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カンボジアダム開発>国境を超えるダム被害のその後(1~3) (メコン・ウォッチ)

2011-10-03 14:56:46

ダム開発の実情を紹介した無料公開冊子『水の声』
ダム開発の実情を紹介した無料公開冊子『水の声』


カンボジアダム開発>国境を超えるダム被害のその後(1)

セコン、セサン、スレポックというメコンの支流は、地図で見るとメコンの左岸に扇のようにカンボジア東北部、ラオス南部、ベトナム中部高原に広がっています。3つの河川の流域はその頭文字をとって、3Sと表記されることもあります。
カンボジアのラタナキリ州は、この3つのうちセサンとスレポック川が流れています。森林も多く緑の美しい場所です。13の民族が暮らす州内は、様々な文化や生活様式のあるところです。セサンとスレポックはセコンに合流してからメコンに注ぎますが、合流点はカンボジア、上流はラオスとベトナム、という国際河川となっています。

この流域には、2000年に操業を開始したベトナムのヤリ滝ダムをはじめとし、数多くの水力発電ダムが計画・建設されてきました。ダム建設の影響は国境を超えて広がっています。特に、カンボジアでの影響は深刻です。メコン・ウォッチでは、2008年に「水の声:ダムが脅かす村びとのいのちと暮らし」として、現地の人々の暮らしと国境を越えたダム開発の影響についてまとめました。

冊子では、人々の日々の暮らしに対する考え、望んでいることからダムの影響までを写真を交えてお伝えしています。この地域での個別のダム建設計画は、50-58ページに紹介しています。現地ではその後も状況が改善されず、人々は未だにダムの放水による洪水被害に悩まされています。2011年7月に現地を訪問した際も、その暮らしは困難を極めていました。

今回は、現地の情報を3回にわたってお届けします。初回は、ラタナキリ州の中心バンルンから40kmほどのヴォンサイ郡PコミューンのF村の状況です。

村の抱える問題


 

この地域で、米は1期作、晩生や早稲を育て洪水や干ばつのリスクを分散する栽培がおこなわれてきました。村人の生業は、水田での稲作を中心とし、畑作、川での漁業、森での林産物採取を営む自給自足に近いものでした。しかし今、村人の多くが米の不作に悩まされています。スッさん(女性・56歳)はヤリ滝ダムができてから、村は顕著な洪水被害を受けるようになったと言います。

「1993年、ベトナム側でヤリ滝ダムの建設が始まり、1996年から影響がひどくなりました。以降、連続で洪水被害を受けています。最初の年は3回洪水があり、すべての水田がダメになりました。今も、1日3回もセサン川の水位が変わることがあります。」

「(放水の影響で)河岸が崩れ川の淵を埋めてしまい、魚の生息場所がなくなりました。また、乾季に水位が自然な状態よりも大きく下がり、淵に集まった魚を村人が一網打尽にしてしまいます。そのため、魚は減っています。」

同じくF村のヌピットさん(55歳、男性)の家をたずねましたが、ラオスやタイでは川沿いの村では必ず見かける漁具が、彼の高床の家の下にはありませんでした。

「川魚が減った理由の1つは、戦争です。爆撃と兵士が爆弾漁をしたため、減ってしまった。でも、それよりもダムの放水が決定的に魚を減らしました。(自分の記憶では)約70種いた魚が5-6種類になってしまった。100種類もあった川の野草もなくなった」と話していました。彼は既に漁をすることを諦めています。

村人は口をそろえて、食糧の安全保障がダムによって脅かされ、そのために持続的でない漁業もおこなわれるようになったといいます。それだけでなく、自然な状態でも水が少なく流れの穏やかな乾季に川の水が干上がり、かつ放水があると川は急流になります。この村の周辺では、延べ29名以上の方が、流されておぼれるなどして亡くなっています。村人は、セサン・スレポック・セコン保全ネットワーク(3SPN)をNGOと共に立ち上げ、政府やメコン河委員会に問題を改善するよう交渉し続けています。しかし、改善はほとんど見られないといいます。

