会(ICMA)のグリーンボンド原則(GBP)に依拠するが、EUのタクソノミー規則も反映させている。2021年10月に最初の発行が予定されており、発行後はECBによるグリーン国債の買い入れも増えていくと予想される。

 

 またEUでは、投資家によるグリーンウオッシングの懸念を減らすことでグリーンボンド投資を促進するために、国・地方自治体・企業によるグリーンボンド発行について欧州グリーンボンド基準(GBS)の設置規則案を2021年7月に発表している。今後、EU理事会(閣僚理事会)と欧州議会で採択されていくと見られる。これにより信頼性の高いグリーンボンドが発行されればグリーンファイナンス市場が拡大し、ECBによる買い入れも増えていくことが期待される。ECBもイングランド銀行と同じく、市場の中立性にこだわると金融市場のミスプライシングを温存することにつながり、気候変動の観点で効率的な資源配分を妨げる、との認識があると思われる。

 

 スウェーデンの中央銀行のリクスバンクが保有する自国通貨建て資産ポートフォリオは、国債、地方債、カバードボンド、社債、コマーシャルペーパーなどから構成されている。すでに社債などについては、信用格付けだけでなく国際的な規範やサステナビリティの規範など最低要件を適用して資産買い入れをしている。ある種の規範ベースのネガティブスクリーニングに相当すると見られる。

 

日本銀行
日本銀行

 

 一方、日本銀行は、銀行などへの流動性支援において、銀行によるグリーン・トランジションのボンドやローンおよびサステナビリティリンクボンドなどへの投融資を条件に0%の低金利融資を年内に開始することを決めた。ただし銀行のグリーン化自体にかなり時間を要するため、そうした政策の効果は、イングランド銀行やECBと比べて間接的でかつ限定的にならざるをえない。

 

  少なくとも脱炭素を目指して、銀行による融資を排出量データと目標を設定している企業に絞るなど、企業の排出削減行動への影響度を高める仕組みが望ましい。金融庁との協力体制も必要であろう。日銀の0%融資は満期も1年間で無制限に借り換え可能としたが、4年以内としていた既存の環境・エネルギー事業を含む「成長基盤強化支援資金供給」と整合的に満期の長期化を図るのが望ましい。

 

  社債・上場投資信託(ETF)については、現在はTOPIX連動型ETF買い入れのみに限定している。だが、TOPIXは東証第1部に上場する全ての企業を含めているため温室効果ガス排出量の多い企業も多い。したがってTOPIX連動型ETFの買い入れは停止し、企業の情報開示に合わせて企業の脱炭素化を促すようなETFの買い入れを進めていくべきであろう。たとえば、ある程度情報開示が進めば、売上高にグリーン関連が占める割合が50%以上の企業の銘柄から構成されるETFの買い入れなども一案である。また政府がグリーン国債を発行すれば日本銀行の買い入れ資産もグリーン化が促される可能性がある。

 

 最後に、気候変動を重視する中央銀行が増える中で、現在の「中央銀行サークル」では、物価安定の使命を最優先しつつその範囲内で気候変動対策の支援を実施または検討する意向と見られる。そのため主要政策手段である政策金利は経済全体に満遍なく影響を及ぼす従来の方針を維持し、資産買い入れなどの量的緩和、あるいは再投資、または期間が長めの銀行支援に環境基準を適用する枠組みが採用されつつある。

 

 しかし、今後、世界各国・地域による排出量の正味ゼロの達成に向けた政策が十分に取られない場合、物理的リスクが顕在化し、今世紀末に向けて世界平均気温が3℃を超えて大きく上昇していく可能性がある。そうなると、生産活動や生活拠点が打撃を受けて経済成長率が大きく下押しされたり、食料価格やコモディティ価格の高騰などによるインフレ率の上昇や、生産量・物価の変動が大きくなるスタグフレーションが発生し、金融システムの安定を損なうリスクが高まっていく。中央銀行によるインフレ率、経済成長率、雇用などの見通しも大きな影響を受けることになる。その際には物価安定(インフレ)目標の見直しや金融政策のマンデートの精緻化を含む金融政策の根底からの見直しが必要となる時代が来るかもしれない。

 

  いずれにしても、中央銀行は世界が直面する気候変動に対して今から理解を深め、気候変動と金融システムとの関係あるいは気候変動と金融政策のトランスミッションとの関係に関する研究・分析を進めてマクロ経済モデルの開発に着手していくべきである。従来の金融政策の枠組みの原則や中立性原則にこだわり過ぎるのではなく、世界が直面する困難な課題に対して様々な角度から既存の経済政策の在り方を検討する柔軟性が重要である。

 

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白井さゆり(しらい さゆり) 慶応義塾大学総合政策学部教授。コロンビア大学経済学博士。元国際通貨基金(IMF)エコノミスト。2011~16年日本銀行政策委員会審議委員として金融政策決定に関与。2020年より英系Federated Hermes EOS 上級顧問。