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巧みに官僚主導に持ち込まれる原子力規制委員会(古賀ブログ) 規制委と官僚、政治の関係がよくわかる。よく読もう!
2012-11-10 14:38:57
●心配が現実になってしまった
関西電力大飯原発大飯原子力発電所3、4号機の敷地内に活断層があるのかどうかの調査が11月2日に行われ、4日と7日にその判定のための規制委員会の専門家の評価会合が開かれた。結局、活断層であるとする東洋大学の渡辺光久教授と地すべりの可能性があるとする立命館大学の岡田篤正教授の見解が分かれ、活断層の可能性があることについては意見の一致を見たものの、最終結論は持ち越した。
規制委員会は、追加調査を行った上で重要な成果が得られた段階で最終判断を行うとしている。しかし、あくまでも調査は関西電力が中心となって行うので、成果が得られないと言ってサボタージュを続けている間は大飯原発は止められないということになった。
この調査を実施する前までの規制委員会の活動をマスコミは好意的に報じていた。少なくとも、マイナスのイメージを与えるような報道は控えていたような印象だ。
しかし、私は、委員会発足前から、委員の人選もさることながら、むしろ、委員会の弱体性の故に結局は、委員個人がどんなに頑張っても真の安全規制を行う組織になる可能性は極めて低いと見ていた。そして、現状は、まさに心配していた方向に動いているように見える。
●トリックに引っかかった委員長
委員の人選以外の問題点は何か。まず、委員会の事務局である原子力規制庁がほとんど原子力安全保安院からのひも付き出向者で成り立っていて、安全確保の能力を持っていないという本質的な問題を抱えている。しかも、ノーリターンルールが完全に骨抜きにされ、経産省からの出向者は、経産省の方を向いて仕事をする仕組みになっているから、本来の目的、すなわち原子力ムラと癒着した経産省から安全規制機関を切り離すという目的の達成がほぼ達成不可能になってしまった。
各委員が独立して業務を行うためには、自分が信頼できる自前のスタッフを持つことが不可欠だが、そういうスタッフを大量に雇うということは行われていない。結局、経産省などから集めた能力にも中立性にも疑問のあるスタッフを使って仕事をするしかない体制になっている。これから委員がこなさなければならない仕事は、山ほどある。それをどういう手順でどのように進めるかを整理するだけでも大変だ。もちろん、実際に業務を遂行するためには、事務方の協力が欠かせない。そう考えると、委員主導の安全規制は望むべくもない。
それは、規制委員会発足前から明らかになっていた。この夏、委員長候補だった田中俊一氏が国会で所信表明する場面があった。その中に、大飯原発の再稼動問題が取り上げられたが、当然、事務方が振り付けをしたのだろう。田中氏は、「活断層があれば止めてもらうことになる」という趣旨の発言をしている。
マスコミは、こぞって、大飯停止の可能性に言及という趣旨の見出しを立てて報じたが、私は、最初のところで官僚にうまくはめられたな、と思った。何故なら、新しい安全基準をどうするか、まだ何も決まっていないのだ。活断層との関係をどうするかももちろん決まっていない。安全を重視する考え方に立てば、「活断層がないとわかれば稼動を認めるが、それがはっきりしなければ(グレーであれば)稼働は認めない」という考え方に立つのが正しい。にもかかわらず、「活断層があるとわかったら止める」と言ってしまったのだ。
大飯を止める可能性に言及しただけでマスコミは、現状より安全サイドに立っていると騙されるだろうという官僚の読みだ。そして、これは、私の推測だが、おそらく、官僚は、「思い切って、停止の可能性に触れてもらって結構です」と田中氏に進言していたのではないか。今動いている原発の停止に言及するのは、確かに「正義の味方」を演出するには効果的だ。準備の時間もないまま国会に呼び出され、多数の、しかも極めて難しい問題に答えなければならない田中氏が、想定問答を見て、「これなら、まあいいか」と、錯覚に陥ったとしても不思議ではない。
もし、自前のスタッフを持っていれば、おそらくこの手のトリックには引っかからなかったのではないかという気がする。その後、活断層だと断定できなくても、「濃いグレーなら止める」というところまで、停止のケースを拡大したのは、せめてもの抵抗だろうが、一度さかさまのルール設定をしてしまったので、これを逆転して、活断層がないと断言できなければ稼動させないという基準にすることができなくなっているのだろう。
●「日帰り調査」という落とし穴
