年初に始動したニューヨークの混雑税。トランプ政権の反対で訴訟に。先行き不透明に(矢作弘)
2025-03-05 16:34:32

(写真は、混雑税が導入されたニューヨークのペンシルベニア駅界隈=MTAのホームページから引用)https://congestionreliefzone.mta.info
年明けの1月5日に、米ニューヨーク市で市内に入る自動車に課税する「混雑税(congestion pricing)」が導入されて、ちょうど2ヶ月が経過する。ところが同月20日に発足したトランプ政権が同制度への反対を宣言、今後も継続できるか不透明になっている。トランプ大統領の意向を受けた連邦運輸省は、ニューヨーク州政府に対し、3月21日までに同税の徴収を取りやめるように求めた。これに対して、混雑税の実施機関のニューヨーク州都市圏交通局(Metropolitan Transportation Authority, MTA)は、「連邦政府の差し止め指示は、正当性を欠く」として、連邦地裁に提訴する騒ぎになっている。
裁判では、トランプ政権の勝ち目は薄い、という見解が目立つ。だが、裁判で負けてもトランプ大統領は、ニューヨークに対して交通関連の他の補助金を削減することなどをチラつかせ、トランプ流の脅しをかける可能性がある。
都心の交通渋滞に悩む米国の他のスーパースター都市(ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトル、ボストン、ワシントD.C.)も、このニューヨークでの混雑税をめぐる大統領と州知事の「争い」に強い関心を示している。一部の都市は、同様の税導入を目指して、すでに事前調査に着手している。だが、トランプ政権の「意地悪」でスタートしたばかりのニューヨークでの取り組みが頓挫すれば、他都市の導入計画にも影響が及ぶことになる。
<該当地区を走る車を対象に9ドル徴収する>
混雑税は、交通渋滞の酷い地区内を走る自動車に、特別に課金し、それをテコに交通需要を管理するとの都市経済学の考え方に基づき設計された[i]。走行する自動車への課金によって通行量を削減し、交通事故を減らすとともに、大気汚染の改善にもつなげる「一石三鳥」の交通政策として導入された。
すでに英国・ロンドン等の他の都市でも導入されているが、米国ではニューヨークが導入第1号都市だ。ニューヨーク州交通局(NYSDOT)は2014年11月21日、当時のバイデン政権下の連邦高速道路局(FHWA)との間で、交通渋滞が激しいニューヨークのマンハッタン地区(60th st.以南の地区。ハドソン川とイーストリバー沿いのハイウエーは対象外)に混雑税を導入することで合意し、年明けにMTAが当該地区に入る自動車に対して1台当たりの通行税9㌦の徴収を開始した。
MTAは、徴収した同税を地下鉄の車両や市内の駅の整備、路線の延伸、及び旧式バスの更新などの公共交通機関整備の資本投資に充当する計画だ。老朽化し、市民の間でも評判の悪い公共交通機関のサービスを改善し、マイカーによる市内への乗り入れから、公共交通利用へのモビリティシフトを起こす狙いだ。
<トランプ政権が混雑税の差し止めに動く>
ところがトランプ氏は、大統領選の最中から、「ニューヨークの混雑税は低賃金労働者などの弱者いじめだ」「地元の商売にマイナスの影響が出る」等と批判の声をあげていた。大統領当選後も、「混雑税を差し止める」と繰り返して発言してきた。本音は、自らの拠点である5番街のトランプタワーへの出入りのたびに、「9㌦」を払わされるのがイヤということかもしれない。

政権の座に就いたトランプ氏は、すぐに指示した。同政権の運輸長官に就任したショーン・ダフィー氏は2月19日、ニューヨーク州のキャシー・ホークル知事に対して書簡を送り、「大統領の意向を踏まえ、混雑税をめぐる前政権と州の合意を見直す」と通知した。
これを受けようにしてトランプ氏は、「混雑税は終わる。マンハッタン、そしてニューヨーク全体が救われる。国王万歳!」とSNSに投稿した。これに反発してホークル知事は、「ニューヨークは250年の間、国王の下で働いたことはない!」とSNSに反論を書き込むなど、双方の間で舌戦となった。
運輸長官の書簡は、見直しの理由を2点上げている。
①混雑税はニューヨーク市民、ビジネス、ニュージャージー、コネチカット州などからの車通勤者に大きな経済的負担になる。特に低所得者が影響を受ける。しかも、当該地区を走るのに他の選択肢(課税されない道路)がない。
②道路利用を対象に徴収する混雑税の税収を、道路の整備ではなく、MTAの他の公共交通機関の資本投資に振り向けることは、有料道路をめぐる法律の趣旨に沿わない。
これまでも、ニューヨークの混雑の税に対しては、お隣のニュージャージー州政府(民主党知事)が反対し、連邦地裁に導入差し止めの訴訟を起こしたが、ニュージャージー州が敗訴した経緯がある。同州政府は、「マンハッタンに通う、わが州民に対し、一方的に不当な経済的負担を強いることになる」「迂回車両などの影響を含めて環境アセスメント調査が不十分」等と訴えたが、裁判所はMTA側に軍配を上げた。