スッさんは「3SPNのネットワークができるまでは全く情報がありませんでした。(ネットワークが設立された後)村人の抗議を受けて、ベトナム政府はプノンペンにある水資源省にダムの放水を連絡することになりました。しかし、仮に連絡あったとしても、意味がないでしょう。国から州、郡、コミューン、村という順に連絡があるため、水のほうが早く村に着くからです」と話しています。

今、この村の抱える問題は、ベトナムのダムの影響にとどまらなくなっています。現在、村が抱える新たな問題を次回のメールニュースで報告します。

カンボジアダム開発>国境を超えるダム被害のその後(2)

カンボジア・ラタナキリ州では13の民族が農業と川での漁業を中心とした生活を送ってきました。前回お伝えしたように、その暮らしは国境を越えたベトナムのダムの影響を受け、困窮しています。

また、この地域では、ベトナムの投資による下流セサン2水力発電ダムの計画が着々と進んでおり、移転地の問題やさらなる環境被害などが懸念され、村人を不安に陥れています。引き続き、2011年7月にフォンサイ郡PコミューンのF村を訪問し、お話を伺った報告をお届けします。

人々の暮らしとこの地域のダム開発の詳しい状況については、ネット上で無料公開している冊子、「水の声:ダムが脅かす村びとのいのちと暮らし」をご覧ください。

■水質汚染

ダムからの水は建設初期、貯水池にたまった有機物が腐敗するため、非常に水質が悪くなります。また、熱帯での水の停滞は水温の上昇や水中の酸素不足を招きます。さらに、藻類の影響とみられる皮膚病も発生します。これは、タイのパクムンダム、ラオスのナムトゥン2ダムなどでも確認されている現象です。

PコミューンにはF村、P村の2村があり、522世帯、2366人居住しています。F村では、河岸の崩落で家屋が危険になったことや河岸の畑が失われたため、20世帯以上が3キロほど離れたところに家を移しました。以前は川の水を生活用水に使っていましたが、今は援助機関の掘った井戸に頼っています。村人は、約30の井戸は人口に比べ少なすぎると言います。援助の入っていない他の村の一部は、村の資金では井戸が作れず、水質の悪化した川の水を生活用水に利用し、乾季には皮膚病が発生しています。

■奪われる土地

村人は新たな問題に直面しています。下流セサン2ダムの建設問題です。建設されると村は水没し、移転を強いられます。しかし、移転地は付近にはありません。ベトナムや中国の企業が、村の周囲1000ヘクタール以上の土地で、99年間の土地の賃貸契約を獲得しているからです。これは、村人の反対にあったにもかかわらず、村長やコミューン長が勝手に了解してしまったといいます。人々は村の周りの土地の所有権が変わっていることを、2年前に知ったといいます。この土地はもともと、次世代に分配するために村人が共有地として確保しておいたものです。土地には3年前からゴム植林が行われています。F村のヌピットさん(55歳、男性)は、「昔のように食べるのに困らない生活に戻りたい、(ダムの)反対運動などしなくて済む生活がいい」と言います。

しかし、村人の願いとは裏腹に、2011年2月15日付メコン河開発メールニュースの通り建設計画は着々と進んでいます。

この報道によると、国営ベトナム電力会社(EVN)の小会社であるEVNインターショナルが、ベトナム政府からカンボジア水力発電セクターにおける過去最大級の投資案件を進める許可を取り付けたとされています。

(文責/木口由香 メコン・ウォッチ)

 

カンボジアダム開発>国境を超えるダム被害のその後(3)

引き続き、2011年7月に、現地訪問をした際のスレポック川流域のコンノム郡Sコミューン、S第2村の状況です。村の人口は668人、やはり、農業と副業としての漁業、林産物の採取で暮らす村です。牛や水牛も約650頭飼われています。集まってくださった8名の村人は、セサン・スレポック・セコン保全ネットワーク(3SPN)のメンバーでした。この村の生活にも、下流セサン2ダムが大きな影を落としています。

