HOME |「2011年3月12日~15日」 東電福島第一原発・連続水素爆発下での「国家の存亡」  誰が「国」を守り、誰が捨てようとしたか (「カウントダウン・メルトダウン」船橋洋一著より) |

「2011年3月12日~15日」 東電福島第一原発・連続水素爆発下での「国家の存亡」  誰が「国」を守り、誰が捨てようとしたか (「カウントダウン・メルトダウン」船橋洋一著より)

2013-03-07 11:38:38

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fukushima9eb0ace7cb87e6c28f0928b2a588efde-300x226まもなく、3月11日がやってくる。あれからもう2年。しかし、放射能汚染地区ではこれから数十年、数百年の時を待たねばならない。事故時の大混乱にもかかわらず、「偶然」にも、被害は最小限度にとどまった。当時首相の菅直人氏に対しては政局がらみの非難中傷が多方面から浴びせられた。ここに引用する文章は、船橋洋一著の「カウントダウン・メルトダウン」が記す「日本が歴史上、一番危なかった数日(第二次大戦時よりも)」の記録である。

3月12日午前7時 菅対吉田

一同、マイクロバスで免震重要棟へ向かつた。菅が右側の窓際に、その隣に武藤栄東電技術担当副社長が座った。菅の後ろに斑目春樹原子力安全委員長、 池田元久経産副大臣現地対策本部長は通路を隔てて隣。いきなり菅の怒声が 飛んだ。「なぜ、ベントをまだ、やらないんだ」.

 

. ―行は免震重要棟に到着した。案内されるまま、2階の緊急時対策室横の会議室に入つた。モニター が壁に掛つているだけだ。これ以上無愛想にできないほど殺風景な部屋である。誰もいなかつた。「何で誰もいないんだ!」菅はまた叫んだ。ややあつて、吉田昌郎東電福島第一原発所長が姿を現した。テーブルをはさんで、向こう側に吉田と武藤、こちら側は菅を斑日と寺田学首相補佐官が挟んで座った。左側に池田と黒木慎一保安院審議官が控えた。武藤は、ベントを開けるには、圧縮空気を送るた めのコンプレッサーと電源が必要でその手当に手間取つていると説明を始めた。 1、2分して、菅が 怒鳴つた。kannnaoto

 

「そんなこと、そんな言い訳を聞きに来たんじゃない!」「何でオレがここへ来たと思つてんだ!」吉田はそれには直接答えずに、テーブルに図面を広げて、説明を始めた。「電動ベントを いま準備しています」「それはどれくらいかかるんだ」「4時間、かかります」「4時間も待てないだろう。東電は、ずつと4時間と言つている。いつも、あと何時間、そればつかり言うんだよな」{だ いたい、ベントは午前3時のはずではなかつたのか。その予定時亥Jからすでに4時間がたつている。それをさらに4時間、待て、というのか)菅は苛立ったが、吉田は顔色一つ変えない。

 

「ベントはやります。手動でやることも考えています。手動でやるかどうかを1時間後に決めます」「そんな悠長なことを言つていられない。早くやつてほしい」「ただ、きわめて線量が高いのです。ですから1回15分しか仕事ができません」吉田はそのように答え、菅の目を正面から見て、言つた。「最後は人が突入します。決死隊でやります」「決死隊」という表現に菅は、うなずいた。

 

12日午後2時30分 ベントは成功したが

午後2時30分、ようやくのことで1号機のベントは成功した。それを決断してから14時間半、政府のベント命令を受けてから7時間半、ベント作戦を始めてから4時間以上、それぞれ経つていた。ベントはなぜ遅れたのか。 官邸と東電の間には根深い不信感が横たわつていた。両者の間には信頼関係はおろか、まともなコミュニケーションもなかつた。菅は、東電がベントを迅速に決められなかつたのは、3月H日夕方から 12日の昼頃まで、経営トップの勝俣恒久会長と清水正孝社長が同時に本店を留守にしており、そのた め大きな経営判断ができなかつたことによるのではないか、と疑つていた。東電という会社、それも 本店は、「官僚機構以上に官僚機構だ、誰もリスクを取りたがらない。だから大きな決断をできない」と菅は感じていた。katumatatepco

