HOME |安倍首相 小泉元首相の原発ゼロに反論 だが方向違いの言い分に終始 「政治家の責任とは何か」(FGW) |

安倍首相 小泉元首相の原発ゼロに反論 だが方向違いの言い分に終始 「政治家の責任とは何か」(FGW)

2013-11-09 22:57:16

abetouou2013061601001889
abetouou2013061601001889時事通信の報道によると、安倍晋三首相は9日放送されたBS朝日のインタビューで、小泉純一郎元首相が「原発ゼロ」を主張していることについて、「日本は島国だ。ドイツは(原発を)やめても、原発政策を維持するフランスから電気を買うことができる。日本はそれができない。そういうことも含めて責任あるエネルギー政策を考えなければいけない」と述べ、原発維持の方針に変わりがないことを強調したという。

 

この安倍発言は、小泉氏の脱原発発言に対して、まったく反論になっていない。小泉氏は「原発ゼロにしろという一番の理由は、処分場がないということ。いままで原発は安全でコストが安いといったけど、安全神話やコストが安いと信じる人はほとんどいない」というもの。原発をやめても、天然ガスなどのガス化火力発電や再生可能エネルギー発電で、電力の供給は可能だ。現に今、原発稼働がゼロの状態にもかかわらず、他の発電でまかなっており、この冬も、政府は、節電の呼びかけ不要と言明している。

安倍首相のいうように「日本が島国だから他の国から電気を買えない」という状況にはない。石炭、天然ガスなどの発電原料は市場で自由に買えるし、原発以外の発電設備能力も国内に十分あり、日本の太陽光発電市場は今、世界の注目を集め、多くの外資の投資が殺到している。したがって安倍首相が挙げたドイツの事例は、完全にズレた反論というしかない。’ʏí

問題は、原発代替エネルギーは市場で調達できるが、そのコストの上昇と、再生可能エネ発電の高コストの評価である。前者については、確かに石炭や天然ガスの輸入価格増は顕著だ。しかし、その要因の一つは、買い手の電力会社が地域独占企業である点を見逃してはならない。電力会社は総括原価方式で、かかった費用に利益分を上乗せできる財務構造であり、電力発電市場を現在も独占状態にあることから、輸入エネルギーコストが上昇しても従来通り購入する。競争市場でより安く購入しようというインセンティブは限られている。

電力会社を独占から競争体制に切り替える電力改革が実現すると、電力会社のエネルギー購入は競争入札に切り替わるので、全体としてみれば、市場価格を反映したエネルギー価格に近付くはずだ。さらに、小泉首相が指摘するように、東京電力福島第一原発の事故に伴う被災者への補償や、事故収束の費用を含めた実質的な原発コストを評価すると、「原発ほど(発電)コストが高いものはない」という点だ。

再生可能エネ発電の高コストは、固定価格買い取り制度(FIT)によるもので、高い売電価格を保証することで、市場参入を急速に高め、技術進歩を誘導する政策である。したがって、制度導入後しばらくは高コスト状況が続くのは、それこそドイツの事例をみれば当然といえる。高コスト期を乗り越えると、技術進歩と競争によって価格の引き下げは可能になってくる。エネルギー政策に責任がある政府は、こうした需給両面の政策効果のバランスを適切にとっていくことが求められている。


安倍首相が「責任あるエネルギー政策」という言葉を口にする以上、上述のような、エネルギー需給両面の対策をどうとっているのか、政策効果をどう評価しているのか、を明確に述べる責任がある。ところが、「責任ある」といいながら、「責任ある説明」は、あの「滑舌がいさささか悪い」口から一向には聞こえてこない。

さらに、小泉氏が指摘する原発の最大のウィークポイントである「核のごみ(放射性廃棄物)の最終処分のあてもなく、原発を進めるのは無責任だ」という点についても、安倍首相は一切答えていない。原発停止分のエネルギーをどの市場から調達するかは、民間企業を競争下に置いてゆだねれば、おのずと適正価格での調達が可能になる。その点については、市場に任せればいい。政治家たる者は、そうではなく、原発が本当にこの国の国土にふさわしいのか、将来にわたって国民の安全を阻害しないのか、国際社会に対しても責任ある対応をとれるのか、といった点を、虚心坦懐に評価して、正しい道を選択することにある。

利権まみれ、責任回避に汲々としている霞が関の官僚機構の”浅知恵”を見抜けず、彼ら保身派が振付けた台本を、一字一句、繰り返すだけでは、国を率いる首相としての責任は果たせない。安倍首相の「責任あるエネルギー政策を考えなければいけない」という反論が、いかに空疎に響くか。その響きにすら気づかないのかもしれない。この人を首相に選んだのは、国民であり、結果的に、国民にすべてのツケが回るということである。

目先の経済的回復優先を重視したわれら日本国民は、「責任」という言葉の重みを知らない首相とともに、2年半以上にもわたって15万人の福島の住民を将来の見えない状態に置いたまま、さらには事故を起こした原発の処理見通しが全くつかないまま、細々とした薄氷が続く長い道を歩んでいかねばならないようだ。また氷を踏み抜く前に、真の責任ある政策を政治が主導できるか・・・(FGW)