もちろん、この時から官僚は、ある破砕帯が活断層だと断言することは非常に難しいということは百も承知の上でやっている。複数の専門家で調査検討させれば、必ず意見が割れるということは計算づくだ。そうなれば、活断層だとは断定できないということで、大飯は止められないということになる。
また、調査を関西電力に行わせるという方法についても、従来のやり方をそのまま踏襲してしまっている。今回も関西電力が掘った溝をわずか1~2時間でざっと見るというやり方だった。それでも当初想定されていたところと違う場所で活断層と見られる地層のずれが見つかった。これは関西電力がいかにいい加減な調査をやっていたかということだが、結局、事務方は電力会社に頼るしかないので、自らのイニシアティブで現地調査を組み立てることができないのだ。
そして、大飯原発は地理的に東京から遠く、そもそも日帰りで調査を設定させられたことも失敗だ。日帰りにすることで、現地に滞在できる時間が2時間程度になることは事務方はよく知っていたはずだから、当初の日程設定で、日帰りを提案した事務方はこういう結末になることを予想していたということだ。
全て事務方にうまく仕切られている。その裏にはもちろん電力会社がいるのである。これまでの構造と何一つ変わっていない。これが、この夏から仕組まれていたシナリオで、まさに今それに沿った動きが
現実に進行しているのだ。
●世界標準と雲泥の差の安全基準
さらに、規制委が示している今後のスケジュールにも大きな問題がある。安全規制の根幹である安全基準の抜本見直しについて、来年3月までに骨格を示し、夏までには最終案をまとめると言っている。しかし、そんなことができるとは思えない。
日本の安全基準は世界標準からははるかにかけ離れている。原子力安全委員長(当時)の斑目春樹氏は、今年2月の国会事故調査委員会での証言で、日本の安全基準には「瑕疵(かし)」があると言った。つまり欠陥があると言ったのだ。さらに、氏は、日本の安全基準の作り方は、電力会社が緩い基準を経産省に持ち込むと、なぜかそれが保安院によって国の安全基準とされ、いったん国のお墨付きを得た電力会社は、それが緩い基準だと知っているのに、決してそれ以上の努力をしようとしなくなる、という趣旨の発言をしている。
さらに、国際的に安全基準が厳格化されたときには、普通は、どうやってそれを日本の基準に当てはめていくのかを考えるのに、日本では関係者が集まって、どうやったらこれを適用しないで済ませるのかということを議論していたとも述べているのである。つまり、日本の安全基準は、世界標準から程遠く、何十年も遅れているので、これを新たに作るとなると、ほとんどゼロからの作業になるのだ。
日本の安全基準の遅れは、例えば災害に対する備えについての基本的な考え方にも表れる。日本では、たまたまわかった過去の災害のケースを元に、過去最高のものよりも一定程度の余裕度を持たせた基準にします、という考え方だ。しかし、これは、たまたまわかったケースだけを基礎にしているので、それで十分だという根拠には全くなっていない。欧米では、昔は日本と同じような考え方だったが、それではだめだということで、過去数百年間、実際に起きたケースはもちろん全て考慮に入れた上で、それを1万年、あるいは10万年の期間に延ばして確率論で生じ得る最大の災害に備えるという考え方で基準を作る。
だから、台風の最大風速が130メートルという想像を絶する被害想定が適用されたりするのだ。また、日本では信じられないことに、シビアアクシデントが起きた時に被害を最小化するための対策をとらなくて良いことになっていたが、これも世界ではあり得ないことだ。さらに、避難対策も安全基準に入っていない。アメリカでは、避難対策が不十分だとして(万全な対策が地形的に無理だと言う理由で)建設されたばかりの原発が廃炉にされたこともあるくらいだが、そんなことは日本ではおよそ議論の対象にもならなかった。
これから作る安全基準にはこれらを全て盛り込まなければならない。しかし、実は確率論で災害想定を出すというのは実は非常に難しく、日本にはそれができる専門家がいないと言われている。また、避難対策は複数の自治体にまたがり、複雑な調整も必要だ。
そうしたことを考えると、3月までに骨子、夏までに最終基準というのがいかに無理なスケジュールであるのかは、誰でもわかる。では、何故そんな無謀なスケジュールが出てきたのか。
●官僚の狡猾な手口
官僚が、自分たちの都合の良いように物事を進めるために使う手段でもっとも重要なのが、スケジューリングだ。スケジュールを制するものが勝者、というのが霞が関の常識と言ってもよい。今回もこの鉄則が生きている。おそらく、委員会発足前から、官僚たちは、委員に個別に今後の作業スケジュール案というものを説明していたと考えられる。その際、官僚は、「来年夏の電力供給のことを考えると、仮にそれまでに安全基準がなくて判断できませんと言うと、『規制委は何をしてるんだ。基準を示さなければ何もできないじゃないか。それで電力不足になったり、料金値上げになったら、規制委のせいだ。責任を取ってくれるのか』と批判されます。
