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日本企業のカーボンニュートラル宣言と、残る「いくつかの課題」(菊地正俊)

2021-08-11 22:48:07

CNキャプチャ

 

カーボンニュートラルを発表する上場企業が増加

 

7月末時点でカーボンニュートラル(CN)の目標を発表した上場企業数は、200社近くに達している。CNの発表場所は決算説明会資料、中期経営計画、HPなど多様であり、CN企業を手作業で数えなければならないので、こうした集計に漏れは生じやすい。多くの企業のCN目標年は政府と同じ2050年であり、単に2050年CN宣言するだけでは株式市場で評価されない。CNを2050年より前倒し達成する意欲がある企業、CNに向けた計画が具体的である企業が評価されよう。

 

 DMS森精機(6141)は日本企業として最速の2022年3月末のCNを目指している。スコープ別のCO2目標が開示されていない企業もある中、リクルートHD(6098)は2021年度に事業活動におけるCO2排出量(スコープ1・2)、2030年度までにバリューチェーン全体のCO2排出量(スコープ3)をCNとする目標を発表した。大手商社5社は全てCN宣言を行っているが、うち伊藤忠(8001)は他社比で10年早い2040年としている点が評価される。

 

 積水ハウス(1928)は「RE100」の達成時期を2040年から2030年頃に前倒しできるとしている。トクヤマ(4043)と丸紅(8002)のCN目標年は2050年だが、CO2削減に向けた詳細なアクションプランが評価される。ジェイテクト(6473)は中計で、CN達成に向けたマイルストーンが具体的かつ細かく設定した点が素晴らしい。自動車産業のサプライチェーンは裾野が広いが、スコープ3でのCO2削減のためにはオールジャパンでの取組が必要になろう。

 

 

 CDPの集計によると、インターナルカーボンプライシング(CP)を導入している世界の企業は864社で、うち日本は118社と米国に次いで2位だった。2年以内に導入予定の日本企業も134社に上るといい、企業の脱炭素化への意識は着実に高まっている。

 

環境アクティビズムの高まり

 

 ESG経営を推進してきたダノンのファーベルCEOが3月に解任されたのは、財務や株価パフォーマンスが同業他社をアンダーパフォームしてきたためだった。企業は中短期の財務目標と長期のサステナビリティ目標の両方を達成する必要性が高まっている。

 

 7月のPwCの「グローバルメガトレンドフォーラム」で講演したオランダのマテリアルサイエンス企業のDSMの日本法人の丸山和則社長は、「当社は120年にわたり社会課題の変化に合わせて、事業ポートフォリオを大胆に変革してきた。サステナビリティ目標と財務ターゲットの双方を達成してきたことが社員の誇りだ」と述べた。日本企業は欧州企業に比べて事業ポートフォリオの見直しが不十分な企業が多く、外国人投資家からは日本企業はESGを低収益の隠れ蓑にしているとの指摘も出ている。

 

 5月のエクソンの株主総会では、0.02%の株式しか保有しないアクティビストのエンジンが、ブラックロックやカルスターズなど大手機関投資家のサポートを背景に、3人の取締役を送りこむことに成功した。同月にオランダの地裁は、ロイヤル・ダッチ・シェルに気候変動対策が不十分だとして、CO2の排出量を2030年までに2019年比で45%削減するように命じる判決を出した。HSBCの株主総会では、機関投資家の要求に応えて、会社側が石炭関連の融資を段階的に廃止する提案を出し、99.7%の賛成率で可決された。

 

住友商事の株主総会で株主提案を実施した環境NGOたち
住友商事の株主総会で株主提案を実施した環境NGOたち

 

 一方、日本では6月の住友商事(8053)の株主総会で「石炭、石油、ガス事業関連の資産の保有量、事業規模をパリ協定に沿ったものにするための指標と短期、中期、長期の目標を含む事業戦略を記載した計画を決定し、年次報告書に開示する」という条項を定款に規定する環境団体の株主提案の賛成率が20%。三菱UFJFG(8306)の株主総会では、「パリ協定の目標に沿った投融資を行うための指標と短期、中期及び長期の目標を含む経営戦略を記載した計画を決定し、年次報告書に開示する」という条項を定款に規定するという株主提案は23%の賛成率。いずれも否決された。日本は環境団体と機関投資家との対話が不十分なので、海外より環境団体の株主提案が支持されにくい面があろう。