 

その不信感は海江田万里経産大臣の場合も同じだつた。海江田は危機管理センター中2階の小部屋で武黒一郎東電フェローたちに「君たちがいつまでも躊躇してベントしないのなら、命令にするぞ。命令にするぞ」と何度も警告を発した後、意を決して、原子炉等規制法に基づく命令に切り替えた。東電の経営体質からして、命令しなければ、いつまでもベントを実施できないのではないかと恐れたのである。

 

12日午後3時36分 1号機建屋水素爆発

水素爆発などありえない、と菅はすっかり思いこんでいた。福島第一原発に行くヘリの機中、斑日と話した際、斑目が菅に言つた言葉を鮮明に覚えていたからである。「炉心では被覆管と水が反応してどうなるんだ」「その反応で水素ができます」「じゃあ、水素を放出したら水素爆発が起こるんじゃないか」「いいえ、圧力容器で水素ができているわけですけども、それをまず格納容器に逃します。mutouimages

 

格納容器の中は、これは空素で全部置換されていますから、酸素がないから水素は爆発しません。ベントで煙突のてっぺんから外に放出すればそこで燃えるわけですから、水素爆発は起こりません」斑 日は明確にそう言い切つた。菅は帰京すると「水素爆発は起きない」と秘書官たちに言つて回つた。午後4時過ぎ、党首会談を終え、菅は首相執務室に戻つてきた。福山哲郎官房副長官と斑目が部屋で待つていた。菅が戻るとすぐに、伊藤哲朗内閣危機管理官が地下1階の危機管理センターから上がってきた。「福島第一原発で爆発音がしました。白煙が出ています」

 

「白煙って何ですか」と菅は斑日に尋ねた。「火事ではないですか」武黒一郎東電フェローも呼び込まれ、聞かれたが、「聞いていません」「本店に聞いてみます」との答えしか返つてこない。そこに 寺田補佐官がドアを開けて飛び込んできた。「総理、1号機の建屋が爆発しています。すぐテレビを つけてください」1号機の建屋が四方に吹っ飛び、白い煙が上空にもうもうと湧き上がっている。斑 日は、それを見て、頭を両手で抱えながらテーブルにこすりつけ、「あちゃ―」とうなつた。菅は声 を張り上げた。「こりゃ、何だ。爆発じゃないのか」「斑目さん、アレは何なんですか」madarame無題

 

斑日は絶句した。頭の中がクルクルまわつて、言葉が出てこない。「水素爆発じゃないんですか。あなたは水素爆発はしないって言つたじゃないですか」「私が申し上げたのはあくまで格納容器の話であります」 菅は秘書官に強い口調で命じた。「あんな爆発だつたら、現地の人間はすぐにわかるだろう。なぜ報 告が上がってこないんだ。早く情報を上げてくれ!」yoshidaPN2012072401001971_-_-_CI0003

 

14日午前11時1分 3号機爆発

吉田の、叫びにも似た声が、東電本店の非常時災害対策室(オペレーション・センター)に響いた。「本店、本店、大変です。大変です」「はい」「3号機。たぶん、水蒸気だと思います。爆発が、いま起こりました」「はい。緊急連絡」「H時1分です」「1号機と同じような感じ?」「地震とは明らかに違う横揺れが来ましてですね。たぶんこれは1号機と同じ爆発だと思います」吉田の声が上ずっている。午前11時過ぎ。官邸首相執務室。菅は、公明党と党首会談をしていた。寺田首相補佐官が、飛び込んできた。「爆発です。日本テレビをつけてください。4チャンネルです、4チャンネル」テレビが.. 3 号機の爆発のシーンを映している。煙が噴き出している。菅はつぶやいた。「これ、黒いよな」「爆煙の上がり方から見て、もしかしたら、圧力容器飛んだかもしれないな」1号機は白煙が横に噴き出ていたが、これは黒煙が上に噴き出している。

 

15日午前1時  2号機深刻東電撤退か.. ?

