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米ビキニ核実験 きょう58年 当時の研究者、福島事故懸念(東京新聞)忘れていたよね

2012-03-01 14:36:40

気球を上げて気象観測する俊鶻丸乗組員=第1次調査
南太平洋ビキニ環礁での米核実験で、日本のマグロ漁船が被ばくした第五福竜丸事件から一日で五十八年。広島・長崎に続く核被害が世界に衝撃を与える中で当時、放射能の海に向かった調査船「俊鶻丸(しゅんこつまる)」を覚えている人は少ない。東西冷戦の厳しい環境下で汚染の解明に取り組んだ研究者たちは今、大量の放射性物質を放出した東京電力福島第一原発事故を複雑な思いで見詰めている。 (橋本誠)

気球を上げて気象観測する俊鶻丸乗組員=第1次調査




 「やっぱり、ビキニのことを思い出しましたね」

 村野正昭・東京水産大(現・東京海洋大)名誉教授(79)=浮遊生物学、東京都杉並区=が昨年三月、福島第一原発の水素爆発を知ったときの印象を語る。

 東京大水産学科の大学院生だった一九五六年、俊鶻丸の第二次調査に参加。プランクトンを採集し、放射線量を測った。一次調査の前、学界の大勢は「海は広いので、放射性物質は薄められている」とみていたが、実際には海水や魚から高い放射能を検出。村野さんが採ったプランクトンにも一次調査ほどではないが、測定器が反応した。

 そんな経験から、原発事故の直後、漏れ出した放射性物質は海で薄まる、と影響を低く見積もった政府見解に疑問を感じた。「放射能は拡散しても、食物連鎖で生物に濃縮される。カドミウムや水銀の汚染問題でもそうだった。海のことにあまりに無知だ」

 海に出た放射性物質は徐々に沈んでいき、海水や堆積物には放射能の強い層が長い間、残るとされている。福島第一原発ではその後も、高濃度汚染水を貯蔵するため、基準をはるかに上回る低レベル汚染水が海に放出された。

 「沿岸の海底の泥の汚染が心配。独立した立場の人たちで影響調査を進めてほしい」。水爆の海に学んだ研究者の願いだ。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012030190135928.html