仮に基準が厳しくなって動かせなくてもいいですが、基準がなくて判断できませんというのはなんとしても避けていただくのが賢明かと思うのですが」と説明したのではないか。さらに、必ず役人はこう付け加えるのを忘れない。「これは大変に難しい作業ですから、我々事務方もどうかなとは思ったのですが、やはりやるしかないと思いました。もちろん、我々も死に物狂いでやる覚悟です。何でもご指示ください」。そう言われると、人の好い委員ほど、「そうか、それなら頑張るしかないな」ということになる。
ところが、その後の動きは委員が想定したのとは程遠い動きになるのである。放射性物質の拡散予測シミュレーションでの度重なる間違い。電力会社に指摘されたり、あるいは、電力会社が間違えたものをそのまま鵜呑みにして使ってしまったりという不祥事が続いた。今の事務方に全く能力もやる気もないことがわかった。電力会社に完全におんぶに抱っこという保安院時代の体質がそのまま残っているのだ。保安院が平行移動しただけの組織だからもちろん当然のことなのだが。
このまま行けば、無能力者の集まりである規制庁にはまともな基準など作れるはずはない。しかし、それは事務方の思惑通りの展開だ。おそらく、来年の2月くらいになって、事務方から、電力会社が困らないぎりぎりの安全基準の骨子案が出てくるだろう。その時になって、委員が、「こんなものでは話にならない、初めからやり直しだ!」と叫ぶ。「わかりました」と頭を下げて戻っていった事務方が3月になって出してくる修正案は、原案を多少お化粧した程度の骨子になる。委員は不満でも、自ら対外的に言ってしまったスケジュールに縛られ、事務方から、「時間がありません。どうしますか」と脅されて、やむを得ずいい加減な骨子で認める。
この時の事務方の殺し文句は、「これはあくまでも骨子ですし、まだこれから大きく変わる可能性もあるということにしておけばいいと思います。最終案を夏にまとめる時にパブリックコメントの手続きをやって、どうしても変えたほうがよいものは、その時変えればいいでしょう」というものだ。
このあたりまで来ると、もう委員は事務方に頼るしかなくなっている。
●本当に重要なことが放置されている
これに比べて印象的なのは、アメリカのNRCの対応だ。NRCは連邦控訴裁判所の決定に従って、この夏に、全ての原発の新設・更新の許可手続きを停止した。その際、裁判所が求めた使用済み核燃料の処理の問題に関する対応策について、NRCは、急いで策定するが、締め切りの時期は設定しないとした。極めて難しい問題だから、時期を決めてしまうことにより、その締め切り時期のために対策が不十分なものになってしまうというリスクを避けたものだ。至極全うな対応と言えるだろう。日本との比較で対照的だなと感じた。
問題はこれだけにとどまらない。実は、安全基準に関して非常に重要な点がほとんど議論されないまま既成事実化されようとしている。それは、いわゆる、バックフィットの問題だ。基準が新しくなった時にそれを既存の原発にも適用するのが、バックフィットと呼ばれる規制のあり方だ。諸外国ではこれが原則になっているが、日本ではそうなっていない。細野豪志原発担当大臣は、以前、バックフィットを原則にする、と言っていた。
しかし、これは何も言っていないのに等しい。原則というからには、例外があるということなので、どうなるのかがわからないからだ。バックフィットをする場合でも、即時適用するか、猶予期間を設けるかでその結果が大きく異なる。多くの国では猶予期間を設けているが、これは、その時々で最も進んだ規制を取り入れてきたという前提がある。ところが、先に述べた斑目委員長の証言にもあるとおり、日本の場合は、安全基準が不十分であることを知っていながら電力会社がそれを放置してきたという事情がある。
例えば、中越沖地震の際の柏崎刈羽原発の事故の教訓から、原発には免震重要棟を作るべきだということが当時の保安院から行政指導されている。しかし、ほとんどの電力会社はこれを無視して来た。誰でもわかることなのに放置してきたのだ。だから、大飯原発には免震重要棟がない。ということは、今大地震が起きて深刻な事故がおきたら、対応できないということがわかっているのだ。それでも大飯は動かしている。
このように、日本は国際標準から著しく遅れているという現実がある。だから、バックフィットは、原則即時適用とするべきである。しかし、ここでも、すでに委員の一人が、バックフィットの際には猶予期間を設けることがあるという話をしてしまっている。これは普通の規制の場合にはある程度やむをえないことかもしれない。
