HOME環境金融ブログ |発がん性物質のPFAS。日本では規制強化見送りの公算。規制強化を目指す欧米等のグローバルな動きとは真逆の流れに、専門家も首傾げる。背景に「半導体」政策か?(猪瀬聖) |

発がん性物質のPFAS。日本では規制強化見送りの公算。規制強化を目指す欧米等のグローバルな動きとは真逆の流れに、専門家も首傾げる。背景に「半導体」政策か?(猪瀬聖)

2024-03-10 22:33:41

スクリーンショット 2024-03-10 212514

写真は、PFAS汚染地区の住民の不安は高まるばかり=東京・国分寺市の採血会場:筆者撮影)

 

 国際機関や多くの専門家が発がん性や胎児への影響などを認めている有機フッ素化合物(PFAS)。グローバルに注目されており、欧米では全面禁止も視野に入れた大幅な規制強化が進み始めている。だが、日本では当面、規制強化は見送られる可能性が出てきた。日本政府の対応に、汚染地域の住民から懸念の声が上がっているほか、専門家も首を傾げている。

 

予想外だった「健康影響評価案」

 

 1月26日、農薬や化学物質などのリスク評価を行う内閣府の食品安全委員会は、PFASに関する初めての「健康影響評価案」をまとめた。

 

 健康影響評価は、国が当該物質を規制する際の重要な科学的根拠となる。例えば、委員会が健康に重大な影響を及ぼす恐れがあると評価すれば、その物質は禁止を含む厳しい使用制限措置がとられる。逆に、健康への影響は軽微と評価したら、規制は緩くなり、使用や利用の促進につながる。農薬や新顔の食品添加物も、必ず健康影響評価を行ってから、厚生労働省などリスク管理官庁が残留基準値などを設定する。

 

 それだけに、PFASにどんな健康影響評価が下されるのか、汚染地域の住民や規制強化の必要性を訴える専門家らは固唾を飲んで見守っていた。

 

食品安全委員会の会合
1月26日に開いたPFAS作業部会の会合(筆者撮影)

 

 健康影響評価は、詰まるところTDI(Tolerable Daily Intake :耐容一日摂取量)に集約される。TDIとは、ヒトが一生涯にわたって毎日摂取し続けても健康への悪影響がないと推定される量だ。食品安全委員会は今回、PFASのうち特に毒性の強いPFOA、PFOS、PFHxSのTDIの設定を試み、最終的にPFOA、PFOSのTDIをいずれも体重1kg当たり20ナノグラム(ナノは10億分の1)と設定した。PFHxSは設定を見送った。結果的に、欧米の評価機関の評価と大きく異なるものとなった。

 

欧米で見直し相次ぐ

 

 では実際にどれくらい違うのか。

 

 例えば米環境保護庁(EPA)が昨年まとめた新評価案は、TDIの最低値をPFOAは0.03 ナノグラム、PFOSは0.1 ナノグラムに設定した。日本の健康影響評価案よりも、最大で670倍も厳しい。

 

 EPAの前回2016年の評価では、PFOA、PFASともに今回の食品安全委員会と同じ20ナノグラムだった。評価を大幅に修正したのは、この間、PFASに関する研究が増え、PFASの毒性がより明らかになってきたためだ。例えば、世界保健機関(WHO)傘下の国際がん研究機関(IARC)は昨年12月、PFOAを「発がん性がある」と評価し、PFOSについては「発がん性がある可能性がある」と評価したと発表した。

 

 欧州連合(EU)の評価機関である欧州食品安全機関(EFSA)は2018年、PFOAとPFOSのTDIをそれぞれ0.8 ナノグラム、1.8ナノグラムと設定したが、そのわずか2年後の2020年、さらに厳しい0.63 ナノグラムに設定し直した。しかもこれはPFOA、PFOSを含めた4種類のPFASの合計値だ。

 

一昔前の研究論文をわざわざ採用

 

 なぜ欧米と日本で評価が大きく異なるのか。直接の理由は採用した研究論文の違いだ。

 

 食品安全委員会で実際に評価作業を行ったのは大学教授などで構成する「PAFS作業部会」。同部会は約3000本の論文を吟味し、発がん性や遺伝毒性、生殖、免疫機能への影響などさまざまな観点からPFASの健康への影響を約1年がかりで検討した。

 

