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アジアで重要性が高まるトランジション・ファイナンス(白井さゆり)

2024-01-05 14:36:59

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写真は、脱炭素経済社会へのトランジションに向けてタクソノミー開発を議論したASEAN財務相・中央銀行総裁会議後の記者会見=ASEANサイトから)

 

 2023年末の国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)では、今世紀末までに世界平均気温を(産業革命前に比べて)1.5℃の上昇に抑えるために、化石燃料からの転換、2030年までに再生可能エネルギー容量を世界全体で3倍にし、エネルギー効率の改善を世界平均で倍増させること等で合意した。さらに、排出削減が困難なセクターにおいては、再エネ、原子力、炭素回収・利用・貯蔵(CCUS)、低炭素水素製造を含む技術開発を加速させることなども、最終合意に含まれた。各国はこの公約に沿って具体的な行動を加速させることが求められている。

 

世界最大の成長地域アジアが直面する課題も

 

 アジアは、現在、世界の温室効果ガス(GHG)排出量の4割を占めており、世界の石炭消費の6割を占めている。今後も、最大排出国の中国を除いても、世界でもっともGHG排出量が増えていくと見込まれている。中でも、成長著しいアジアの新興国・途上国では、電力の供給が旺盛な需要に追いつかない状態にあるうえに、稼働して間もない新しい火力発電所が多い。このため、火力発電所の老朽化を待ってから、再エネ等へのリプレースメントを行うのでは、到底、大幅なGHG削減ができない事情がある。したがって、できるだけ再エネ等へのリプレースメントを前倒しで図るとともに、既存の火力発電を稼働させながら、水素やCCUSなどを使ってGHG排出量を削減させる取り組みが欠かせない。

 

 既存の火力発電所を稼働させながら、GHG排出量を削減させる水素やCCUS等の技術の可能性については、安価な天然ガスが国内で入手できる米国を中心にして、排出削減の実証実験が進められている。再エネを活用した水素製造等もそうした実証化の対象となっている。米国では太陽光、風力の再エネ電力の供給も増えている。欧州でも、風力発電の適地が多いことから、再エネを電源の主力に置き換えるシフトが進んでいる。こうした欧米の動きに比べて、アジアでは全体的にみて、再エネをすぐに大量導入するのは難しい状況にあると言わざるを得ない。

 

 アジアでは、日本、中国、韓国を含めて電力消費度の高い製造業が多い。今後は、東南アジアや南アジアがそうした製造業の拠点として一段と発展していくと予想される。しかし、特に、鉄鋼、アルミニウム、セメント、肥料、化学などの高炭素集約型セクター分野を中心に、現時点では低コストで排出削減できる低炭素技術がまだ確立していないため、これら製造業の低炭素化に向けては、大幅な投資や技術開発が必要になる。

 

トランジション・ファイナンスにおける最近の動き

 

 火力発電が主流の電力や、GHG排出量の多い製造業の低炭素化・脱炭素化への移行のため、企業の設備投資や技術開発、エネルギー転換等を、金融面から支援するのが「トランジション・ファイナンス(移行金融)」である。ただ、現時点では、企業が社債発行で資金調達するトランジションボンドは、世界全体では十分に発達しておらず、発行体は日本や中国に、ほぼ限られている。こうした市場環境下で、アジアに、脱炭素への移行を支える国際的な資金を呼び込むためには、アジア各国の官民と投資家が、アジア固有の状況を理解しあい、協力しあっていく必要がある。

 

 トランジション・ファイナンスについては、世界でさまざまなアプローチがあり、定義もさまざまである(詳細は、白井[2023]、Shirai[2023]を参照)。最近では、東南アジア諸国連合(ASEAN)の動きに注目が集まっている。

 