しかし、原発という、事故が起きたら取り返しのつかないことになるようなプラントについて、国際常識では考えられないような、極めて重要な対策がなされていないものまで、猶予期間を設けるということはあってはならないはずだ。強調すべきは、猶予期間を設けるということではなく、少なくとも免震重要棟とかフィルター付きベントとか防潮堤だとか、さらには避難路なども猶予期間はなし、ということなのではないだろうか。
●国会事故調の提言を実行せよ
こうして、スケジュールを含めて非常に重要な問題について、しっかりした議論がないまま、結局、官僚の思い通りにことが運んでいる。この先、委員が、本来の職務を全うするのはほとんど不可能なところまで追い込まれつつある。仮に、この状況を根本的に変えようとすれば、事務方と真っ向から戦うか、事務方を味方につけるべく説得していくしかないが、実際には不可能だ。
何故なら、大半の職員は経産省の息のかかった職員だし、人事権は委員にあるのではなく、環境省にある。もちろん、経産省からの出向者は、委員と対立しても怖くない。そして、委員を支えてくれる信頼に足る自前のスタッフもいない。これでは5人の委員では太刀打ちできない。また、今まで既に自分たちが発言してしまった、スケジュールや、断層に関する考え方、バックフィットに対する方針などは今さら変えるのは困難だと感じている委員も多いだろう。
では、どうしたらいいのか。今の国会の状況では望むべくもないのだが、まず、委員の同意人事をちゃんとやり直すことだ。この点も、前国会で本来は採決まですべきだったのに野田政権はしなかった。そして、閉会中だからという理由で国会が認めていない委員候補を委員に任命した。そのような場合には、本来は、今国会で同意を得なければならないはずで、同意が得られなければ、罷免されたことになるはずだったが、野田内閣は原子力非常事態宣言がまだ解除されていないことをいいことに、今国会での同意手続きを行わないという選択をした。
法律に書いてあると言うが、緊急事態とは、国会で議論している余裕がないという場合を想定しているのであって、わざと国会での議論を避けるために設けられている規定ではない。完全な脱法行為だ。こんないい加減なやり方で進めても国民は全く規制委を信頼しない。もう一度委員の人選をやり直すべきだ。その際は、国会事故調が提言したとおり、10名以上の候補を第三者委員会に選んでもらって、その候補と国会で十分な議論をしたうえで、国会が5人の委員を選ぶという手続きにすべきだ。こうして新しく選ばれた委員は今までの委員会の行動の結果には縛られない。ここから真に独立した活動を始めればよい。
その際に重要なのは、自前のスタッフを持つことだ。外部人材を含めて、事務方である規制庁の人事権を実質的に完全に委員会が持つことにすればよい。それによって初めて、規制庁の職員は委員会の方を向いて仕事をすることになる。さらに、規制庁の職員のノーリターンルールに例外を認めないこととして、今いる職員が完全に経産省などの親元と絶縁することにすべきだ。これも国会事故調の報告書の提言を実行すればよい。これをやると、多くの職員が、それなら経産省などの親元に戻りたいと言うだろう。そういう職員にはお引取り願えばよい。経産省に戻りたい職員に安全規制をやってもらっては危なくてしょうがない。
細野大臣(当時)は、そんなことをすると必要な職員を確保できない、と言っていいたが、それこそ本末転倒の議論だ。真剣に安全規制をやりたいという職員がいないということは、日本では安全規制ができないということだ。そうであれば、原発を動かすこと自体無理があるということになる。
●期待は政権交代のはずなのだが……
さて、最初の話、大飯原発に戻ろう。これまでの議論からわかるとおり、大飯原発は、安全でないのに政治判断で稼働している。しかし、今や新たな規制委員会ができたのだから、規制委は自らの判断で責任を持って大飯原発の安全性を確認するまでの間、稼働を認めないという宣言を早急にするべきだ。このまま稼働を続けさせるとすれば、それだけで規制委が官僚と電力会社の虜になってしまったと言われても仕方がないだろう。
もちろん、元々、委員は、原発を推進したくて仕方のない野田政権が選んだ人達だから、官僚や電力会社の罠にはまって行ったのではなく、自ら原発稼働に向けて動いている可能性もある。そうだとしたら、委員をもう一度選び直さない限り、原子力規制委員会が真に国民の安全を守るための組織になることはないということになる。
打開策として期待すべきは政権交代……。ということなら、「早く解散を」と叫びたくなるのだが、来るべき総選挙の後、バリバリの原発推進論者の集まりである自民党が政権についたら……。そう思うと、八方ふさがり。暗澹たる気分になってくるのである。
