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不動産運用実務における社会(S)対応~評価項目等の整理が社会的課題解決に資する不動産普及の決め手に~(菊地暁)

2022-02-17 16:39:19

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 ESGのうち、社会(S)への取組の有効性は、環境(E)と比較して、その優劣の判断を付けづらい。なぜなら、温室効果ガス(GHG)排出量削減目標やエネルギー効率のような明確な数値基準に乏しく、かつ取組内容が多岐に亘るからである。具体的に不動産単体に係る社会的課題を挙げると、自然災害への対応、健康志向の高まり、多様な働き方と生産性向上、well-beingの実現、地域活性化、人権尊重、包摂的な社会の実現等、じつに様々である。加えて、取組評価も定性的になりがちであり、いまだ評価手法が十分には確立されてはいない。

 

多岐にわたる社会的課題の評価項目を整理し、道筋を示す

 

  周知の通り、現在、機関投資家等による投資先へのESG配慮を求める動きが拡大している。そのため、環境(E)にとどまらず、社会的課題を解決するための不動産とは何かを明示し、より多くの投資が社会的課題の解決にも振り向けられる環境整備を推し進める必要がある。

 

 このような課題認識から、国土交通省では「不動産分野の社会的課題に対応するESG投資促進検討会[1]」を発足させ、社会的課題に関する評価の視点(項目、内容、評価手法等)の整理・検討を開始した。社会(S)はその対象範囲が広範な故に、どのテーマにアプローチし、検討・整理するのかによってアウトプットは異なってくる。

 

 そのため、社会的課題に対応した評価分野・評価項目等を整理し、その達成すべき目標までの道筋を示すことが重要となる。この道筋に沿った形で、ビルオーナーはマテリアリティ(重要課題)の特定を踏まえた目標(ターゲット)を設定し、PM・BMはその具体的な取組の担い手となってテナントニーズを捉えつつ対応する。このような一連の流れの積み重ねが、社会的課題の解決に資する不動産を形成する決め手となる。

 

 なお、社会(S)の評価項目(アクティビティ)は、建物規模、用途、立地によって異なり、また、その地域の慣習・文化や歴史的背景等にも影響される。個々の特長を活かしたアウトプット・アウトカムを意識しながら、その評価項目はどのSDGsゴールを達成するのか、どのくらいポジティブなインパクトを与えたかを評価する仕組みが望ましいだろう。

 

社会的課題を階層として整理しつつ、変化を捉える

 

 先に述べた社会的課題を列挙すると、それらの関係が「マズローの欲求5段階説[2]」の階層のように整理できることに気づく。マズローの欲求5段階説とは、人間の欲求を「生理的欲求」、「安全の欲求」、「社会的欲求」、「承認欲求」、「自己実現欲求」の5段階に分け、これらを積み重なるピラミッド階層として表現したものである。これを、不動産分野に置き換えて考えると、最も基礎的な階層(生理的欲求・安全欲求)には「命や暮らし、尊厳が守られる社会」が当てはまる。すなわち、自然災害への備え(レジリエンス)や、日々の生活における安全・安心の確保などが社会的課題となる。

 

 安全・安心が満たされた次の階層として、人々は生活に豊かさを求めるだろう。すなわち「身体的・精神的・社会的に良好な状態を維持できる社会」、端的に言えばwell-beingの実現がキーワードとなる。この階層では、健康な暮らし・働き方の実現、快適で利便性の高い生活・職場環境の実現などが取り組むべき社会的課題となる。

 

 心身が良好に満たされることにより、人々は「意欲や能力を発揮できる、経済的に豊かな社会」を求めるようになる。この階層では、「多様な働き方と生産性向上の実現」が追求される。コロナ禍でリモートワークが急速に普及し、不動産のあり方を再考させた。これまでの職住近接から、ワークプレイスを複数持つ、郊外に構える等、既成概念に囚われない個々のライフスタイルに合わせた不動産の活用方法が次々と提案されている。立地ブランド(社会的欲求・承認欲求)から、不動産を通じた自分らしい生き方(自己実現欲求)への変化を感じる。

 

 このようなライフスタイルの変化を捉えた環境整備が必要だ。さらには、外に向けた貢献として周辺地域のコミュニティの活性化等を検討する段階となろう。自らが関係する地域・コミュニティをより良いものにする、すなわち、地域経済の活性化の一環として地域資源の活用や地域産業の雇用創出等、取り組むべき社会的課題は多い。

 

 マズローは、晩年に六段階目となる「自己超越欲求」(利他欲求)の存在に気づいたと言われている。今を生きる我々のみならず、将来を担う人々への責務として、様々な社会的課題を解決し、より輝きある、豊かな未来を創造していかなければならない。すなわち「次世代に継承され、発展する社会」(自己超越欲求)の実現だ。地域の魅力向上・地域文化の活性化、教育環境の充実など、未来を見据えた時間軸で取り組んでいく課題への対応が求められる。