<P.クルーグマン教授が混雑税支持の論考を投稿>
ノーベル経済学賞受賞の経済地理学者、ポール・クルーグマン氏(ニューヨーク市立大学教授)は当時、ニュージャージー州政府の訴訟を批判する論考をニューヨークタイムズに投稿し、「混雑税の経済学」を解説していた[ii]。その要点は次の通り。
①混雑税の適用地区を走る車が朝夕1台増えると100㌦の混雑ロス(外部不経済=日々の暮らしでの時間ロス、騒音/排ガス、交通事故など)が発生する。地区内の住民がマイカーに乗り続けた場合、混雑ロスを自己負担することになるが、ニュージャージーから流入する車が「混雑税を払わない」と主張するのは、「負担の未払い」になる。それでもニュージャージーの車が「マンハッタンを走る権利がある」という主張は、車をめぐるNIMBY(Not in my backyard、厄介ものを他人に押し付ける)イズムである。
②ニュージャージーからハドソン川を越えてマンハッタンに通勤する車は、毎日6万台。その中間所得は年収10万㌦を超えている。ニュージャージ州政府は、「混雑税は中間所得勤労者に過大な負担を強いる」と訴えているが、車でマンハッタンに通勤している人々は、混雑税の支払いが暮らしの重圧になるような所得階層ではない。
さらに、クルーグマン教授の主張を裏付ける調査データが発表されている[iii]。それによると「マンハッタンに近いニュージャージー側からマンハッタンのビジネスセンターに通勤している人のわずか1.6%が車通勤である。他は公共交通を利用している」。しかも、「車通勤者の中間所得は、公共交通利用者に比べて22%も高い」。
<裁判では、トランプ敗北か!?>
今回、MTAが連邦政府を相手取って起こした訴訟の争点は以下のようになる。先のニュージャージー州の裁判の経緯も併せて、並べてみると、どうみてもトランプ政権に旗色が悪いように思える。
①トランプ大統領の主張を受けて運輸省は、「混雑税は貧しい労働者階層に過大な負担になる」と廃止の必要性を訴えている。
これに対して州政府は、同制度の当初案では、課金は23㌦だったが、その後15㌦に減額し、実際の導入時には9㌦に減額して、低所得者対策をとっていると主張している。加えて低所得者層への減額制度が別途ある。ニュージャージーからの通勤者の間で、低所得階層に属するマイカー利用者は、クルグマン教授の指摘にように、ごく限られており、同州からの車通勤者はむしろ富裕層が多く、運輸省の主張は論拠を欠いている、と反論している。
②連邦高速道路局(FHWA)が補助金を出した道路を有料道路にすることに対して連邦政府は介入できる。だが、今回はそうではなく、すでに前政権でいったん合意されたプロジェクトであり、同税導入廃止の要求は、行政手続きとして合理性がない。
③今回の訴訟の担当判事は、先のニュージャージー州政府の訴えを退けたのと同じ連邦地裁判事である。したがって、今般も同じ判断が繰り返される可能性が大きい。
裁判は、連邦地裁で決着が付かないと、控訴裁判所、最終的には最高裁で争われる。トランプ政権としては、保守派が多数派を占める最高裁での決着でけりをつけたいところだろうが、どうなるかは現時点では不明だ。
<トランプに「向かい風」(MTAに追い風)>
連邦と州当局の「綱引き」の行方とは別に、実際の混雑税の導入状況は極めてスムーズに進行しているようだ。
一つは、開始から1カ月の税の徴収が順調に推移している点だ。MTAによると、当初は、開始の1月には4000万㌦の税収と見込んでいたが、実際は4860万㌦で目標を上回り、監視カメラ設置などの初期投資を差し引いても、3750万㌦の純収入になったという。
また利用する市民を対象としたアンケートでは[iv]、回答者の59%が「トランプ大統領は混雑税を継続すべき」と回答している。「市内の交通量が減っている」(yes:47%, no:24%)、70%が「マンハッタンの交通量が減っている」、「マンハッタンへの通勤が速くなった」(yes:41%, no:26%)などである。
MTAの調べでも(2月第1週の実績)、車の交通量が当該地区内で9%減少し、車の動きがスムーズになっているとしている。付随的効果として、マンハッタンと他区(ブルックリン、クイーンズ )、及び隣接州をつなぐトンネルと橋の交通渋滞も緩和しているとしている。
<裁判で負ければ次の嫌がらせを――トランプイズム>
バイデン政権の取り組みは尽く「嫌だ!」「ひっくり返す!」がトランプイズムで、混雑税をめぐるトランプ氏と同政権の対応ぶりも、どうやら、同じパターンの取り組みに見える。
トランプ政権が裁判で敗北すれば、他のディール(取引)を持ち出して混雑税の廃止に圧力をかける可能性が大きい。共和党支配の連邦議会を巻き込み、運輸省やFHWAがニューヨーク州やニューヨーク市、MTAに対して将来の道路補助金や公共交通支援の削減などを持ち出すことも考えられそうだ。