関西電力大飯原発大飯原子力発電所3、4号機の敷地内に活断層があるのかどうかの調査が11月2日に行われ、4日と7日にその判定のための規制委員会の専門家の評価会合が開かれた。結局、活断層であるとする東洋大学の渡辺光久教授と地すべりの可能性があるとする立命館大学の岡田篤正教授の見解が分かれ、活断層の可能性があることについては意見の一致を見たものの、最終結論は持ち越した。
規制委員会は、追加調査を行った上で重要な成果が得られた段階で最終判断を行うとしている。しかし、あくまでも調査は関西電力が中心となって行うので、成果が得られないと言ってサボタージュを続けている間は大飯原発は止められないということになった。
この調査を実施する前までの規制委員会の活動をマスコミは好意的に報じていた。少なくとも、マイナスのイメージを与えるような報道は控えていたような印象だ。
しかし、私は、委員会発足前から、委員の人選もさることながら、むしろ、委員会の弱体性の故に結局は、委員個人がどんなに頑張っても真の安全規制を行う組織になる可能性は極めて低いと見ていた。そして、現状は、まさに心配していた方向に動いているように見える。
●トリックに引っかかった委員長
委員の人選以外の問題点は何か。まず、委員会の事務局である原子力規制庁がほとんど原子力安全保安院からのひも付き出向者で成り立っていて、安全確保の能力を持っていないという本質的な問題を抱えている。しかも、ノーリターンルールが完全に骨抜きにされ、経産省からの出向者は、経産省の方を向いて仕事をする仕組みになっているから、本来の目的、すなわち原子力ムラと癒着した経産省から安全規制機関を切り離すという目的の達成がほぼ達成不可能になってしまった。
各委員が独立して業務を行うためには、自分が信頼できる自前のスタッフを持つことが不可欠だが、そういうスタッフを大量に雇うということは行われていない。結局、経産省などから集めた能力にも中立性にも疑問のあるスタッフを使って仕事をするしかない体制になっている。これから委員がこなさなければならない仕事は、山ほどある。それをどういう手順でどのように進めるかを整理するだけでも大変だ。もちろん、実際に業務を遂行するためには、事務方の協力が欠かせない。そう考えると、委員主導の安全規制は望むべくもない。
それは、規制委員会発足前から明らかになっていた。この夏、委員長候補だった田中俊一氏が国会で所信表明する場面があった。その中に、大飯原発の再稼動問題が取り上げられたが、当然、事務方が振り付けをしたのだろう。田中氏は、「活断層があれば止めてもらうことになる」という趣旨の発言をしている。
マスコミは、こぞって、大飯停止の可能性に言及という趣旨の見出しを立てて報じたが、私は、最初のところで官僚にうまくはめられたな、と思った。何故なら、新しい安全基準をどうするか、まだ何も決まっていないのだ。活断層との関係をどうするかももちろん決まっていない。安全を重視する考え方に立てば、「活断層がないとわかれば稼動を認めるが、それがはっきりしなければ(グレーであれば)稼働は認めない」という考え方に立つのが正しい。にもかかわらず、「活断層があるとわかったら止める」と言ってしまったのだ。
大飯を止める可能性に言及しただけでマスコミは、現状より安全サイドに立っていると騙されるだろうという官僚の読みだ。そして、これは、私の推測だが、おそらく、官僚は、「思い切って、停止の可能性に触れてもらって結構です」と田中氏に進言していたのではないか。今動いている原発の停止に言及するのは、確かに「正義の味方」を演出するには効果的だ。準備の時間もないまま国会に呼び出され、多数の、しかも極めて難しい問題に答えなければならない田中氏が、想定問答を見て、「これなら、まあいいか」と、錯覚に陥ったとしても不思議ではない。
もし、自前のスタッフを持っていれば、おそらくこの手のトリックには引っかからなかったのではないかという気がする。その後、活断層だと断定できなくても、「濃いグレーなら止める」というところまで、停止のケースを拡大したのは、せめてもの抵抗だろうが、一度さかさまのルール設定をしてしまったので、これを逆転して、活断層がないと断言できなければ稼動させないという基準にすることができなくなっているのだろう。
●「日帰り調査」という落とし穴
もちろん、この時から官僚は、ある破砕帯が活断層だと断言することは非常に難しいということは百も承知の上でやっている。複数の専門家で調査検討させれば、必ず意見が割れるということは計算づくだ。そうなれば、活断層だとは断定できないということで、大飯は止められないということになる。