 2023年末のCOP28で、シンガポールが3年半かけて準備してきたタクソノミーの最終版を公表した。同タクソノミーは、EUのサステナブルファイナンス・タクソノミーを参考にしながら、気候変動対策に適した活動・事業を分類したものである。その概要は、まず、EUやClimate Bonds Initiative(CBI)などがグリーン事業を定義するのと同様の閾値や基準を充たした活動を「グリーン(緑)色」に分類する。

 

 イノベーティブな点は、こうしたグリーン事業についてはEUと共通化を図る一方で、排出削減手段が少ない産業では、当該産業においてもっとも進んだ削減取り組みを「ベスト・イン・クラス」として、トランジション活動の閾値や基準を設けて「アンバー(琥珀)色」に分類する点だ。さらに、環境を害する活動は、市場退出を意味する「赤色」に分類する(最終版では“Ineligible”(不適格な) 活動と呼んでいる)。信号機型とされる。しかも琥珀色に分類された企業は、一定期間に緑色に移行できなければ、赤色に移行するとする期限付きだ。高炭素集約型産業・企業の移行に配慮しつつ、削減が不十分だと市場退出させる道筋を明確に打ち出した点が、国際的に評価されている。

 

 ASEANも2023年3月に、シンガポールが取り組んだ信号機型の分類方法を参考にして、ASEANタクソノミー第2版を公表している。同タクソノミーにも、市場退出の「赤信号」評価が入っており、「タクソノミーにトランジションの分類を導入した世界初の試み」とうたっている。

 

ASEAN Taxonomy報告書(Version1)
ASEAN Taxonomy報告書(Version1)

 

 しかも、シンガポールもASEANも、まだ長期間稼働できる石炭火力発電所を早期に閉鎖する枠組みもタクソノミーに加えている。同様な考え方は、国連主導の金融機関の自主的なネットゼロ活動のGFANZ(グラスゴー金融同盟)事務局も提唱している。シンガポールは、石炭火力発電所の早期閉鎖による排出削減効果を、国際的なカーボンクレジットの自主団体「ICVCM」が公表するコアカーボン原則に沿った質の高い「トランジションクレジット」として発行し、発電所の廃止費用に充てる考え方も示している。近く、米国の財団などと協力して、フィリピンなどでパイロットテストに着手する、としている。

 

 日本政府のグリーン・トランスフォーメーション(GX)政策もアジア各国と同様に、高炭素集約型産業の脱炭素移行を柱に据えるものだが、シンガポール等のようなトランジション活動や事業も組み込んだタクソノミー手法は盛り込んでいない。この点、シンガポール等の取り組みには、実際の運用における実効性に課題があるかもしれないが、対象事業の分類がし易くなることから、アジア以外の政策当局や市場関係者らからも、比較的、好意的な意見が多いようだ。

 

アジアで乱立する独自のアプローチと金融市場分断化リスク

 

 EUのような世界有数の経済規模であれば、世界の投資家はその気候政策や制度をしっかり調べようとする。特にEUは気候・サステナブル政策のルールメーキングでは、世界のリーダー、フロントランナー等としての圧倒的な影響力をもっているため、多くの国がEUの取り組みに注目している。

 

 これに対して、アジアは国ごとに脱炭素化のための仕組みや制度が違い、投資家がそれを理解するだけでも大変だ。さらに、アジア全体をみていて気になるのは、情報発信が各国でバラバラであるため、投資家に十分理解されているとは思えないことだ。例えば、企業の「情報開示義務」という言葉一つをとってみても、アジア各国の場合、法律で義務化しているのか、上場規則で義務化しているのか、あるいは従わなくても説明できれば良いという緩い原則ベースなのか、実態はさまざまだ。

 

 そうした制度的取り組みについての、各国による対外的な説明も必ずしも明快ではない。このため、国際市場の投資家はアジア各国の企業の情報開示の実情やサステナブルファイナンスへの取り組みについては、あまりよく理解していないし、投資家向けに実施される国内外の専門家による解説というものの内容にも、説明者側の「誤解」が結構、みられるようだ。基本的に、民間金融市場から投資を呼び込む上で、各国の取り組みについての情報が非常に不足している状態にある。

