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「原子力明るい未来」の原発標語の考案者 胸痛め「脱原発」発信。「原子力に明るい未来はない」(河北新報)

2015-03-05 22:15:34

防護服と喪服を着込んだ大沼さん夫妻。納骨で福島県双葉町を訪れた際、セルフタイマーで撮影した=2013年11月9日
防護服と喪服を着込んだ大沼さん夫妻。納骨で福島県双葉町を訪れた際、セルフタイマーで撮影した=2013年11月9日
防護服と喪服を着込んだ大沼さん夫妻。納骨で福島県双葉町を訪れた際、セルフタイマーで撮影した=2013年11月9日


東京電力福島第1原発事故で住民の大半が避難する福島県双葉町で、写真を撮り続けている男性がいる。撮影ポイントは「原子力 明るい未来のエネルギー」との看板が掲げられた町中心部へのゲート前。

「子どもの時に自分が応募した標語。考案者として責任を感じている」と、画像で脱原発のメッセージを発信している。

男性は同町に住んでいた自営業大沼勇治さん(38)。事故後、避難先の茨城県古河市に移住した。以前はゲートのすぐ脇で、オール電化のアパートを東電関係者らに貸していた。

 

初めてゲート前で撮影したのは2011年8月。以来、町に戻るたびにレンズを向けるようになった。構図を工夫し、標語の「明るい」の部分を「破滅」と書いた紙で隠したり、「原子力」の部分を「脱原発」としたりしたこともあった。

 

13年11月には妻せりなさん(39)と一緒に写真に収まった。喪服姿の下は白い防護服。叔母の遺骨を双葉町内にある寺に納骨する際、撮影した。
親類は事故でばらばらとなり、納骨に参加できたのは大沼さん夫妻だけ。地縁すら奪われた怒りといら立ち、むなしさを1枚に込めた。

 

町内に福島原発5、6号機が立地するなど、原子力は身近な存在だった。小学6年の時、学校の課題で提出した作品が優秀賞に選ばれた。大きな看板に標語として採用され、ゲートは「自分にとって特別な場所」となった。

 

晴れやかな場所は、原発事故で一転して悲劇の象徴となる。ニュースなどでテレビに映されるたびに胸を痛めた。

 

撮影した写真はブログにアップするなどしている。「原子力に明るい未来なんてない。今はそう思っている。今後も被災地の現状を伝えていく」。大沼さんが力を込めた。

 

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201503/20150305_63008.html