また、調査を関西電力に行わせるという方法についても、従来のやり方をそのまま踏襲してしまっている。今回も関西電力が掘った溝をわずか1~2時間でざっと見るというやり方だった。それでも当初想定されていたところと違う場所で活断層と見られる地層のずれが見つかった。これは関西電力がいかにいい加減な調査をやっていたかということだが、結局、事務方は電力会社に頼るしかないので、自らのイニシアティブで現地調査を組み立てることができないのだ。
そして、大飯原発は地理的に東京から遠く、そもそも日帰りで調査を設定させられたことも失敗だ。日帰りにすることで、現地に滞在できる時間が2時間程度になることは事務方はよく知っていたはずだから、当初の日程設定で、日帰りを提案した事務方はこういう結末になることを予想していたということだ。
全て事務方にうまく仕切られている。その裏にはもちろん電力会社がいるのである。これまでの構造と何一つ変わっていない。これが、この夏から仕組まれていたシナリオで、まさに今それに沿った動きが
現実に進行しているのだ。
●世界標準と雲泥の差の安全基準
さらに、規制委が示している今後のスケジュールにも大きな問題がある。安全規制の根幹である安全基準の抜本見直しについて、来年3月までに骨格を示し、夏までには最終案をまとめると言っている。しかし、そんなことができるとは思えない。
日本の安全基準は世界標準からははるかにかけ離れている。原子力安全委員長(当時)の斑目春樹氏は、今年2月の国会事故調査委員会での証言で、日本の安全基準には「瑕疵(かし)」があると言った。つまり欠陥があると言ったのだ。さらに、氏は、日本の安全基準の作り方は、電力会社が緩い基準を経産省に持ち込むと、なぜかそれが保安院によって国の安全基準とされ、いったん国のお墨付きを得た電力会社は、それが緩い基準だと知っているのに、決してそれ以上の努力をしようとしなくなる、という趣旨の発言をしている。
さらに、国際的に安全基準が厳格化されたときには、普通は、どうやってそれを日本の基準に当てはめていくのかを考えるのに、日本では関係者が集まって、どうやったらこれを適用しないで済ませるのかということを議論していたとも述べているのである。つまり、日本の安全基準は、世界標準から程遠く、何十年も遅れているので、これを新たに作るとなると、ほとんどゼロからの作業になるのだ。
日本の安全基準の遅れは、例えば災害に対する備えについての基本的な考え方にも表れる。日本では、たまたまわかった過去の災害のケースを元に、過去最高のものよりも一定程度の余裕度を持たせた基準にします、という考え方だ。しかし、これは、たまたまわかったケースだけを基礎にしているので、それで十分だという根拠には全くなっていない。欧米では、昔は日本と同じような考え方だったが、それではだめだということで、過去数百年間、実際に起きたケースはもちろん全て考慮に入れた上で、それを1万年、あるいは10万年の期間に延ばして確率論で生じ得る最大の災害に備えるという考え方で基準を作る。
だから、台風の最大風速が130メートルという想像を絶する被害想定が適用されたりするのだ。また、日本では信じられないことに、シビアアクシデントが起きた時に被害を最小化するための対策をとらなくて良いことになっていたが、これも世界ではあり得ないことだ。さらに、避難対策も安全基準に入っていない。アメリカでは、避難対策が不十分だとして(万全な対策が地形的に無理だと言う理由で)建設されたばかりの原発が廃炉にされたこともあるくらいだが、そんなことは日本ではおよそ議論の対象にもならなかった。
これから作る安全基準にはこれらを全て盛り込まなければならない。しかし、実は確率論で災害想定を出すというのは実は非常に難しく、日本にはそれができる専門家がいないと言われている。また、避難対策は複数の自治体にまたがり、複雑な調整も必要だ。
そうしたことを考えると、3月までに骨子、夏までに最終基準というのがいかに無理なスケジュールであるのかは、誰でもわかる。では、何故そんな無謀なスケジュールが出てきたのか。
●官僚の狡猾な手口
官僚が、自分たちの都合の良いように物事を進めるために使う手段でもっとも重要なのが、スケジューリングだ。スケジュールを制するものが勝者、というのが霞が関の常識と言ってもよい。今回もこの鉄則が生きている。おそらく、委員会発足前から、官僚たちは、委員に個別に今後の作業スケジュール案というものを説明していたと考えられる。その際、官僚は、「来年夏の電力供給のことを考えると、仮にそれまでに安全基準がなくて判断できませんと言うと、『規制委は何をしてるんだ。基準を示さなければ何もできないじゃないか。それで電力不足になったり、料金値上げになったら、規制委のせいだ。責任を取ってくれるのか』と批判されます。