 

 各国・地域が、バラバラの対応にとどまっているアジアの動向をみていると、このままではアジアのサステナブルファイナンス市場の分断化が進むのではないかとも懸念している。しかも、アジア各国当局の脱炭素に関する知識に大きな差があり、アジア域内でも、お互いのアプローチをよく知らないことが多い。各国が問題意識を共有し、皆で理解を深めよりよいアプローチを模索する機会をつくることで、アジア全体を底上げしていくことが重要だ。

 

 アジアの金融当局と話をすると、脱炭素分野でアジアの実情を踏まえた「アジアン・ボイス」が必要だとの声をよく耳にする。フロントランナーのEUの政策は、もちろん参考にしなければならないが、それと全く同じような仕組みは、経済成長を重視するアジアの場合、難しい面があると皆が感じている。だからとって、国際的な動向やEUのアプローチを無視すれば、国際的な投資家や専門家から批判が高まり、十分な資金を投資してもらえない可能性もある。そう考えると、アジア全体に気候関連の投資資金がもっと投下されるためには、世界の投資家や専門家とも議論を深めつつ、できるだけ分かりやすい共通のアプローチを模索していくべきではないか。

 

 日本は製造業中心の産業構造をはじめ、脱炭素の課題で他のアジア各国と共通する点が多い。その点で、成長が続くアジアの新興国・途上国と、どう協力していくかをもっと体系的に考えていくとよいのではないかと思っている。日本の金融機関や企業にとっても事業活動の機会が広がるかもしれない。

 

GXスクリーンショット 2024-01-05 143118

 

 日本政府は今年2月にも「GX経済移行債」を発行する予定という。経済の脱炭素・低炭素化に向けた第一歩と位置づけられる。ただ報道されている内容によれば、資金使途先は、大半がグリーン事業関連の内容のようだ。そうであれば、グリーンボンド市場は世界の多くの国が発行しており、グリーン国債にした方が国際的には分かりやすいのではないか。GX債が想定するトランジションボンドとしての発行は、前述のように、トランジション・ファイナンスの定義やアプローチが世界でいろいろあることや、移行が十分にできない場合の「退出」をどう扱うのか等についても整理し、投資家にとって、より分かり易い情報発信の体制を準備してから、グリーンボンドと別に発行をしてもよいのではないかと思う。

 

 経産省は技術ロードマップを作り、産業ごとにトランジションの方向性は打ち出している。これは興味深いアプローチで、高炭素集約型産業に属する企業にとって、自社のネットゼロに向けた移行計画を策定するうえで参考になっている。ただ国際的な投資家や専門家、および欧州政府の担当者らと議論していると、GXの対象とされる高炭素集約型産業のネットゼロ目標に到達するタイムスケジュールや、移行の度合いを計る閾値・基準の具体性が乏しい等の指摘をよく聞く。

 

 EUをはじめとして世界では、カーボンバジェット(「1.5℃目標」達成に向けて、今後、排出が許容されるCO2排出量を示す)の概念を踏まえた、議論が進められている。日本の場合、2050年ネットゼロ、2030年までに46%削減の中間目標を達成するためには、産業ごと、さらに産業全体での排出量を、いつまでに具体的にどう削減をしていくのかを、閾値・基準なども使って、もっと丁寧に示すことで海外からの理解を促進できるのではないか。シンガポールやASEANのタクソノミー取り組みもカーボンバジェットの文脈に乗っており、国内外の投資家や金融機関などとも議論してきたようだ。日本のGX政策は、同じアジア内でも、それらとは根本的に違うことをやろうとしているとの印象を与えているようだ。現状のままでは「グリーンウオッシュ」と批判されやすいとも感じており、せっかくの興味深いアプローチに、もう少し工夫を加えていけば、参考にしたいアジアの国も増えるのではないか。

