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「風を読めない(?)・マスコミ世論調査ー産経ウェブコラム批判」(FGW)

2012-12-04 12:49:14

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「風を読めない(?)・産経新聞論説委員」

 

産経新聞のウェブサイトに「風を読む」というコラムがある。読まれる方はあまりいないと思うが、最近の記事で、マスコミの原発論議に対するスタンスの“軽薄さ”が見事に浮き彫りになっているモノを見つけたので、紹介したい。

コラムは同紙の論説委員が交代で執筆しているようだ。したがって、一応、産経の論調、分析を代表するものだろう。取り上げる直近のコラムは論説委員長氏による「原発ゼロ根拠の危うさ」(12月4日付)のタイトル。政府が9月のエネルギー・環境会議(通称、エネカン)で「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」との目標を立てた際の根拠に、「今さらだが」と疑念を向けている。

【政府の30年代原発稼働ゼロを批判】

政府は当初、稼働率15%を落ちどころとしてエネカンの議論を誘導していた。これはFGWでも指摘したように確かである。ところが、報告書公表後の意見聴取会やパブリックコメントでゼロを望む声が多かったことから、「国民の多くが原発ゼロを望んでいる」と結論づけて、ゼロに方向転換した。もっとも、政府の「原発ゼロ」宣言には、明確な政策の裏付けがなく、口先だけではないか、と疑念が向けられているのも事実である。今回の衆院選挙で卒原発を公約に掲げる「日本未来の党」などが出てきたのは、民主党・政府のゼロ公約は信用できない、との思いからだろう。

もちろん、産経の論説委員長氏は、民主党の口約束を批判して、原発ゼロを擁護しようとするものではない。真逆である。政府・民主党が方向転換の理由とした意見聴取会やパブコメで原発ゼロが多かったとしたことがおかしい、と書いている。なぜなら、と委員長氏は、政府の意見聴取会やパブコメの意見と対比させて、マスコミ12社の原発に関する世論調査を持ち出している。

コラムによると、マスコミの世論調査で「15%」以上が過半数になった調査は、4分の3の9社にのぼった。したがって、「国民の多くは原発ゼロより、原発の活用を求めていたといえる」とし、マスコミのほうが政府より国民の声を把握していると胸を張った。

ただ、この委員長氏は正直である。胸を張った後に、先月実施した同紙の世論調査で、原発ゼロ派が47%と最も多くなった(6月調査では30%)ことを打ち明け、「(この変化は)政府が醸し出した『原発ゼロ』ムードによる影響だろう」と、政府・民主党に改めて舌打ちをしている。

【政府の意見聴取とマスコミ世論調査の比較】

それだけのコラムなのだが、論点は二つある。政府の意見聴取等とマスコミの世論調査のどちらがより国民の民意をつかんでいるか、という点が一つ。もう一つは、マスコミの世論調査は政府のムード操作を受けて、半年の期間で20%近い変動をするものなのか(それほどブレやすいものなのか)という点である。

最初の論点では、産経コラムは、そもそも政府の意見聴取等のプロセスと、マスコミの世論調査のアプローチの制度的な違いを全く考慮しないという初歩的なミスを犯している。政府プロセスは政策評価の手続きであり、聴取会には関心のある人が直接集まり、パブコメも自分の方から意見を送るという積極的な意見を持つ人の声を聞くプロセスである。さらに今回は、批判はあったが、「討論型世論調査」なるものも導入した。いずれも、調査の母数を増やすよりも、積極的な賛否の意見を集め、政策に反映させることを目指したものである。

一方のマスコミの世論調査は、マスコミのほうから無作為抽出で選んだ人に電話等をかけて質問をする手法が一般的だ。この場合は調査母数が多いほど統計的確率が高くなるので、調査対象者の数が大事になる。同時にそこで出てくる意見は「聞かれて答える」という受動的な意見である。したがって、政府のプロセスと比較して、「こちらのほうが、説得力がある」と言っても、違う手法の比較では、実は説得力はないのである。

【正直な(?)読売の説明】

しかも、マスコミ世論調査には、常に“恣意性がささやかれる。「朝日新聞の調査だからこうなる」「産経はやっぱりこうだね」といった新聞のカラーが調査に反映するとの見方は、多くの国民が感じていると思う。そんなことはない、というなら「新聞の世論調査には、新聞社のカラーが反映すると思いますか?」との世論調査を新聞界全体でやってみればいい。

マスコミ自体が、世論調査の“恣意性”を認めている。読売新聞(11月27日付朝刊)は「世論調査結果、質問方法で差」との見出しで、朝日と読売の総選挙投票先の世論調査で、「日本維新の会」の得票数の予測がかなり違った理由を説明している。

それによると、「読売は質問時に14政党の名前を読み上げて選んでもらっているが、朝日は政党名を読み上げない」と解説、そのために、(朝日の読者は)新たに結成された政党の名前は思いつきにくく、朝日では維新の数値が低めに出たようだとしている。そして「世論調査の結果は、選択肢の読み上げの有無だけでなく、質問文の違いや全体の質問の構成・並び順などにも影響を受ける。(なので)世論の変化をつかむには、同じ報道機関の調査で推移を見ていくことが有効だと言えそうだ」と締めくくった。

この記事もかなり正直だと思うが、しかし、週刊誌の「週刊ポスト」はバッサリ切っている。「わかりにくい言い訳だが、要は『世論調査は質問の仕方で結果を操作できるから、アテになりません』と認めているのである。その結論を『世論の変化をつかむには、同じ報道機関の調査で推移を見ていくことが有効だ』というに至っては笑うほかない。過去、“自前の世論調査”の結果を振りかざして政権や特定の政治家を追及してきた反省を述べるべきだろう」(週刊ポスト2012年12月14日号)

ここは正直な読売の記事と、ポストの一刀両断ぶりの両方を評価したい。そうなのだ。マスコミの世論調査はその程度のものだ、という確認ができたわけだから。

国民の意見をどうつかむかということは、新聞にとっても、政治・政府にとっても、大事なことだ。国論を二分するようなテーマの場合、マスコミに期待される役割は、政府の政策評価手順を批判するだけではない。従来型の各社各様の世論調査で“お茶を濁す”のではなく、国民の理解を進め、国民の声をより迅速に、より幅広く、吸い上げる説得力のある手法を提起することである。

【国民意見を集約する効果的な方法の提案を】

例えば国民投票もその一つだし、全国地方議会での決議の集約も検討できる。マスコミが、「どうせ国民投票なんてできない」と高をくくっているから、市民団体が声を上げ、マスコミ抜きで市民が真剣に議論を進め、その結果、マスコミの影がますます市民社会において薄れていることに気付かないのだろうか(新聞の部数が落ちているのは、そうしたことを映している)。

最後に、もう一つの論点として挙げた点に触れておこう。マスコミの世論調査はムードでブレやすいのかという点だ。世論調査だけでなく、マスコミの記事全体が最近、とみに流されやすくなっているのは否めない。次から次に大きなニュースが起きるので、ある程度マスコミの関心が移ろいでいくのは、やむ得ないとの説明があるかもしれない。しかし、例えば原発問題など、生活と社会の根幹にかかわるテーマだと、実は、国民はマスコミほど移ろいやすくないのではないか。

そのギャップが読めず、自分たちの世論調査が“本意”と異なる結果になったことを、「政府の責任」と舌打ちしている姿は、まさに「風の読めないマスコミ」と断定せざるを得ない。産経新聞論説委員長さん。ウェブ・コラムのタイトルを変更されてはいかがか。(FGW)