 

日本政府のなかなか定まらない環境政策

 

 欧州では政府の再生可能エネルギー普及の方向性と、エネルギー関連企業の事業ポートフォリオの見直しのベクトルが一致している国が多いが、日本は国の中長期エネルギー政策の具体化の遅れが、日本企業の環境戦略の策定の遅れにつながってきた。7月に発表されたエネルギー基本計画も、実現性が問われる内容だった。経産省の「世界全体でのCN実現のための経済的手法等のあり方に関する研究会」が8月5日に発表した中間整理も、内容が複雑なうえ具体性に欠けて失望的だった。

 

 日本の温暖化対策税だけを炭素税と見なせば国際比較で低いが、経産省は石油炭素税・揮発油税やFIT賦課金も含めれば、日本の税込みのエネルギー価格は既に高いため、炭素税引き上げやCP導入を行えば、日本の産業の国際競争力が低下するとの立場にある。炭素税やCPでエネルギー価格を導入すれば、川上産業は川下産業や消費者に転嫁すればよいとの議論があるが経産省は、炭素税は低所得者に相対的に重い家計負担上昇が及ぶ逆進性の問題を指摘した。

 

 環境省は同省の「CPの活用に関する小委員会」が7月29日に発表した中間整理は、「世界が脱炭素に向けて大きく動き出している中、CPを導入しないことが、経済的にも国際的なプレゼンスにおいても、日本にとって損失になる」「CPを導入しないことが、新たな産業やイノベーションの展開を阻害し、日本の産業構造の転換を遅らせる」と指摘していた。今回はともに中間案なので、2050年CNを打ち出した菅首相が年末の最終案に向けて決断する必要があろう。

 

 我々は2005年から取引実績があるEUのETS(Emissions Trading System)のような国際的な制度が望ましいと考えているが、今回経産省が示した案は「CNトップリーグ」制度というガラパゴス化しそうな内容だった。企業が排出削減目標を設定し(プレッジ&アクション)、国の削減目標との関係で、産業界の取組みの進捗が芳しくない場合は、政府によるプライシングも視野に入れるという。今後具体的な制度設計を進めて、2022年度からの実証実験を目指す。

 

 既存のシステムであるJ-クレジット制度とJCM(Joint Credit Mechanism)は活発に使われているとは全く言えないため、活性化に向けたスケジュールを打ち出した。経産省はこれらの措置によって、2020年時点で35兆ドル(GSIA調べ)に達した世界のESG資金を日本に呼び込むとしたが、最近発表された“GlobeScan/SustainAbility Survey”で、日本政府のサステナビリティ取組みの評価はトップ15の圏外であり、国内の「やっている感」と国際的な認識のギャップが大きい。菅政権のCN宣言やグリーン成長戦略の発表以降も、外国人投資家の日本株投資意欲は高まっていない。

 

Carbonキャプチャ

 

 

求められる役員報酬のESG指標との連動

 

 報酬コンサルタントのPay Governanceの“Do UK and EU Companies Lead US Companies in ESG Measurements in Incentive Companies Plans”によると、2020年の役員報酬の決定にESGメトリックスを用いた企業の割合は米国の22%に対して、欧州企業は90%だったが、Pay Governanceは両地域の差が今後縮まると予想している。日本企業の役員報酬は欧米企業より極端に低く、固定報酬比率が高いという事情は変わっていない。日本企業の役員報酬のESG連動は少ないため、役員報酬とESG指標を結び付けている企業は、ESGの本気度が高いと評価される。

 

 三菱UFJFGは5月19日発表の中計で、役員報酬の中長期業績連動にESG外部評価の改善度を新設定した。アサヒグループHD(2502)は、役員の中期賞与は40%を社会的価値指標との達成割合とし、CDPのAリスト、FTSE4Goodの継続採用、MSCIサステナビリティレーティングBBBの目標を設定した。バリューアクトが社外取締役を送り込んでいるオリンパス(7733)は役員報酬制度の開示は充実しており、業績連動型株式報酬(PSU)の戦略目標(ESG)の評価で、DJSI(Dow Jones Sustainability Index)を使う理由として、(1)信頼性の高い外部評価機関であり、透明性・公平性を担保できる、(2)評価領域のカバレッジの広さ、(3)企業活動全体に対する網羅性を挙げた。オムロン(6645)も役員報酬に同じDJSIを使っている。

