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東京ごみ戦争の杉並清掃工場 建て替えへ運転停止(東京新聞)

2012-01-31 17:48:17

一九六〇~七〇年代の「東京ごみ戦争」の象徴、杉並清掃工場(東京都杉並区)が三十一日、老朽化による建て替えのため、約三十年間続いたごみ搬入を停止する。東京都小金井市長が昨年十一月に辞職するなど、ごみ処分地をめぐる問題はいまだに解決が難しい。しかし、杉並では激しい反対運動の末に築かれた官民の信頼関係から、現地での工場存続にわずか一年で合意した。 (鈴木学)


 「感慨は…ありますね」。近所に住む内藤昇さん(83)はしみじみ話す。工場建設の土地代金の一部でつくられ、ごみ戦争の記録の刊行などをしている「杉並正用記念財団」の理事長を務めている。




 六〇年代、この処分場予定地に見張り台を設け、都の職員が近づくと石油缶を打ち鳴らした反対運動は法廷の場に持ち込まれた。七〇年代の訴訟で住民側と清掃事業を担っていた都側は、一般に排煙に含まれる微粒子、ばいじんを法規制値の70%以下とする厳しい排ガス協定値を設けるなどして和解した。「双方の高度な判断だったと思う」と内藤さん。でも、稼働時は「行政が協定を守ってくれるのか不安はあった」。




 そんな思いもあり、八三年の運転開始から官民協議を年三回続けている。「トラブルがあった場合に、行政はありのまま情報開示してきた」と内藤さんは言う。信頼関係が積み重なり、二〇〇八年の行政側の現地建て替えの打診に、住民側は一年で答えを出した。




 「『移転させるべきだ』という意見は確かにあった。でも、ごみはどこかで処理しなければならない。もう一度、住民が参加しながら見守ろうという結論になった」




 杉並清掃工場は一二年度中にも解体工事が始まる。財団事務局長の石井晴美さん(74)は「計画、建設、運営のすべてで住民参加している。他にないでしょう」。官民協働のモデルケースと胸を張る。




 三十一日午後に搬入停止の記念式典が開かれる。新工場には「ごみ戦争」の歴史などを展示する資料室もできる。今後、周辺の工場に処理を委託、新工場は一七年度に運転開始予定だ。




 <東京ごみ戦争> 高度経済成長に伴いごみが増大、都は複数の区に清掃工場建設を計画した。杉並区で1966年、高井戸東が建設地に決まると、住民は猛烈な反対運動を展開。建設が進まず、杉並のごみを「夢の島」で受け入れていた江東区が反発し、ごみ搬入を実力阻止する騒ぎになった。71年、当時の美濃部亮吉知事は「迫り来るごみの危機は都民の生活を脅かす」とごみ戦争を宣言し、訴訟は74年に和解した。2000年の都区制度改革で、清掃事業は都から区に移管された。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012013102000184.html