原発事業の責任は、あくまで事業者にある。責任を負えないなら原発事業を直ちに止めるべき。馬鹿げた日経の「原発国策論」(古賀ブログ)
2014-08-08 22:50:51
●「原発は高い」、しかし、「原発は国策で進める」という新たな方針
これまでに、3000件超のリツイートがあった、6月15日のツイート。
<古賀茂明 @kogashigeaki 6月15日: 原発は安いと言っていた経産省と電力会社がとんでもないことを言い出した:
事故の賠償、使用済み燃料処理など、原発特有のコストを民間事業者では背負い切れない。電力自由化するとますます苦しくなる。損害賠償に上限を作り、今よりもっと国が金を出すべき。>
つまり、原発は高いと認めてるわけだ。
その後の政府や電力会社の言うことを聞いていると、まさに、このツイートのとおり、完全な居直り状態となっている。そして、一部マスコミの論調も、これを整理した形で支持している。
実は、私たちは、今、非常に危険な岐路に立たされていることを自覚する必要がある。
最近、川内(せんだい)原発再稼動について、再稼動の責任者があいまいだという議論がされている。その場合、ともすれば、政府を批判したいというバイアスがかかって、国が責任を取るべきだというような議論が出てくる。
現在の仕組みでは、安全については、原子力規制委員会が規制を作って、それに適合するかどうかのチェックはするが、法律上は、それさえ合格すれば、原発事業者は原発を動かしていいことになっている。
ただし、実際には、地元の同意という手続きをとることが慣習化しているので地元自治体も再稼動の判断にかかわることになる。特に、過酷事故の際の避難計画は自治体に丸投げされているので、その意味で、安全については、自治体が事実上重い責任を負うことになっている。
しかし、規制委は、規制の審査を判断しただけで、安全を保障するわけではないという立場だし、自治体は、お金欲しさに再稼動ありきで同意してしまうのが現実だ。
つまり、安全について実質的に責任を負う人がいないということになる。
さらに重要なことに、安全だけではなく、事故の後の様々な対策への責任、核のゴミに関する責任も実は、誰が負うのかよくわからないということが言われる。
●責任はあくまで事業者にあることを再確認すべきだ
しかし、よく考えてみると、この議論は、とてもおかしな議論だ。原発を動かすのは、事業者だから、事業者に全ての責任があるというのが大原則のはずだ。どんな事業も、それを行なう主体に責任がある。火力発電の事業を行なっている電力会社以外に国が責任を負え、とか、自治体が責任を負えという議論はない。
もちろん、火力発電所についても様々な安全規制、環境規制などがかかっているが、だからと言って、事故の責任が国にあるということにはならない。
だから、原発の事業を行なう責任は、まずは事業者にあるということは自明のことではないだろうか。
それにもかかわらず、国や自治体が責任を負うとしたら、規制委の安全規制に欠陥があったという場合などだろうが、その場合も事業者の責任が免れるものではない。特に、原発のように、事故の際の被害が甚大で、回復不可能な場合があることを考えれば、国の規制にかかわらず、あらゆる手段を尽くして事故を防止し、事故が起きた際の備えもできる限りのことをしておく責任が事業者にはあるはずだ。
こう考えてくると、まずは、原発事業に関連する様々な問題を解決する責任は、全て事業者が負うという原則をもう一度確認する必要がある。
仮に、責任を負い切れないという事業者がいたら、原発事業は直ちに止めてもらわなければならないはずだ。
今一度、全ての原発事業者に、全責任を負う覚悟があるのかどうか聞いてみたらどうだろうか?
●「原発は国策」とは、「だから税金を入れる」という意味
最近、「原発は国策」であるから、原発事業を推進する上でその責任は、事業者と国がどう分担するのか検討する必要がある、という議論がなされる。例えば、日本経済新聞8月4日の社説では、何と、「原発は国の政策に沿って電力会社が運営する」と書いてある。これでは、まるで、原発が国の事業のようではないか。電力会社は独立行政法人だとでも言うのだろうか。
「原発が国策」だという議論に安易に乗ってはいけない。
政府は、4月に閣議決定したエネルギー基本政策で、原発を、「重要なベースロード電源」だと位置づけた。これが、今のような議論の根拠として使われている。
そこから、倒錯した議論で原発に補助金を、という論理展開を始めた電力会社や経産省のおかしな動きは、先月お伝えしたとおりだ。そこでは、原発は安いと言っていたはずなのに、今や、廃炉も核のゴミ処理も、事故の時の対策も、すべて電力会社の手に余ると言い出した。民間では無理だというのである。「官と民の適切な役割分担」などという綺麗ごとで、要するに、国民や消費者につけ回しをしろということを堂々と主張し始めているのだ。
日経の社説では、このままでは、電力会社が廃炉をちゃんとできないなどという馬鹿げたことを言っている。冗談ではない。そんなこともできなくて原発を動かすなどもってのほかだろう。採算が取れなくなった工場をたたむのは当たり前のことだ。それで経営が傾くのなら、銀行に債権放棄してもらえばいいだけのことだ。電力会社は、6割の需要を自由化したはずだったが、今も談合で大手同士は一切競争をしていない。
そんな会社に何故、多額の税金を投入しなければならないのか。
いま、ここで「原発は国策」だから何が何でも維持するという方向が決まったら、日本は完全に昔に戻ってしまう。
国民は、「原発は事業者の責任で、それができないなら止めてくれ」ということを言わなければならない。もちろん、安全規制に関する責任は、避難計画も含め規制委が負うべきだが、それは事業者の責任を回避させるものであってはならない。
間違っても、もっと国が前面に出ろということを言ってはいけない。それは、電力会社が責任を逃れるための口実に使われるだけだ。国が前面に出るということは、責任を一般国民が取るという意味だ。安倍さんがポケットマネーを出すわけではない。国に責任を押し付ければいいと思うのは間違いだ。国は、避難計画も含めて、電力会社に義務を課すのが仕事であって、自分が電力会社のために責任を被るのが仕事ではない。

































Research Institute for Environmental Finance