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大山鳴動の「池上コラム」。”凡庸”な記事内容。掲載拒否騒動は”アリバイ工作”か(?)(FGW)

2014-09-07 02:18:57

何でも解説できるはずの池上彰氏だが・・
何でも解説できるはずの池上彰氏だが・・
何でも解説できるはずの池上彰氏だが・・


朝日新聞の従軍慰安婦の「虚偽証言」掲載問題で、ジャーナリストの池上彰氏の批判原稿の掲載を朝日がいったん拒否し、再掲載というドタバタを演じた。ただ、この池上原稿を読んでみると、騒がれるほどの”鋭さ”もなく、単なる”アリバイ原稿”のようでもある。

 

池上氏の原稿は、朝日新聞に定期的に連載している「池上彰の新聞ななめ読み」というコラム。朝日だけではなく、各紙の報道ぶりを、独自の視点で評価、池上流で、ばっさり切り捨てたり、時に持ち上げたりするのが魅力のコラムだ。

 

”タブーを恐れない”池上節のコラムだけに、今回の朝日の慰安婦報道の虚偽証言問題は、当然、テーマとして取り上げることが予想された。ただ、4日に掲載された記事を読むと、主旨は、「過ちがあったら、訂正すべきなのに、遅く、潔くない。謝罪もすべきだ」というもの。当然の指摘だが、当たり前の指摘でもある。コラムとしては凡庸ともいえる印象だ。

 

池上氏ほどの舌鋒、筆力の持ち主ならば、この問題は格好のテーマだったと思える。日本社会の戦後処理のあいまいさ、戦争に対する左右の両論者に共通する感情的議論の先行性、戦勝国と敗戦国の人権論のギャップ、さらに時折、致命的な”虚偽報道”を起こしてしまう朝日新聞をはじめとする日本メディアの構造的課題等、切り込むポイントはいくつもあるからだ。

 

ところが、掲載拒否騒動の挙句に掲載された記事の論点は、要は「謝罪が足りない」という指摘に尽きる。それに対して、朝日新聞が「池上さんと読者の皆様へ」と題した謝罪の記事を併記したことで、池上氏は「私がコラムで主張したことを、朝日が実行(謝罪)したので、掲載を認めた」とコメントを付け加えている。

 

これで一件落着なのだろうか。この程度の記事で、「言論の自由うんぬん」と、大騒ぎすることだったのだろうか。というのが筆者の疑問である。冒頭の「アリバイ原稿では」という疑念は、そこから生じる。

 

何のアリバイか。池上氏は自らのコラムで、この問題を取り上げたというジャーナリストとしての「アリバイ」ではないだろうか。このテーマは無視できない、しかし、ヘタに本質に触れた指摘をすると、自ら火の粉を浴びる恐れもある。そこで、論点が慰安婦問題の本質とは別の、「掲載する、しない」論に持ち込むこめば、第三者にすれば、池上氏の原稿が重要な内容を含んでいるので掲載に待ったがかかったとの評価(誤解か)を得ることができる。

 

一方、批判された朝日も、結局は、内外の批判、反発の声を受けて、自らの判断でコラムの再掲載という柔軟な対応をとったうえ、読者にも謝罪をするという自浄力のあるメディアだとアピールできる。つまり、コラム記事を池上氏に発注している意味(アリバイ)がある。読売や産経とは違う、ということになる。

 

問題を見過ごさない鋭い池上氏、自浄力のある朝日新聞。今回のドタバタ劇が、こうした既存の評価を再確認するためのアリバイ工作だったか、あるいは、それは考え過ぎなのか。しかし、そうした疑念を抱いてしまうのは、何度も言うように、池上氏のコラムが、拍子抜けするほど当たり前のことしか書いておらず、これで朝日の上層部が逆上するのかな、との思いが消えないためである。

 

あるいは掲載を巡る池上氏と朝日のやり取りの過程で、池上氏が元原稿を穏当な形に修正した可能性もある。しかし、掲載しないなら連載を拒否すると啖呵を切りながら、コラムの切れ味を鈍化させる修正を施したとすれば、コラムニストとして自殺行為だろう。筆者はそうではなく、もともと、問題の本質への切り込みを回避した内容だったにもかかわらず、朝日が過剰反応したか、あるいは上述のように双方合意の”アリバイづくり”だったと推察している。

 

池上氏のコラムが物足りないのは、単に謝罪を強調しているためだばかりではない。コラムは「新聞ななめ読み」というタイトルだが、実は、池上氏が長年、所属していたNHKも、朝日に虚偽証言した人物のインタビューを1991年11月のニュースで伝えていたことが明らかになっている。NHKの籾井勝人会長は4日の記者会見で「(証言を)事実として伝えたのではなく、証言の中にこういうものがあるという伝え方をしている」と説明し、NHKとして、訂正や取り消しの放送をする必要はないと述べている。

 

池上氏はコラム執筆の時点では、NHKでの報道の内容を知らなかったのかもしれない。あるいは、コラム自体が「新聞」を対象としているので、「放送」のNHKは対象外としたのかもしれない。しかし、池上氏が過去に報道の第一線にいたとすれば、自分の所属したメディアが、共通のテーマでどう報道したかということは最低限、踏まえて他社批判をするのが普通、と筆者は考える。いずれにしても、「池上コラム」では、NHKのこの問題の扱いについては一言も触れておらず、「当たり前の謝罪」も求めていない。

 

あるいは、池上氏はコラムの次の号で、NHKの報道検証をするのかもしれない。(FGW)

 

朝日新聞のコメント http://www.asahi.com/articles/ASG956K76G95ULZU019.html