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放射線で牛に異変が 希望の牧場代表/浪江町 吉沢正巳さん(Weekly Zenshin)

2014-02-07 00:02:06

昨夏から牛の体に無数の斑点が。「こんな皮膚病はない。明らかに被曝の影響だ」と憤る
昨夏から牛の体に無数の斑点が。「こんな皮膚病はない。明らかに被曝の影響だ」と憤る
昨夏から牛の体に無数の斑点が。「こんな皮膚病はない。明らかに被曝の影響だ」と憤る


原発事故で立ち入りが禁じられた警戒区域には「3・11」時点で約3500頭の牛がいた。避難命令で大半の農家が牛を見捨てて逃げるしかなかった。「餓死させるのはかわいそう」と野放しにした農家が結構いたけど、一時帰宅した人から「野良牛が迷惑」と苦情が出て、殺処分に同意せざるを得なかった。

結局、約1500頭が牛舎につながれたまま餓死、約1400頭が殺処分、合わせて約3千頭が殺された。だけど今も浪江町や富岡町、大熊町、双葉町で約10軒の農家が抵抗して牛を生かしている。 fukusimayoshizawambk07

 

浪江町は原発立地を許さなかった土地だ。1960年代から東北電力の浪江・小高原子力発電所建設計画があったけれど、住民の長い反対運動で建設を阻んできた。

 

しかしその浪江町がチェルノブイリになってしまった。うちで作ったしいたけは4万ベクレルあった。東電に行った時に「お前らのせいだ。おみやげだ」と言って置いてきたよ。ここで作った米も野菜も山菜も、おれが生きている限り食えないだろう。

 

多くの避難者が「津波の被害者を見殺しにしてしまった」と泣きながら悩んできたし、今もむなしさや絶望感を抱えている。いまだに墓石も倒れたままで、亡くなっても納骨もできない。家は傾き、床にはきのこが生えている。請戸港なんて木っ端みじんに粉砕されたままだ。町のアンケートに「生きている意味がない。死にたい」と書いた人もいるし、自殺する人も何人か出ている。

 

おれは緊急避難の大混乱の中で逃げた人たちを非難するつもりはまったくない。だけどおれたちみたいに牛の世話を続けている農家もあっていいと思う。どの選択が正しいなんて決めつけることではないと思っている。

 

東電による牛の補償は昨年度末で終わったからこの牛はもはや何の金にもならない。だけどおれは一生ベコ屋だ。残りの人生すべて、原発事故被害の生きた証拠である被曝牛を生かしながら放射能と闘い、国と東電と闘っていく。被曝の現実を忘れさせずに国や東電の責任を追及していく。

 

希望の牧場のスローガンは「決死救命、団結!  そして希望へ」。深い絶望の町・浪江で「希望」を掲げるというのは、背伸びしている面もある。だけどこの地で原発事故の被害を訴え続けることが、おれなりの抵抗運動なんだ。この牛は日本全国と全世界に再稼働阻止を訴える抗議のシンボルだ。

 

3・11以降、渋谷駅前の街宣に40回くらい行った。「東京への電力供給のためにこんな目にあってしまった浪江の無念を考えてほしい」と訴え、希望の牧場へのカンパを呼びかける。聞きながら泣き出す人もいるし、カンパ箱に1万円札が入る時もある。

 

全国の原発立地自治体でも浪江の現実を訴えて回っている。柏崎刈羽原発のゲート前でも「おれはチェルノブイリになっちまった浪江から来た。次はお前らの番だよ」とがんがん訴えてきた。告発し続けないと風化させられてしまう。だから東京でも全国でも宣伝カーで訴え続けるんだ。

 

http://www.zenshin-s.org/zenshin-s/f-kiji/2013/03/257461.html