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本当に「我々の世界を変革する」意思はあるのか。霞が関の「政策立案」を憂ふ(西川綾雲)

2021-05-21 12:43:44

kasumigasekiキャプチャ

 

  5月12日、農林水産省から「みどりの食料システム戦略~食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現~」が公表された。同省が現時点で「戦略」をまとめた理由は、次の3点だという。

 

 ①気候変動やこれに伴う大規模自然災害、生産者の高齢化や減少等の生産基盤の脆弱化、新型コロナを契機とした生産・消費の変化への対応などわが国の食料・農林水産業が大変厳しい課題に直面していること、②様々な産業で、SDGsや環境への対応が重視されるようになり、わが国の食料・農林水産業においても的確に対応していく必要があること、③国際的な議論の中で、わが国としてもアジアモンスーン地域の立場から新しい食料システムを提案していく必要があることから、農林水産業や地域の将来も見据えた持続可能な食料システムの構築が急務であり、食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現する必要があること。

 

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 この問題意識は間違っていないと思える。ただ、筆者の目には、その内容がおおいに期待外れであった。それは国際的な認識と大きくずれているためだ。たとえば、IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)が2019年8月に公表した、気候変動と人間の土地利用の関係についてこれまでの科学的知見をまとめた特別報告書「気候変動と土地(Climate Change and Land)」は、次のような事実を示している。

 

 ①農業、林業、その他の土地利用からの人為的なGHGの排出量は約12.0Gt CO2e/年(2007~2016年のCO2, N2O, CH4を含めた値)で、世界の総排出量の約22%に相当し、運輸セクター、産業セクターからの排出に匹敵する大きな排出源となっていること、②食料の生産に直接関連する排出(農業と農業に由来する土地利用変化)に加え、加工、流通を経て最終的に消費されるまでのプロセス全体を考慮した食料システムからの排出は約14.8GtCO2eq/年で、世界の総GHG排出量の21~37%を占めること、③フードロス(生産から消費までのプロセスにおける損失やまだ食べられる食品の廃棄など)によるGHG排出量は約3.3Gt CO2eq/年と推定され、これは食料システム全体の排出の8%に相当し、フードロスや食生活の変更(肉の摂取を減らす)は、食料システムの排出を抑制するだけでなく、農地や放牧地の拡大も抑制すること。

 

 これに対して、今回の農水省の「みどりの食料システム戦略」には、こうした客観的事実に基づく国際的な認識や、あるいは肉の摂取を減らす等の食生活の変更がGHG削減に有効であるという重要な指摘等については、全く触れていない。

 

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 極めつきは、有機農業についての記述だ。「みどりの食料システム戦略」には、「2050年までに、オーガニック市場を拡大しつつ、耕地面積に占める有機農業(※)の取組面積を25%(100万ha)に拡大することを目指す(※国際的に行われている有機農業)」という記述がある。「25%(100万ha)に拡大する」という箇所だけ見れば、これは一定の前進のように読めるかもしれない。しかし、2018年のわが国の広義の有機農業の耕作面積は2.37万ha、全体の0.5%に過ぎない。国際的に行われている有機農業に限っていえば、足元でその耕作面積は1.1万haである。これを2050年までの30年間で実に90倍にしようというのだ。

 

 ちなみに2009年から2018年の10年間で広義の有機農業の耕作面積は、1.63万haから2.37万haへと増加は2倍にすら満たなかった。もしこの「超野心的な目標」を本気で達成するのであれば、きめ細かな具体的施策が書かれていなければならないはずである。しかし、「戦略」にあるのは「2040年までに、主要な品目について農業者の多くが取り組むことができるよう、次世代有機農業に関する技術を確立する」という一文だけである。

 

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 農水省だけではない。「戦略」発表の5日前の5月7日に、経済産業省、金融庁、環境省から発表された「クライメート・トランジション・ファイナンスに関する基本指針」も首を傾げざるを得ない内容だ。この基本指針は、国際資本市場協会(ICMA)の「クライメート・トランジションファイナンス・ハンドブック」(2020年12月公表)に準拠しているが、そのハンドブック自体がトランジションの定義や原則が不明だという批判にさらされ、半年で見直し作業に入ったことは、環境金融研究機構の記事が伝えている。もうひとつ期待外れに映るのは、この基本指針の書きぶりである。

 

 この指針では、トランジション・ファイナンスの定義として「トランジション・ファイナンスとは、気候変動への対策を検討している企業が、脱炭素社会の実現に向けて、長期的な戦略に則った温室効果ガス削減の取組を行っている場合にその取組を支援することを目的とした金融手法をいう」と記述した。本来、サステナブルファイナンスは「社会と地球の持続可能性のために、金融機関が世界の変革を牽引する」という考え方のはずだ。それがわが国においては、「温室効果ガス削減の取組を行っている企業を支援する取組み」に入れ替わってしまっている。

 

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 モノづくり大国である日本においては、金融業は製造業のあくまで奉仕者であるのは止むを得ないのかもしれない。また経済産業省が主導して策定した基本指針であるがゆえに止むを得ないのかもしれない。しかし、金融ビジネスを所管し、その健全性確保と国際競争力を高める役割を担うはずの省庁が、こうした表現を看過したことは残念でならない。

 

 霞が関で働く官僚の一人一人が、寝食を削って仕事をしていることは否定しない。しかし、その働きの方向性は、どこかで歯車が狂っている、空回りしているように思えてならない。ここで、米国のアスペン研究所を設立したロバート・ハッチンス教授(元シカゴ大学総長)の言葉を思い出したい。

 

 教授は「我々の時代の特徴のうち最も予期せざるものは、人の生き方においてあまねく瑣末化(trivialization)が行きわたっていることである」とし、「専門化と細分化、職能主義、効率主義、短期利益主義などの飽くなき追求によって失われていく人間の基本的価値やコミュニケーション、あるいはコミュニティを再構築するにはどうすれば良いのか」という問題提起を行った。

 

 持続可能な開発目標(SDGs)を収録した国連文書「持続可能な開発のための2030アジェンダ」には「我々の世界を変革する」というタイトルが付けられている。霞が関の官僚諸氏だけではなく、私達自身に、本当に「我々の(今の)世界を変革する」意思があるのか、冷静に見つめなおしてみたい。

 

西川綾雲(にしかわ りょううん)  ESG分野で20数年以上の実務・研究両面での経験を持つ。内外の動向に 詳しい。