HOME8.温暖化・気候変動 |生物多様性条約・名古屋議定書が発効 日本は批准間に合わない”失態”。「キョート」「ナゴーヤ」とも、イベント開催だけで、実践力の無さを露呈(FGW) |

生物多様性条約・名古屋議定書が発効 日本は批准間に合わない”失態”。「キョート」「ナゴーヤ」とも、イベント開催だけで、実践力の無さを露呈(FGW)

2014-10-12 22:33:05

COP10での名古屋議定書採択時の様子。左は、議長国日本代表の松本龍環境大臣(当時)
COP10での名古屋議定書採択時の様子。左は、議長国日本代表の松本龍環境大臣(当時)
COP10での名古屋議定書採択時の様子。左は、議長国日本代表の松本龍環境大臣(当時)


生物の保全と持続的利用を目指して採択された国連の「名古屋議定書」が12日に発効した。しかし、同議定書のホスト国を務めた日本は、国内調整が未整備のままで、批准に間に合わないという失態を演じた。

 

議定書の発効は、締結国の数が、発効の条件である50か国に達したため。発効を受けて、13日から韓国・平昌で始まる締約国会合で、具体的な運用方法などの話し合いに入る。

 

2010年に名古屋で開いた国連生物多様性条約第十回締約国会議(COP10)は日本政府が会議を招致し、会議の議長を務めた。地元でもお祭り騒ぎのような盛り上がりを見せ、多くの企業関係者が、にわか仕込みの「COP10」担当者を大挙派遣した。

 

それまでは、先進国企業が途上国の豊富な生態系から採取した遺伝資源をもとに製品開発した場合でも、途上国側が受け取る経済的な恩恵が不十分なケースが多かった。このため議定書は、遺伝資源の利用者は提供国の同意を得たうえで利益や研究成果を配分する契約を結ぶことなどを規定した。会議の最後まで交渉はもつれたが日本の案(あるいはメンツ)によって合意に至ったとされている。

 

会議は、遺伝資源へのアクセスと利益配分(ABS:Access and Benefit Sharing)に関する議定書と、2010年以降の世界目標である「愛知ターゲット」を採択した。そのターゲットが2015年までに、議定書を発効させ、各国は国内措置を講じること、とした。

 

しかし、日本は議定書には署名したものの、批准に至っていない。政府は一昨年、2015年までに批准に向けた国内体制をつくると閣議で決めた。だが、安倍政権は、議定書自体が民主党政権下でまとめられたこともあってか、議定書批准に対する政策の優先度は必ずしも高くないようだ。望月義夫環境相は「関係省庁と調整し早く整えたい」と述べるにとどまっている。

 

COP10を日本で開催したことも、もはや「記憶の彼方」に過ぎ去っているのかもしれない。在京のある大使館関係者から、「『キョート』も』ナゴーヤ』も、会議場は日本だったけど、日本は議定書の趣旨を十分に理解していない。まさか、イベントに会議を提供しただけのつもりかい?」とイヤ味なコメントを聞かされた。

 

日本が会議のホストを務めながら、その会議の成果を自らは取り組まない、という「日本流」のスタイルが、名古屋議定書だけでなく、地球温暖化問題に対処する京都議定書の扱いとも似通うため、という。

 

京都議定書は、1997年に日本の京都で開いた国連気候変動枠組条約第三回締約国会議(COP3)でまとまった。日本は2008年から5年続いた第一約束期間には参加したが、2011年末に南アフリカ・ダーバンで開いたCOP17で合意した2020年を目標とする第二約束期間には参加せず、現在は、自主目標を定める形となっている。

 

京都議定書の第二約束期間への参加を見送ったのは、福島の原発事故の影響で、原発が一斉に停止し、代替措置の火力発電によってCO2排出量が増加に転じたことが大きい。だが、議定書からの離脱の背景には、国内産業界の不満を政治が調整できなかった点も無視できない。確かに、今回の名古屋議定書の批准の遅れとよく似ているのだ。

 

ただ、国際的なルール化によって産業界が影響を被るのは、基本的には、多くの国で似たような条件となる。だからこそ、各国でバラバラの規制を作るのではなく、国際ルールにすることで、国際的な産業間の競争を阻害するような影響を最小化しようという狙いが込められている。

 

むろん、他の国にも産業界との調整の遅れで批准に至っていない国もある。米国は生物多様性条約自体に署名していないし、温暖化対策の京都議定書からも離脱した。日本政府関係者は、「米国が参加していない」ことを、自らの免罪符にように説明する人もいる。しかし、米国はいずれの会議も自国で開くホスト役は務めていない。ホストを務めながら、地球温暖化対策、生物多様性対策というグローバル課題での国内調整をしきれない日本の姿は、「イベント屋」のように映るわけだ。

 

もちろん、国連の国際会議は単なるイベントではない。特に先進国の場合、グローバルな調整力を発揮して会議をまとめる能力とともに、自らルールの実践を率先垂範するリーダーシップが求められる。ところが「キョート」も「ナゴーヤ」も、である。よもや、両都市とも日本の都市名ではなく、どこか遠くの国の街の名前なのだろうか。

 

あるいは、日本はやはり、経済力は先進国レベルだが、政治的な調整、国際的なリーダーシップという点で、まだまだ途上国レベルなのかもしれない。国際的なイベントを招致して、需要を盛り上げる。お祭り騒ぎで高揚し、一種の達成感に浸る。本来のイベントの趣旨や中身の実践は二の次、ということか。

 

しかし、そんな「イベント国家・ニッポン」では、世界のどこからも尊敬はされない。生物多様性条約も、温暖化対策も、アジアでは実は、韓国のリーダーシップが目に付き始めている。国内調整力のない日本は、そのうちイベントも承知できなくなるかもしれない(FGW)。