 

 第一三共(4568)は中計業績連動株式報酬のESG指標にDJSIのみならず、FTSE Russell、Access to Medicineに基づく評価を使っている。トヨタ(7203)は役員報酬とESG指標を明示的に関連づけていないが、ホンダ(7267)は業績連動報酬に係る指標で、株式報酬においてOPM等の財務指標、ブランド価値・ESG等の非財務指標の成長度としている。パーソルHD(2181)は業績連動型中長期インセンティブ報酬を売上、営業利益、TSR(TOPIXに対する相対Total Shareholder Return)、ROIC等の財務指標のみならず、従業員エンゲージメント指数、女性管理職比率、テクノロジー投資比率、ESG格付等の非財務指標に連動させている点が評価される。株主重視姿勢が強い米国主要企業はTSR(Total Shareholder Return)と役員報酬を結びつけることが多いが、TSRの目標を導入している日本企業は少数である。

 

CNの流れは素材産業の株価バリュエーションの抑制要因

 

 今年度に入って、日本株の米国株に対するアンダーパフォームが続いているのは、日本のワクチン接種が遅れているのみならず、日本の株式市場はオールドエコノミー企業の比率が高いことが影響している。CNの流れがオールドエコノミー企業の株価バリュエーションの低下につながるとの懸念が出ている。

 

 みずほ証券のアナリストにCNの流れが、業種の株価バリュエーションに与える影響を聞いてみた。化学・繊維アナリストの山田幹也は、「川上の総合化学各社を中心に、世界的なCNの流れで株価バリュエーションが縮小しやすい状況」と判断している。鉄鋼アナリストの鈴木博行は、カバレッジ鉄鋼株の予想ピーク利益に対するPERが、前回循環における高値時を15%以上下回る水準にあると指摘している。産業資材アナリストの松田洋によると、セメント専業2社の株価低迷は、国内の事業環境が厳しいこともあるが、CO2排出量の多さと排出量削減の難しさが影響している。

 

 石油・公益アナリストの新家法昌は、石油業界の短期業績は市況回復の恩恵で改善傾向だが、CNがバリュエーションの低下圧力として働いていると考えている。食品アナリストの佐治広は、牛など畜産分野における「げっぷ」等を通じたメタンの排出問題が、食肉会社のバリュエーションの抑制要因として働きつつあると見ている。建機・鉱山機械メーカーや、自動車内燃機関向け等に部品を供給してきたベアリングメーカーに対しては、CNがバリュエーション・ディスカウント要因になっている。電力会社は石炭火力比率の高さが株価の低調なパフォーマンスに影響している可能性がある。

 

 一方、電子部品アナリストの後藤文秀は、xEVによる部品需要の拡大期待により、バリュエーションマルチプルが向上するなど、CNの流れが電子部品のバリュエーションに対してポジティブに作用していると指摘している。自動車アナリストの大畑友紀は、自動車セクターの株価に影響を与えているトピックはCNでななく、電動化だと指摘している。川崎重工業(7012)や日立造船(7004)など造船・重機は、2020年10月の菅首相のCN宣言以降、次世代エネルギーへの貢献で長期的な業績拡大が期待されて、バリュエーションが切り上がった。日本の環境事業を行う大手製造業はコングロマリットが多いため、欧州に比べて、環境関連のピュアプレイ企業はレノバ(9519)やイーレックス(9517)などの中小型株になってしまう状況に変わりない。そのため、海外のグリーン・テクノロジー関連ファンドにおける日本の環境関連株の組入は極めて少なくなっている。

 

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菊地 正俊(きくち・まさとし)

みずほ証券エクイティ調査部チーフ株式ストラテジスト。1986年東京大学農学部卒業後、大和証券入社、大和総研、メリルリンチ日本証券を経て、2012年より現職。米国コーネル大学よりMBA。日本証券アナリスト協会検定会員、CFA協会認定証券アナリスト。日経ヴェリタス・ストラテジストランキング及びインスティチューショナル・インベスター誌ストラテジストランキング2017~2020年1位。