3月14日午後7時55分、東電本店のオペレーションセンターで高橋明男フェローが隣に座つていた武藤に話しかけた。「これ、避難、退避は何時になっているんだろうな。退避基準をつくれつて言つたんだっけ。武藤さん、これ、全員の発電所からの退避つていうのは何時頃になるんですかねえ」清水は難しい決断をせまられることになった。撤退するにしても官邸の了承を取らなければならない。

 

清水は経産大臣秘書官に何度も電話をかけた。清水は「大臣と直接、お話ししたい」との伝言をその都度、託した。7時ちょっと前、清水は海江田と話すことができた。「退避を考えなければならなくなるかもしれません」という内容を言葉少なに話した。「ぜひご了解いただきたいと思いまして」そう清水が言つたのに対して、海江田は、「それはないでしょう」と突き放し、電話を切つた。 午前1時すぎ、海江田が電話に出ると、清水がこわばった声で2号機の状況が一段と深刻になつてき た事情を説明した。「このままでは作業員を退避させざるをえなくなると思います」「現在、福島第一原発では700~800人の作業員が働いていますが、彼らを第一原発から第二原発に退避させたいと思います」海江田は一呼吸入れて言つた。tepcosizimu2935_japan%20shimizu_1_460x230

 

「清水さん、退避は無理です。もう少し頑張ってもらわないと困ります」ただ、最後に「重大な決断なので総理と相談します」とつけ加えた。海江田はそばにいた安井正経産省資源エネルギー庁部長に聞いた。「東電の福島第一の現場から全員いなくなつたらどうなる?」「そうなったらメルトダウンするのは1号から4号だけじやありません。5号も6号も冷却できなくなって大変です。それに各号機のプールもみんなダメになつてしまいます」(この状況で全員退避となると、1号機から6号機まで全部つぶれる。そうなれば東京都民も場合によっては逃げなければならなくなる)海江田は背筋が凍る思いがした。

 

15日午前3時 撤退はありえない..

! 5階の首相応接室では、結局は撤退なのか。・・・という重たい空気がジトーッとまといつき始めた。 細野豪志首相補佐官は、「玉砕」という言葉を思い浮かべた。 「ここで判断するのはおかしい。総理に判断を仰ぐべきじゃないですか」福山は、このままではズルズルッと撤退でいいという判断になるかもしれない、と怖れた。正式な会議を開き、総理の「聖断」 を仰ぐことで、流れを変えられないか、と思った。枝野、寺田とも異論はなかった。のちに、官邸政 務が「御前会議」と呼ぶことになる会議の開催が決まった。午前3時ごろ。菅は、首相執務室の「奥の院」と呼ばれる奥の部屋で仮眠をとっていた。秘書官が菅を 起こした。菅は寝ぼけ眼で起き出してきた。不機嫌きわまりない表情だった。hosonoimages

 

海江田が「東電が原発事故現場から撤退したいと言つてきていますが、どうしましょう。原発は非常に厳しい状況にあります」と切り出した。(何だ!撤退やむなしと考えているのか。それで自分を起こしに来たのか)「撤退? 何だそれは。そんなのありえないだろ」菅の怒りに火が点いた。「ええ、そうなんですが、ただ、東電の社員に死ぬまでそこに残れとも言えませんじ・・・・J海江田と枝野がやや「ひるんだ」 感じの発言をした。菅は「現場はどう言つてんだ。吉田さんに聞いてみよう」と言い、その場で、卓上の電話機から福島第一原発の吉田所長に電話した。菅は、受話器を耳に当て、なにやらうなずいていたが、電話を切ると「吉田はまだやれると言つている。おい、現場ではやれると言っている。撤退 なんてありえないぞ」と高ぶつた。

