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3・11集団訴訟参加の男性 浪江バッジ胸に訴える (東京) 訴訟原告には3000人以上が参加 国と東電の責任を問う

2013-03-07 09:53:29

故郷、福島県浪江町のバッジを着ける男性。11日の提訴でも身に着ける(白名正和撮影)
故郷、福島県浪江町のバッジを着ける男性。11日の提訴でも身に着ける(白名正和撮影)
故郷、福島県浪江町のバッジを着ける男性。11日の提訴でも身に着ける(白名正和撮影)


「まず原発全部を止め、われわれの事故の解決に集中しねぇと」。福島県浪江町から千葉県に避難する男性(82)の胸から「ふるさとなみえ」の七文字が訴える。奪われた故郷、失われた暮らし-。東日本大震災から間もなく二年。福島第一原発事故で故郷を追われた被災者たちは今、国と東京電力に問い掛ける。「なぜ、われわれが」と。


 農業を営んでいた男性は二〇一一年三月十四日、原発から十キロ離れた浪江町の自宅で、突然訪れた防護服姿の警察官に「放射能が来ている」と告げられた。地震では自宅の屋根瓦がずれただけだった。同居する次女夫婦にもけがはなく、「早く家を直そう」と考えている矢先に、避難生活が始まった。




 翌十五日朝、「すぐに自宅へ戻れるだろう」と十五キロ離れた臨時役場に逃げた。だが、すぐに十五キロ先の二本松市まで避難を指示され、行き着くと休む間もなく放射能検査が待っていた。「何がどうなっているのか。放射能はそれほど厳しいのか」。避難先の体育館は底冷えし、まったく眠れなかった。




 その後も自宅に戻るメドは立たず、三月二十日に、長女を頼って千葉県鎌ケ谷市へ移った。




 そして二年がたつ。「渓谷が美しく自然豊かな土地だった」。募る故郷への思いと、国への不信。事故の原因究明や避難生活への支援が十分だと思えない。帰還のメドも示されないまま原発が再稼働するのを見て「筋でねぇ。まず原発を止めねぇと」と語る。




 浪江町の自宅は帰還困難区域にある。故郷を人の住めない土地にした国に対し「裁判で声を上げて、考えを改めさせねぇと」。




 父と兄二人を第二次世界大戦で亡くし、残された母、祖母、三人の弟の生活を支えるため、十五歳だった男性は一家の柱として農作業を続けてきた。




 骨をうずめるつもりだった故郷を奪われた。「このままだと日本はおかしくなる」との思いが、男性を訴訟に駆り立てる。 (白名正和)




    ◇




 原発事故の被災者たちは三月十一日、国と東京電力に損害賠償などを求め、東京、千葉、福島各地裁と福島地裁いわき支部に集団提訴する。七日には弁護団が東京都港区内で記者会見し、提訴内容を明らかにする。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013030702000107.html