仮に基準が厳しくなって動かせなくてもいいですが、基準がなくて判断できませんというのはなんとしても避けていただくのが賢明かと思うのですが」と説明したのではないか。さらに、必ず役人はこう付け加えるのを忘れない。「これは大変に難しい作業ですから、我々事務方もどうかなとは思ったのですが、やはりやるしかないと思いました。もちろん、我々も死に物狂いでやる覚悟です。何でもご指示ください」。そう言われると、人の好い委員ほど、「そうか、それなら頑張るしかないな」ということになる。
ところが、その後の動きは委員が想定したのとは程遠い動きになるのである。放射性物質の拡散予測シミュレーションでの度重なる間違い。電力会社に指摘されたり、あるいは、電力会社が間違えたものをそのまま鵜呑みにして使ってしまったりという不祥事が続いた。今の事務方に全く能力もやる気もないことがわかった。電力会社に完全におんぶに抱っこという保安院時代の体質がそのまま残っているのだ。保安院が平行移動しただけの組織だからもちろん当然のことなのだが。
このまま行けば、無能力者の集まりである規制庁にはまともな基準など作れるはずはない。しかし、それは事務方の思惑通りの展開だ。おそらく、来年の2月くらいになって、事務方から、電力会社が困らないぎりぎりの安全基準の骨子案が出てくるだろう。その時になって、委員が、「こんなものでは話にならない、初めからやり直しだ!」と叫ぶ。「わかりました」と頭を下げて戻っていった事務方が3月になって出してくる修正案は、原案を多少お化粧した程度の骨子になる。委員は不満でも、自ら対外的に言ってしまったスケジュールに縛られ、事務方から、「時間がありません。どうしますか」と脅されて、やむを得ずいい加減な骨子で認める。
この時の事務方の殺し文句は、「これはあくまでも骨子ですし、まだこれから大きく変わる可能性もあるということにしておけばいいと思います。最終案を夏にまとめる時にパブリックコメントの手続きをやって、どうしても変えたほうがよいものは、その時変えればいいでしょう」というものだ。
このあたりまで来ると、もう委員は事務方に頼るしかなくなっている。
●本当に重要なことが放置されている
これに比べて印象的なのは、アメリカのNRCの対応だ。NRCは連邦控訴裁判所の決定に従って、この夏に、全ての原発の新設・更新の許可手続きを停止した。その際、裁判所が求めた使用済み核燃料の処理の問題に関する対応策について、NRCは、急いで策定するが、締め切りの時期は設定しないとした。極めて難しい問題だから、時期を決めてしまうことにより、その締め切り時期のために対策が不十分なものになってしまうというリスクを避けたものだ。至極全うな対応と言えるだろう。日本との比較で対照的だなと感じた。
問題はこれだけにとどまらない。実は、安全基準に関して非常に重要な点がほとんど議論されないまま既成事実化されようとしている。それは、いわゆる、バックフィットの問題だ。基準が新しくなった時にそれを既存の原発にも適用するのが、バックフィットと呼ばれる規制のあり方だ。諸外国ではこれが原則になっているが、日本ではそうなっていない。細野豪志原発担当大臣は、以前、バックフィットを原則にする、と言っていた。
しかし、これは何も言っていないのに等しい。原則というからには、例外があるということなので、どうなるのかがわからないからだ。バックフィットをする場合でも、即時適用するか、猶予期間を設けるかでその結果が大きく異なる。多くの国では猶予期間を設けているが、これは、その時々で最も進んだ規制を取り入れてきたという前提がある。ところが、先に述べた斑目委員長の証言にもあるとおり、日本の場合は、安全基準が不十分であることを知っていながら電力会社がそれを放置してきたという事情がある。
例えば、中越沖地震の際の柏崎刈羽原発の事故の教訓から、原発には免震重要棟を作るべきだということが当時の保安院から行政指導されている。しかし、ほとんどの電力会社はこれを無視して来た。誰でもわかることなのに放置してきたのだ。だから、大飯原発には免震重要棟がない。ということは、今大地震が起きて深刻な事故がおきたら、対応できないということがわかっているのだ。それでも大飯は動かしている。
このように、日本は国際標準から著しく遅れているという現実がある。だから、バックフィットは、原則即時適用とするべきである。しかし、ここでも、すでに委員の一人が、バックフィットの際には猶予期間を設けることがあるという話をしてしまっている。これは普通の規制の場合にはある程度やむをえないことかもしれない。