 

午前3時半、応接室で「御前会議」を開催した。菅が大声を上げた。「撤退したら一体誰が対応するんだ。6つの原子炉と7つのプールを放棄するのか。どういうことになるのかわかっているのか」そ の場の空気がピーンと張りつめた。菅はなおも続けた。「東日本全体がなくなるんだ。絶対ダメだ.. 何人死のうとも、引き揚げちゃだめだ」「自分の国で起きた原発事故を放置するなんてありえないだ ろう」「引き揚げることは、絶対に許さない」「もし東電が現地から引き揚げたら、1, 2, 3号機 の炉、どうなる。4号機のプール、どうなる。最悪の場合、決死隊を結成する。60歳以上だけでやる」 それから、付け加えた。「そのときは、オレも先頭切つてでも駆けつけなきゃな」fukuyamaimages

 

15日午前4時17分 統合本部というアイディア

午前4時17分。清水が官邸に到着した。菅は静かに言つた。「清水さん、撤退などありえませんよ」 「はい」清水は答えた。消え入りそうな声だった。「そんなことないんですね。撤退なんてありえませんよ」「もちろんありません」「やるしかないですね」「その通りです」

 

菅は拍子抜けした。内心、ほっとしたが、ここで一気に局面を転換する必要があると感じた。(清水の言葉だけでは不十分だ。政府の意思決定と東電の意思決定の統一をしないといけない)「これまで官邸と東電ということで別々に対策本部がありますが、これは情報の共有と迅速な把握という点から見て、問題があります。政府と東電の統合本部を作ります。それを東電の本店に置きたい。いいですね」菅の言葉に、清水はびっくりした表情を浮かべたが、「結構でございます」と答えた。菅は、自 分も東電に行くつもりだ、と言つた。

 

15日午前5時35分 東電乗り込み

15日午前5時35分、一行は車列を組んで、官邸を出た。東電本店前では、菅.―行の車列を大勢の報道 陣が待ち受けていた。正面には東電経営陣の席があり、勝俣、武藤らはもう着席していた。 菅は細野の手からマイクをもぎ取つた。右手にマイク、左手を腰に添え、立ったままで、演説を始めた。「一体どうなってるんだ!12日の1号機の爆発はテレビで放映されているのに、官邸には1時間も連絡がなかったじゃないか」「今、福島第一から撤退すれば、1号機から4号機、5、6号機まで 全部爆発する。福島第一原発だけでなく、福島第二原発も爆発する」「日本の領土の半分が消えることになる。日本の国が成り立たなくなる。何としても命がけで、この状況を抑え込まないといけない」edanoimg_4958a22fbf36becb662c04c3be75f2f5216044

 

「撤退を黙つて見過ごすわけにはいかない。日本が原発事故を自分で何もできないとなつたとき、外国が、アメリカもロシアも、何もしないでいるだろうか。何十日間、何百日間、放置するだろうか。自分たちがやる、と言い出しかねない。それは日本が占領ということになる」「君たちは当事者なん だぞ。命をかけてくれ。東電は逃げても、絶対に逃げ切れない。金がいくらかかかつても構わない。

 

日本がつぶれるかもしれないときに撤退はあり得ない。撤退したら東電は100%つぶれる」「会長、社長も覚悟を決めてくれ。60歳以上の幹部は現地に行つて死んだつていいとの覚悟でやってほしい。 おれだつて行く。われわれがやるしかないんだ」「もう一度言う。撤退はありえない」10分間近く、菅は演説した。すさまじい形相だった。顔には疲れがにじみ出ていた。

 

