「吉田調書」が明かす 真の「フクシマ50」は 間組、南明興産だった(各紙)
2014-05-28 15:21:04
朝日新聞が報道している「吉田調書」によると、事故直後の混乱の福島第一原発において、東電や保安院は本来、出すべき人材を供給せず、現場を孤立させた一方で、ゼネコンの間組(安藤ハザマ)や子会社の南明興産(東電フュエル)など、限られた一部の企業が必死の自主協力していたことがわかった。
マスメディアが作り上げた「フクシマ50」は虚構だったが、真の「フクシマ・プロたち」が辛うじて踏みとどまり、事故の拡大を阻止したことがわかる。
(以下は吉田調書の報道から)
吉田「逆に被害妄想になっているんですよ。結果として誰も助けに来なかったではないかということなんです。すみません。自分の感情を言っておきますけれども、本店にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な、効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」
——— それは誠にそうだ。結果として誰も助けに来てくれなかった。
吉田「後でまたお話が出ますが、消防隊とか、レスキューだとか、いらっしゃったんですけれども、これはあまり効果がなかったということだけは付け加えておきます」
(略)
社長の清水正孝の答えは、次のようなものだった。
「あの、職員のみなさま、大変、大変な思いで対応していただいていると思います。それで、確かに要員の問題があるんで、継続につき検討してますが、可能な範囲で対処方針、対処しますので、なんとか、今しばらくはちょっと頑張っていただく」
東電本店はヒトだけでなくモノの面でも福島第一原発を孤立させていた。
(略)
——— この注水の作業なんかについては、消防車の運転操作なんかの委託をしていた、日本原子力防御システムですかね、そういうところだとか、南明興産というところですね、こういうところも協力していただいている?
吉田「最初は協力してくれる」
——— 途中からは。
吉田「線量が出てから」
——— 線量が上がり過ぎて、その人たちの作業はできなくなったと。それ以降は、東電の。
吉田「自衛で」
——— その自衛消防隊の方だけでやっていたんですか。
吉田「はい。何人か奇特な方がいて、手伝ってくれたようなことは聞いているんですけれども」
——— それは。
吉田「南明さんとかですね。ほとんど会社としては退避されたような形で、個人的に手伝ってといったらおかしいんですけれども、そういうことは聞いております」 (中略)
——— 3月16日以降とかは、がれきの整理などのために、例えば、がれき撤去のための作業用の車両みたいなもの、ブルドーザーなり何なり、そういうものは届いていたんですか。
吉田「バックホーが数台もともとこちらにあったのと、間組さんがどこかから持ってきてくれて、主として最初のころは間組なんです。土木に聞いてもらえばわかりますけれども、間組さんが線量の高い中、必死でがれき撤去のお仕事をしてくれていたんです」
——— これは何で間組なんですか。
吉田「たまたま、私もよくわかりません。そのときは線量が高いんですけれども、間組が来てくれたんです」
——— この辺周辺の撤去などの作業をしてくれたんですか。
吉田「それもやりましたし、6号への道が途中で陥没したりしていたんです。その修理だとか、インフラの整備を最初に嫌がらずに来てくれたのは間組です。なぜ間組に代わったかというのは知らない。結果として間組がやっているという状況だったので、たぶんいろいろお話をして、一番やろうという話をしてくださったんだと思います」
最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。
これが多くの震災関連死の人を出し、今もなお13万人以上に避難生活を強いている福島原発事故の収束作業の実相だ。
日刊ゲンダイがさらに「間組」の取り組みについて以下のようにフォローしている。
実は、間組(現・安藤ハザマ)は震災直後に社内有志を募り、パワーショベルやトレーラーの運転士ら7人の社員を現地に送っている。選ばれたのは、すべて50代のベテランのみ。「健康被害が心配」(間組関係者)ということで若い社員の派遣は見送られたという。 7人のおじさんは、退避する車の流れに逆行して福島に到着し、15日から作業を始めた。
企業事情に詳しいIMSアセットマネジメントの清水秀和氏がこう言う。「間組には〈現場から逃げ出さない〉という社内風土がある。171人の犠牲者を出しながら完成させた黒四ダムの施工者も間組です。福島原発と同社は縁もゆかりもない。それでも現場に駆けつけた。彼らは“土方の矜持(きょうじ)”と言うはずです」
南明興産は東電の石油販売などの業務を担当する企業として発足、1957年に東電不動産管理の出資を受けて東電の関連会社となった。さらに福島事故の一年前の2010年に東電の100%子会社になった。事故後は、東電の燃料会社再編に伴い「東電フュエル」に統合されている。