 

 では、「人権の尊重」はどの階層に含まれるのだろうか。人権を尊重する、他を慮り行動する。このような精神的余裕は、自らが満ち足りている状態となってから生まれることが多い。これは、マズローのいう「自己超越欲求」の段階であり、社会の成熟に伴って形成される高次の概念である、これまで私はそう考えていた。

 

 しかしながら、日本国憲法は「基本的人権の尊重」を三大原則に掲げている。また、万人がwell-beingを実現する、精神的に良好な状態を維持するためには、その土台としてまず個々の尊厳が守られるべきであろう。マズローの欲求5段階説に照らし合わせれば高次な概念かもしれない。しかし、社会的課題として捉えるのであれば、精神的な高まりとは別に、根本的な社会的課題として位置づけられる。従って、図表1では「人権の尊重」を安全・安心と並ぶ最も基礎的な階層として位置づけた。

 

 このように、解決すべき社会的課題は常に変化し様々な価値観を認め合う時代となりつつあるが、これまでの既成概念に囚われず、持続可能な社会の実現を欲する高次の社会的課題を捉えて、不動産の役割期待を考えることが重要だろう。

 

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社会的課題解決のキーワードは協働

 

 社会的課題を解決する不動産の形成過程では、その価値向上を目指して、何かを「導入」「設置」「提供」しがちである。しかし、一方通行で何かを「導入」するだけでは、本当に有効活用されたのか、本当に建物利用者(テナント、来場者、ゲスト等)は満足したのか、well-beingに資する不動産となったのかがわからない。

 

 加えて、求められる建物スペックや運営・管理は建物規模や地域によって異なる。地域性を無視した過剰な高性能ビルを追求すれば、結果的にオーナー負担、もしくはテナントの賃料負担が嵩んでしまい、オーナー、テナント双方のwin-winの関係にはならない。そのため、定期的に建物利用者の声を拾い、費用対効果を考えながら、次の満足度向上に繋げていくことが重要だ(図表2)。

 

 さらに言えば、不動産におけるオーナーとテナントとの関係、あるいはPM・BMとの関係は、得てして主従関係、あるいは「お客様は神様」となりがちであるが、それぞれが対等であり、社会的課題を解決するパートナーであるとの認識も必要だろう。

 

 それぞれの役割の中でより良い不動産の在り方を模索する、検討過程を共有する、取組で協働する、これら繋がりそのものが社会(S)の課題解決に求められているのではないだろうか。

 

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テナント要望への対応履歴は不動産の付加価値となる

 

 費用対効果を勘案しつつ、テナントの要望に対応して安全性や快適性・利便性等の向上に資する策を実施することでリーシングの改善や安定稼働が期待できる。また、投融資の面でも、大手機関投資家や金融機関ほど、環境・社会貢献への取り組みを重視する傾向が強く、条件面の優遇が期待できる。

 

 この担い手として、例えば、ステークホルダーや地域コミュニティと直接接するPMの活躍が期待される。これまで「手間」や「作業」とみられていたクレーム処理やテナント対応が収益増強の原動力となるからだ。また、テナント等の要望とその対応履歴は、賃貸借のレントロールと同様、汎用性のあるシステムの上で管理され、継承されることが望ましい。この対応履歴自体が、その建物の付加価値になると考えられる。オーナーやPM会社が変わっても、これら履歴が継承される仕組みが早期に求められるだろう。

 

[1] 国土交通省「不動産分野の社会的課題に対応するESG投資促進検討会」https://www.mlit.go.jp/tochi_fudousan_kensetsugyo/tochi_fudousan_kensetsugyo_tk5_000001_00005.html

[2]アブラハム・ハロルド・マズラー(Abraham Harold Maslow,1908年4月1日~1970年6月8日)米国の心理学者。人間性心理学の最も重要な生みの親とされる。人間の欲求の階層(マズローの欲求のピラミッド)を主張した事で知られる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%BA%E3%83%AD%E3%83%BC

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(本原稿は、三井住友トラスト基礎研究所の「情報コラム リサーチカフェ」に掲載された著者の原稿に加筆・転載しました)不動産運用実務における社会(S)対応 (smtri.jp)

 

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菊地 暁(きくち あきら)  日本不動産研究所を経て、2008年3月に住信基礎研究所(現、三井住友トラスト基礎研究所)入社。私募投資顧問部に所属、不動産私募ファンドのデューデリジェンス・モニタリング業務を担当。不動産鑑定士。