15日午前6時10分 2号格納容器破裂

菅は勝俣に顔を近づけ、食いつくような形相で言つた。「おまえ、死ぬ気でやれよ」勝俣が答えた。

「わかっています。大丈夫です」この小部屋もテレビ電話で現地とつながっていた。午前6時10分過ぎ。吉田が「すごい音がする」と言つた。「これはただごとじゃないから、関係ないのは退避させます」「2号機付近で爆発音」情報は錯綜した。菅は向こうの状況がまだ呑み込めていないようだ。吉田は言つた。「総理、一時退避、お願いしてよろしいですか」「必要最小限の人間を残し、後は退避 させます」菅も海江田もこのときはリアルタイムで爆発の情報を得ていた。70人を残し、残りの従業 員を第ニヘ退避させたいとの要請を受け入れた。菅は官邸の枝野に電話した。Japan earthquake and tsunami aftermath

 

「すごく重大な状況が起きた。異常事態だ」空が自々と明けてきた。午前7時過ぎ、「かなりまずいので退避させたい」と了承を求める東電側に、菅は「注水は絶対に続けてくれ」とあらためて念を押した。15日は火曜日、閣議の日である。菅は8時40分ごろ、東電を出て、8時46分、官邸に到着した。午前9時すぎ、福島第一から報告が入つた。「午前9時。正門付近で毎時1万1930マイクロシーベルト」「1万1930?!」オペレーションルームからうめき声が漏れた。昼ごろ細野から寺田にメールが入つた。「渋谷の線量、通常の100倍」放射能を「閉じ込める」堤防はここに決壊した。 (抜粋者注:後から見ればこれが最悪の時で、事態はここから徐々に収束に向かつた)

 

「菅という不幸  菅という撓倖」

菅は、首相官邸において、巨大な危機を克服すべく陣頭指揮を取つた。しかし、その危機管理スタイルは異形だつた。政府事故調、国会事故調、民間事故調はいずれもその問題点を指摘している。菅は、木を見て、森を見ることが苦手だつた。大局観に欠けていた。マイクロマネジメントに傾斜しすぎた。官僚を上手に使えなかった。その上、怒りつぱく、人を怒鳴りつける。だから、情報が下から吸い上がってこないし、周りが円滑に流れない。リーダーシップのあり方からすれば、おそらく菅は落第点をつけられてもしょうがないだろう。にもかかわらず、菅がいなければ「日常モード」から「有事モード」への思い切つた切り替えはできなかつただろう。菅は危機の本質を誰よりも早く察知し、緊急対応へとシフトさせた。abeshushouimagesCAVRBS0S

 

それでも「日常モード」を「有事モード」に切り替えることは簡単ではない。東電の社員に命をかけて踏みとどまれ、という権限も強制力も政府にはなかつた。15日未明の官邸5階での政務の議論の本質は、細野に言わせれば「作業員に死ねと言えるかどうか」をめぐるテーマだつた。細野は、細野をはじめ、海江田、枝野、福山も官邸政務はそれを言えなかつた、と証言している。

 

「そこは菅さんにかなわなかつた。菅直人は、間接的にだけど、東電の作業員は死ねと、死んでもいいと言つたんです。死んでも、一人の命より国家の重みのほうがあると言ったんだと思いますよ。そういう表現は使わなかつたけど。彼はまったくもつてヒューマニストじやないんです。リアリスト。ミクロかマクロしかない。真ん中がないんです。だから細部には気を遣うんだけど、真ん中がなくて 国家なんですね」

 

細野は「菅直人という政治家の生存本能というか生命力つてすさまじいものがある」と思つたという。「この局面で我が国が生き残るためには何をしなければならないのかという判断は、これはもう本当にすさまじい嗅覚のある人だと思つているんです。・・・撤退はありえないし、東電に乗り込んで。・・。そこでやるしかないんだという判断は、日本を救つたといまでも思つています」

 

菅直人の戦いは、日本という国の存在そのものをめぐる戦いだつた。そのような危機にあつて死活的に重要なリーダーシップの芯は、「生存本能と生命力」だつた。 そして菅は、こと、この一点に関しては、それを十分すぎるほど備えていた。