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こんな事があったのに「変わらない社会」とは何なのだ(伊方原発をとめる会ニュース)

2013-02-04 16:02:25

Ikatagenpatsu_Nuclear_Powerplant
Ikatagenpatsu_Nuclear_Powerplant伊方原発をとめる会ニュース(2013年1月15日 NO.5)より: 第2回 口頭弁論(2012年9月25日)の陳述を終えて              渡部寛志(原告団共同代表)

 私の人生の中で「法廷に立つ」日が訪れようとは、考えもしなかったことです。伊方原発運転差止訴訟の原告となり、共同代表になったのだから当然と言われるかもしれません。しかし私は、「なぜ私が意見陳述を?」という思いを抱いたまま陳述に臨みました。
 
 福島第一原子力発電所の爆発事故は、何十万という人々の人生を大きく変えてしまいました。しかも「自らの意思とは無関係に」です。私もあらがう事を許されず、「生きる場」から切り離されるという受け入れ難い事態に直面しました。私たち原発事故の被災者は「原発との共存などありえない。だから『依存』など出来ない」ということを身をもって気付かされました。だから私は当然の事として、今回の出来事で世の中は大きくそして急激に変わっていくものと信じていました。

 しかし事故から3ヶ月、4ヶ月と経るうちに政府とマスコミは私たち被害者を置き去りにした形で原発是非の議論をはじめました。やがて大飯原発の再稼働に踏み切り、日本は元の道に戻りはじめたのです。

 今、全国に分散した被災者は各地で声を上げて闘っています。こんな事があったのに「変わらない社会」とは何なのだ。「なぜ私たちが」と。意見陳述にのぞみ、私にはそんなやりきれない悔しい思いがありました。そして実際に陳述をはじめたとき、思いがけず声が震えてしまいました。「もしも私の陳述が裁判の行方に影響を及ぼすとしたならば」と思うと、大きなプレッシャーを感じたからです。「陳述者が本当に私で良かったのか?」とも思いながら、とにかく裁判官に私たち被災者の思いが通じるように訴えなくてはならないという気持ちでした。陳述が終わり傍聴席から聞こえてきた拍手に少しほっとさせられ、この日の私の役目は終わりました。

 このままでは未来の世代に対し責任が果たせません。脅威は今も目の前にあるのです。一日も早く原発ゼロを出発点とする社会を作らなくてはならない。改めてそう認識させられた第2回口頭弁論でした。

 

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