 膨大な数の論文の中から作業部会が最終的にTDIを設定するために採用した論文は、実は、今から少なくとも約10年前に発表されたもので、米EPAが2016年に20ナノグラムというTDIを設定したときに採用したのと同じ論文だった。つまり、EPAが昨年、新たな評価案をまとめたときに、もはや中身が古すぎるとして相手にしなかった論文を、食品安全委員会は採用したことになる。

 

 また、この論文は、2020年に政府が地下水と水道水のPFASの暫定目標濃度をPFOAとPFOS合わせて1リットルあたり50ナノグラムと定めた際に、算定根拠とした論文でもある。

 

 ということは、環境省が近く設定する水道水と地下水のPFASに関する安全基準は、現在の暫定目標濃度と同じとなるのではないか。そんな観測が強まり、汚染地域の住民らは一段と不安を募らせている。欧米では、TDIの引き下げに合わせて米EPAが昨年3月、飲料水中のPFASの上限濃度を従来のPFOAとPFOS合わせた1リットル70ナノグラムから各4 ナノグラムへ引き下げるなど、大幅な規制強化が進む。

 

疫学の成果を無視

 

 論文が古いだけではない。作業部会が採用した10年以上前の論文は、マウスやラットを使った動物実験の論文だった。これに対し、欧米の評価機関が評価を見直す際に重視したのは、最新の疫学研究の論文だ。疫学は近年、学問として目覚ましい発展を遂げ、病気の原因究明や規制作りに果たす役割が大きくなりつつある。

 

  疫学研究の論文を評価に用いなかった理由を、食品安全委員会は「研究調査結果に一貫性がない」「証拠不十分」「研究は限定的」などと、分厚い公表資料の冒頭部分でしつこいほど繰り返し説明している。これだけ繰り返すと、逆に言い訳のように聞こえてくる。

 

 PFAS汚染の問題に詳しい小泉昭夫・京都大学名誉教授は今回の評価の問題点をこう語る。「作業部会にはPFASの疫学研究の専門家も入っていた。だが、あれだけ『疫学は一貫性がない』『信用ならん』と面と向かって言われたら、研究者としてはガクッときて何も言えなくなる。疫学の専門家の意見をもっと聞いていたら、評価結果は違ったのではないか」

 

国の食品安全委員会の対応に疑問を示す小泉氏(同)
「多摩地区の有機フッ素化合物汚染を明らかにする会」で話をする小泉昭夫・京大名誉教授㊨(筆者撮影)

 

見え隠れする政治の影

 

 小泉氏はさらに、作業部会が疫学研究の成果を無視して評価案をまとめたことに「強い意図を感じる」と述べる。

 

 小泉氏が勘ぐるのは半導体との関係だ。PFASは半導体の製造に必要不可欠。その半導体を政府は日本経済再生の切り札と考え、工場の誘致に異常なほど力を入れている。先日も、世界最大の半導体メーカー、台湾のTSMCが熊本県内に巨大な半導体工場を完成させたことが大きなニュースとなった。

 

 今後建設される第2工場も合わせて、政府は工場の整備に1兆円以上を補助する予定だ。岸田文雄首相は2月24日の工場の開所式にわざわざビデオメッセージを寄せた。経団連の十倉雅和会長(住友化学会長)も3月上旬に福岡市内の半導体研究施設を訪れた際、「九州は集積の地でもあり、強みを生かして半導体で日本を引っ張ってほしい」とエールを送った。トヨタやソニーグループも同プロジェクトに出資する。まさに国家プロジェクトの様相を呈している。

 

 これだけ政府と財界が半導体に前のめりになれば、その足を引っ張るようなことはできない、と食品安全委員会の委員たちが考えても不思議ではない。政官財の怒りを買えば、事務方は自分たちのキャリアが危うくなる。

 

 作業部会の座長を務めた姫野誠一郎・昭和大学客員教授は1月26日の作業部会終了後の記者説明会で、「(欧米並みの厳しい評価をくだすには)われわれもそれなりの覚悟がいる」「20ナノグラム以外の数字も検討したが、無理だった」など、およそ科学者らしからぬ発言を繰り返し、政治的プレッシャーを相当感じていたことを伺わせた。小泉氏は「食品安全委員会は(半導体政策の推進役である)経済産業省に忖度したのではないか」とみる。

 

