ローマ法王 「犬猫への愛と、隣人への慈愛は違う」 『無関心のグローバル化』に警鐘(RIEF)
2016-05-16 14:51:53
フランシスコ・ローマ法王が先週末、信者を前にした謁見で即興にスピーチが話題を集めている。「人々が、犬や猫などのペットに大いに愛を注いでいる情景をよく見る。しかし、隣人には、困っている隣人には、そうした愛を注いでいないようだ」。
フランシスコ法王は、サンピエトロ広場に集まった信者や観光客に向けて言葉を発した。日本語に訳すると、おそらくこういう感じで法王は語りかけたようだ。
「みなさんは、『ピエタ』という言葉の意味をご存知ですよね。慈愛という意味ですよね。でも、その慈愛を注ぐ対象を、われわれの友である動物たちに注ぐ愛情と混同していませんか」
バチカンでは昨年12月8日から今年の11月20日までを「The Jubilee of Mercy(慈悲の特別聖年)と位置づけ、困難に直面している人々への支えの手を広げることを働きかけている。サンピエトロ広場に集まった信者たちも、そうした「特別の思い」を胸に秘めて集まったのだろう。
その人々に向かって、法王があえて、ペットと人間への慈愛の違いを説いたのは、、自らの従属物のペットを可愛がることで、慈愛の気持ちを疑似体験し、本来の支えが必要な困っている隣人には「無関心」で済ませる風潮が蔓延していることに危機感を抱いたのかもしれない。
日本だけでなく、世界でも空前の「犬猫ブーム」とされる。現代人がペットを大事にする傾向は洋の東西を問わず加速しているようだが、肝心の人間同士の連帯はますます、ないがしろにされているように映る。特に欧州ではシリアなどの難民問題が、一時の「連帯」から「敬遠」に変貌しつつある。
欧州だけの問題ではないだろう。日本も、5年前の東日本大震災と福島原発事故からの修復が未だしの中で、熊本地震で多くの隣人が立ち往生を強いられている。ボランティアの連帯は展開されているが、地震多発国でありながら、地震被害の予防、発生後の救援、再生への支援等の仕組みは、いつまでたっても確立されない。「隣人の苦しみ」は、明日の自分かもしれないのに。