そうした「泥試合」に入り込ませないためには、ニューヨーク州政府としては、問題を「MTA vs. 運輸省」の裁判での争点の明確化の範囲に収めるとともに、隣接のニュージャージー州などとも妥協点を探る話し合いを、根気よく継続することが大切ではないか。トランプ大統領とホークル知事は、SNS上で口論したが、その後、知事はホワイトハウスを訪ね、パワーポイントを駆使して混雑税の効能を大統領に直接説得したという。トランプ流から、ホークル流に引き込む戦術かもしれない。
<「世界都市ニューヨーク」の競争力のアップにつながる>
海外からニューヨークに出張する時は、J.F.K.空港か、ニュージャージーのニューアーク空港に到着する。そこから車でニューヨーク市内に入るのは、常々、難儀である。特にイーストリバー、ハドソン川を渡る橋、及びトンネルの入り口で車がノロノロ運転になってイライラさせられる。
市内移動には地下鉄が便利だが、エスカレーターなどはないから(混雑税収入で整備して欲しい!)、荷物があればタクシーを使うことになる。だが、渋滞に巻き込まれれば約束の時間に間に合うかが危ぶまれる。渋滞・混雑によるリスクを負うのは同市の市民も、訪問者も同じだ。そう考えると、混雑税論争は、ニューヨークっ子だけの問題ではない。
ニューヨーク都市圏は、郊外通勤列車を含めて公共交通が充実している。市内は、地下鉄とバスが縦横に高密度に走る。地下鉄は、COVID-19時は深夜運転を停止していたが、すでに24時間営業を回復している。ニューヨークは、市域の外縁を除き、公共交通でアクセスが難しいところは少ない。おかげで大都会としては、自家用車の所有率も低い。COVID-19をきっかけに自転車通勤も増えている。
それでも車の所有にこだわる人々、車通勤に執着する人々、そして多くの排ガスを出す営業車(トラック)などによる混雑は減らず、続いている。そうした大都市の都市環境を少しでも改善するうえで、渋滞、排ガス、騒音、交通事故などの外部不経済を混雑税によって改善を目指すことは、大いに合理性があるといえる。
混雑税導入で騒がしいのは、ニューヨークだけの事情ではない。大都心の交通渋滞は世界中で深刻化している。その経済的、社会的損失を少しでも解消することが、現代の都市経営に求められているのだ。米国内でも、ロサンゼルスやシカゴ、サンフランシスコなどの都市も同様の交通渋滞に苦渋している。首都ワシントンD.C.は「都心に入るのに、5㌦の混雑税を導入すると市内の車交通が10%減少する」との試算を公表し、混雑税導入の合理性を示している。
世界の都市を見渡すと、自動車交通に対する混雑税導入はシンガポールが1975年に実施したのが最初だ。その後、北欧都市などにも広がり、2023年には英国ロンドンにも導入された。ロンドンでは、ロンドン交通局(Transport for London)が担当しているが、混雑税の実施以来、対象地区を走る車(平日の課金時間帯7-18時)は18%減り、渋滞が30%緩和されたと報告している[v]。
ロンドンでは、現在の混雑税ゾーンエリアを、さらに市全域に広げるほか、対象車に電気自動車(EV)も含めることなどを検討しているという。大都市では、EVによる気候対策より、混雑対策が優先ということかもしれない。
日本の東京も、現在は各地でゼネコンによる街区再開発が展開されている。だが、都市機能の高度化が進むと、人、モノの移動の一層の合理化を進めることが必要になるのは間違いない。それを見越し、欧米に倣って、東京にも混雑税を導入するか、あるいは一気に混雑域での自動運転化に転じるか、といった「次への施策」が求められている。ただ、間違っても、トランプ対知事の対決、のような構図には陥らないでもらいたい。
[i] https://congestionreliefzone.mta.info/tolling
[ii] )https://www.nytimes.com/2023/07/24/opinion/new-york-congestion-charge.html
[iii] https://nyc.streetsblog.org/2021/10/05/data-the-very-few-new-jersey-commuters-who-will-actually-pay-congestion-toll-are-much-richer
[iv] https://pfnyc.org/news/new-poll-ny-voters-say-congestion-pricing-has-led-to-faster-commutes-and-less-traffic/
[v] https://www.itej.or.jp/cp/wp-content/uploads/katsudou/ks202306.pdf
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矢作 弘(やはぎ ひろし) アメリカ都市の研究者兼ジャーナリスト。日本経済新聞編集員、ロサンゼルス支局長などを経て大阪市立大学、龍谷大学の両教授。龍谷大学研究員兼名誉教授、博士(社会環境科学)。著書に「ロサンゼルス」(中公新書)、「大型店とまちづくり――規制進む米国、模索する日本」(岩波新書)等。