 

アジア開発銀行と同研究所によるAsian Climate Finance Dialogueプロジェクト

 

 こうしたアジアでの取り組み状況の中で、2025年にアジア開発銀行(ADB)と同研究所の共同プロジェクトとして、アジア各国当局の気候変動関連の企業情報の開示制度や、トランジション・ファイナンス等の様々なアプローチを集約したプラットフォームをADB内に立ち上げる準備を進めている。実は、同プロジェクトは、私の提案によるものだ。すでに、2023年11月にASEANと日本、中国、韓国の規制当局者が集まり最初の会合を開いている。

 

 年が明けた今年からは、本格的に各国の金融規制当局との非公式会合で、特定のテーマに絞って開示をめぐる課題について、各国がお互いに情報交換し、議論ができる非公式の場を提供していきたいと考えている。すでに各国の担当者に対しては、共通テーマの理解を深めるための質問票も送付するなどの作業を実施している。

 

 今年は、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が2023年6月に公表した気候・サステナビリティ開示基準を、各国がどのように自国制度として落とし込もうとしているか、サプライヤーの排出量(スコープ3)の開示、トランジション・ファイナンスに関する様々なアプローチ等がテーマになるだろう。将来は、削減貢献量(いわゆるスコープ4)、企業の移行計画やシナリオ分析にも焦点を当てたい。

 

 アジアの中央銀行とも議論を進めていきたいと考えている。 日本銀行は2021年から気候変動対応オペ(公開市場操作)を実施し、脱炭素に取り組む企業への投融資を対象に、日銀が金融機関に原資となる資金をゼロ金利で供給している。中国人民銀行(PBoC)も同年から類似した政策を実践している。EUの欧州中央銀行(ECB)は、各国中央銀行の中で、もっとも包括的に気候変動への取り組みを進めている。

 

 EUの中でもフランスは、最近、マクロン大統領が中央銀行の長期貸出制度を使い、グリーン関連の融資には金利を下げるように求めるなど、一歩、先に行こうとしている。だが、世界の多くの中央銀行は金融政策で気候変動対応をすることに比較的消極的だ。金融政策の役割は「物価の安定」なので、気候変動対応のように構造的に経済の仕組みを変えていかなければならない課題は、本来、政府が取り組むべきとの意見が多い。

 

 ただし、中央銀行は「金融システムの安定」の責任も負っている。現在、多くの中銀が監督対象の銀行などに気候シナリオ分析の実践を促しているが、それ自体が銀行の行動を大きく変えるまでには至っていないようだ。金融システムの安定の観点からそれ以外にも、もっと何ができるかを検討してもよいのではないかと考えている。金融システムの安定をはかる上で、中銀が銀行などの気候変動リスクを評価する重要性は今後高まっていくであろう。欧州では銀行の自己資本規制の文脈で議論が進んでいる。

 

 

 本稿は、日本経済新聞「Nikkei GX」(2024年1月4日)に掲載されたインタビュー記事「アジアの脱炭素への移行金融 慶応大・白井教授の24年展望」を、筆者が加筆・修正を加えて掲載した。

 

参考文献:

白井さゆり、「気候政策を支援する金融 市場拡大へ共通基準設定を」、日本経済新聞、経済教室、2023年11月24日掲載

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO76334990S3A121C2KE8000/

Shirai, Sayuri. 2023. An Overview of Approaches to Transition Finance for Hard-to-Abate Sectors, 7 December. https://www.adb.org/publications/an-overview-of-approaches-to-transition-finance-for-hard-to-abate-sectors

 

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白井 さゆり(しらい さゆり) 慶応義塾大学総合政策学部教授。アジア開発銀行研究所客員研究委員兼サステナブル政策アドバイザー。コロンビア大学経済学博士。元国際通貨基金(IMF)エコノミスト。2011~16年日本銀行政策委員会審議委員として金融政策決定に関与。