 環境脳神経科学情報センター副代表で医学博士の木村―黒田純子氏も「評価内容は牽強付会のような印象だ」と述べ、何らかの意図が働いた可能性を指摘している。

 

ガラパゴス化する日本の食品安全行政

 

 実は、食品安全委員会の安全性評価やそれに基づく法規制が欧米と大きく異なるのはPFASに限ったことではない。

 

 例えば、生態系に広範な影響を及ぼし、子どもの発達障害との関連も疑われているネオニコチノイド系農薬は、EUは2020年までにほぼ全面禁止した。米国でも昨年12月、ニューヨーク州で使用を厳しく規制する州法が成立するなど規制強化の動きが広がる。これに対し日本では2015年以降、逆に規制緩和が進んだ。発がん性が疑われ米国で巨額訴訟が進行中の除草剤のグリホサートや、健康への影響が懸念される一部の食品添加物も同様だ。

 

 農薬や食品添加物は半導体とは直接関係ない。とすると、日本の食品安全行政が欧米の標準とかけ離れてガラパゴス化している原因は何なのか。考えられるのは、政治献金を接着剤として形成された政官財の「鉄のトライアングル」だ。

 

 日本共産党の求めに応じて国会図書館が作成した資料によれば、主要7カ国(G7)のうち米国、カナダ、フランスが政党への企業献金を禁止。禁止していない国でも様々な制限を設けている。また、国際NGO「民主主義・選挙支援国際研究所」によると、経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国のうち、スペインやポルトガル、メキシコ、チリ、韓国などちょうど半数の19カ国が政党への企業献金を禁止。EUも約半数の国が禁止していると、2月19日付のしんぶん赤旗電子版が報じている。

 

 ネオニコチノイド系農薬の規制緩和では、その一つであるクロチアニジンも恩恵を受けたが、クロチアニジンの開発・製造企業は、経団連会長企業の住友化学だ。一方、グリホサートの製造元であるバイエルは言わずと知れたドイツを代表する大企業だが、ドイツ政府は、企業への忖度はなく、グリホサートの全面禁止を打ち出している。

 

 こんな事件もあった。2022年、吉川貴盛・元農水相が、大臣在任中に鶏卵業者から計500万円の賄賂を受け取ったとして東京地裁で有罪判決を受けた。

 

 日本の採卵用鶏の約9割はバタリーケージと呼ぶ自由に身動きできない狭い檻に入れられて飼われている。これはアニマルウェルフェア(動物福祉)に反し、産んだ卵も不衛生だとしてEUはとうにバタリーケージを禁止。米国でもカリフォルニア州が2022年に禁止するなど、世界的に禁止の動きが広がりつつある。いっそのこと世界的に禁止にしようとOIE(国際獣疫事務局)が日本政府に打診したが、業界が有力政治家に取り入って、わが国での禁止を阻止した。これが贈収賄事件の真相だ。

 

 もちろん賄賂と献金は違う。だが、カネの力で自分たちの利益になるよう政治家や、政治家を通じて官僚を動かそうとする点では同じだ。

 

 みずほリサーチ&テクノロジーズが昨年7月にネット上に公開した「速報・欧州PFAS規制案パブコメ提出状況と指摘されている論点」が面白い。EUが昨年1月に公表したPFAS全面規制案に対し誰がどんなパブリックコメントを提出したかを調べたものだ。

 

 あくまで途中経過だが、約600件寄せられたパブコメのうち国別ではEU加盟国を差し置くように、日本からのコメントが断トツで多く、全件数の46%を占めた。コメントの内容は「過度の規制に反対」を訴える内容が大半で、経産省や経団連もコメントを出していた。

 

 政治とカネの問題が改めて問われているなか、経団連の十倉会長は会見で、会員企業による寄付やパーティー券の購入を今後も従来通り続ける考えを強調した。固く結ばれた政官財の「鉄のトライアングル」に国民の声が入り込む余地はほとんどない。食品安全行政のガラパゴス化に歯止めを掛けようとするなら、まず日本の政治のガラパゴス化を何とかしなければならない。

 

スクリーンショット 2024-03-10 204642

猪瀬 聖(いのせ  ひじり)

 フリーランスジャーナリスト。元日本経済新聞ロサンゼルス支局長。米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。現在は主に食の安全、農業、環境問題などを取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ)など。