http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/1-3m.html
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/150497/1
マスメディアが作り上げた「フクシマ50」は虚構だったが、真の「フクシマ・プロたち」が辛うじて踏みとどまり、事故の拡大を阻止したことがわかる。
(以下は吉田調書の報道から)
吉田「逆に被害妄想になっているんですよ。結果として誰も助けに来なかったではないかということなんです。すみません。自分の感情を言っておきますけれども、本店にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な、効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」
——— それは誠にそうだ。結果として誰も助けに来てくれなかった。
吉田「後でまたお話が出ますが、消防隊とか、レスキューだとか、いらっしゃったんですけれども、これはあまり効果がなかったということだけは付け加えておきます」
(略)
社長の清水正孝の答えは、次のようなものだった。
「あの、職員のみなさま、大変、大変な思いで対応していただいていると思います。それで、確かに要員の問題があるんで、継続につき検討してますが、可能な範囲で対処方針、対処しますので、なんとか、今しばらくはちょっと頑張っていただく」
東電本店はヒトだけでなくモノの面でも福島第一原発を孤立させていた。
(略)
——— この注水の作業なんかについては、消防車の運転操作なんかの委託をしていた、日本原子力防御システムですかね、そういうところだとか、南明興産というところですね、こういうところも協力していただいている?
吉田「最初は協力してくれる」
——— 途中からは。
吉田「線量が出てから」
——— 線量が上がり過ぎて、その人たちの作業はできなくなったと。それ以降は、東電の。
吉田「自衛で」
——— その自衛消防隊の方だけでやっていたんですか。
吉田「はい。何人か奇特な方がいて、手伝ってくれたようなことは聞いているんですけれども」
——— それは。
吉田「南明さんとかですね。ほとんど会社としては退避されたような形で、個人的に手伝ってといったらおかしいんですけれども、そういうことは聞いております」 (中略)
——— 3月16日以降とかは、がれきの整理などのために、例えば、がれき撤去のための作業用の車両みたいなもの、ブルドーザーなり何なり、そういうものは届いていたんですか。
吉田「バックホーが数台もともとこちらにあったのと、間組さんがどこかから持ってきてくれて、主として最初のころは間組なんです。土木に聞いてもらえばわかりますけれども、間組さんが線量の高い中、必死でがれき撤去のお仕事をしてくれていたんです」
——— これは何で間組なんですか。
吉田「たまたま、私もよくわかりません。そのときは線量が高いんですけれども、間組が来てくれたんです」
——— この辺周辺の撤去などの作業をしてくれたんですか。
吉田「それもやりましたし、6号への道が途中で陥没したりしていたんです。その修理だとか、インフラの整備を最初に嫌がらずに来てくれたのは間組です。なぜ間組に代わったかというのは知らない。結果として間組がやっているという状況だったので、たぶんいろいろお話をして、一番やろうという話をしてくださったんだと思います」
最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。
これが多くの震災関連死の人を出し、今もなお13万人以上に避難生活を強いている福島原発事故の収束作業の実相だ。
日刊ゲンダイがさらに「間組」の取り組みについて以下のようにフォローしている。
実は、間組(現・安藤ハザマ)は震災直後に社内有志を募り、パワーショベルやトレーラーの運転士ら7人の社員を現地に送っている。選ばれたのは、すべて50代のベテランのみ。「健康被害が心配」(間組関係者)ということで若い社員の派遣は見送られたという。 7人のおじさんは、退避する車の流れに逆行して福島に到着し、15日から作業を始めた。
企業事情に詳しいIMSアセットマネジメントの清水秀和氏がこう言う。「間組には〈現場から逃げ出さない〉という社内風土がある。171人の犠牲者を出しながら完成させた黒四ダムの施工者も間組です。福島原発と同社は縁もゆかりもない。それでも現場に駆けつけた。彼らは“土方の矜持(きょうじ)”と言うはずです」
南明興産は東電の石油販売などの業務を担当する企業として発足、1957年に東電不動産管理の出資を受けて東電の関連会社となった。さらに福島事故の一年前の2010年に東電の100%子会社になった。事故後は、東電の燃料会社再編に伴い「東電フュエル」に統合されている。
http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/1-3m.html
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/150497/1