しかし、原発という、事故が起きたら取り返しのつかないことになるようなプラントについて、国際常識では考えられないような、極めて重要な対策がなされていないものまで、猶予期間を設けるということはあってはならないはずだ。強調すべきは、猶予期間を設けるということではなく、少なくとも免震重要棟とかフィルター付きベントとか防潮堤だとか、さらには避難路なども猶予期間はなし、ということなのではないだろうか。
●国会事故調の提言を実行せよ
こうして、スケジュールを含めて非常に重要な問題について、しっかりした議論がないまま、結局、官僚の思い通りにことが運んでいる。この先、委員が、本来の職務を全うするのはほとんど不可能なところまで追い込まれつつある。仮に、この状況を根本的に変えようとすれば、事務方と真っ向から戦うか、事務方を味方につけるべく説得していくしかないが、実際には不可能だ。
何故なら、大半の職員は経産省の息のかかった職員だし、人事権は委員にあるのではなく、環境省にある。もちろん、経産省からの出向者は、委員と対立しても怖くない。そして、委員を支えてくれる信頼に足る自前のスタッフもいない。これでは5人の委員では太刀打ちできない。また、今まで既に自分たちが発言してしまった、スケジュールや、断層に関する考え方、バックフィットに対する方針などは今さら変えるのは困難だと感じている委員も多いだろう。
では、どうしたらいいのか。今の国会の状況では望むべくもないのだが、まず、委員の同意人事をちゃんとやり直すことだ。この点も、前国会で本来は採決まですべきだったのに野田政権はしなかった。そして、閉会中だからという理由で国会が認めていない委員候補を委員に任命した。そのような場合には、本来は、今国会で同意を得なければならないはずで、同意が得られなければ、罷免されたことになるはずだったが、野田内閣は原子力非常事態宣言がまだ解除されていないことをいいことに、今国会での同意手続きを行わないという選択をした。
法律に書いてあると言うが、緊急事態とは、国会で議論している余裕がないという場合を想定しているのであって、わざと国会での議論を避けるために設けられている規定ではない。完全な脱法行為だ。こんないい加減なやり方で進めても国民は全く規制委を信頼しない。もう一度委員の人選をやり直すべきだ。その際は、国会事故調が提言したとおり、10名以上の候補を第三者委員会に選んでもらって、その候補と国会で十分な議論をしたうえで、国会が5人の委員を選ぶという手続きにすべきだ。こうして新しく選ばれた委員は今までの委員会の行動の結果には縛られない。ここから真に独立した活動を始めればよい。
その際に重要なのは、自前のスタッフを持つことだ。外部人材を含めて、事務方である規制庁の人事権を実質的に完全に委員会が持つことにすればよい。それによって初めて、規制庁の職員は委員会の方を向いて仕事をすることになる。さらに、規制庁の職員のノーリターンルールに例外を認めないこととして、今いる職員が完全に経産省などの親元と絶縁することにすべきだ。これも国会事故調の報告書の提言を実行すればよい。これをやると、多くの職員が、それなら経産省などの親元に戻りたいと言うだろう。そういう職員にはお引取り願えばよい。経産省に戻りたい職員に安全規制をやってもらっては危なくてしょうがない。
細野大臣(当時)は、そんなことをすると必要な職員を確保できない、と言っていいたが、それこそ本末転倒の議論だ。真剣に安全規制をやりたいという職員がいないということは、日本では安全規制ができないということだ。そうであれば、原発を動かすこと自体無理があるということになる。
●期待は政権交代のはずなのだが……
さて、最初の話、大飯原発に戻ろう。これまでの議論からわかるとおり、大飯原発は、安全でないのに政治判断で稼働している。しかし、今や新たな規制委員会ができたのだから、規制委は自らの判断で責任を持って大飯原発の安全性を確認するまでの間、稼働を認めないという宣言を早急にするべきだ。このまま稼働を続けさせるとすれば、それだけで規制委が官僚と電力会社の虜になってしまったと言われても仕方がないだろう。
もちろん、元々、委員は、原発を推進したくて仕方のない野田政権が選んだ人達だから、官僚や電力会社の罠にはまって行ったのではなく、自ら原発稼働に向けて動いている可能性もある。そうだとしたら、委員をもう一度選び直さない限り、原子力規制委員会が真に国民の安全を守るための組織になることはないということになる。
打開策として期待すべきは政権交代……。ということなら、「早く解散を」と叫びたくなるのだが、来るべき総選挙の後、バリバリの原発推進論者の集まりである自民党が政権についたら……。そう思うと、八方ふさがり。暗澹たる気分になってくるのである。

































Research Institute for Environmental Finance