頻発する洪水


 

洪水はダム建設後から毎年起こります。東南アジア一帯で大規模な被害を出したケッサナー台風が来襲した2009年には、洪水は2回発生、村の全ての水田と果樹園の一部が水没し被害を受けました。洪水の影響が出始めたのは2004年で、異常な洪水に驚いた村人は最初理由が分からず、精霊の怒りに触れたのだと考え、祈祷でなだめようしようとしたといいます。2005年になってNGOの情報でダムが原因だと知りましたが、それまでダム建設について聞いたこともなかったといいます。洪水だけでなく川は渇水にも見舞われます。2010年5月14-18日には川の水が干上がり、魚が大量死したそうです。

この村では一部の人は雨季の間の3~4ヶ月、洪水の被害をさけるため水田がある高地に移動します。10キロほど離れたそこで、かつては水田脇に小屋を作って寝泊まりしていたそうですが、今そこは恒常的な家を建てています。しかし、高台は乾季に水源がないため、農繁期が終われば村に戻ってくるという二重生活を強いられています。

生活を変えたダム


 

そこまでしても、一年の消費に十分な米がとれるのは、村の世帯の30%ほどで、残りは米を買う必要があります。ダムの被害を受ける前はほぼ100%自給可能だったそうです。今、村人が不足するコメを買う手段は日雇い労働で、州内の大豆農園で11月、カシューナッツ農園で12月から4月まで働いて糧を得ています。以前は頻繁に行われていた河岸での野菜作りも、ダムの放水による河岸の崩落や不定期な水位の変動でできなくなりました。村では、生活用水に雨季の5~11月は井戸か雨水、乾季の12~4月は川の水を利用しています。しかし、以前は乾季に澄んだ水を与えてくれた川は、今は濁っています。水が引いたあと岩が白っぽくなり、原因は分からないながら2006年に目の病気が流行し、2007年から皮膚病が出るようになりました。子どもと女性、年寄りに症状が出やすいといいます。家畜が川の水に入った後、病気で死んでしまうこともあるそうです。

人々の問いかけ


 

村人はこの状況に甘んじているわけではありません。2000年ごろから、カンボジア政府や流域の開発の調整をする機関であるメコン河委員会に対して声をあげています。今では、村人自身がその被害を記録、政府に伝える活動も行っています。2009年からは毎年、被害を国会に報告しているそうですが、政府から返答はないそうです。また、下流セサン2ダムの環境アセスメントに対する批判的な議論も行っています。

この村でも、下流セサン2ダムの建設に反対する住民が多くいます。今年のカンボジア政府の説明会では、補償地が支給されると説明があったそうですが、村人はそれも半信半疑の様子でした。用地には既に耕作している住民がいるからです。移転などせず、先祖も暮らしたこの土地で、自分も最後を迎えたいと人々は話しています。

前回紹介したF村のヌピットさんは、「(発電するなら)小川に小規模水力を設置してほしい。自分たちで管理できる。400メガワットを発電する下流セサン2ダムは私たちのためではなく、外に電気を売るために作られるのです」と話していました。また、様々な問題を語ってくれたスッさんは、「あなたたちNGOに伝えて、大きな政府(カンボジアやベトナムの政府)に声が届きますか?」と私たちに問いかけました。

ここ数年、日本はベトナムにとって最大の援助国です。電力マスタープランや水資源管理のマスタープランも、日本の援助で行われています。2009年度の円借款は1,456億円(交換公文ベース)に達し、過去最高額となり、震災前は官民を挙げてベトナムへ原子力発電所導入を進めていました。その陰で、ベトナムの電力開発はカンボジアの人々を苦しめているのです。

(文責/木口由香 メコン・ウォッチ)

http://mekongwatch.org/

http://mekongwatch.org/resource/news/20110929_01.html

(文責/木口由香 メコン・ウォッチ)