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「原発事故 政治が責任を」菅元首相インタビュー(河北新報) 「国難」時の政局的動きに悔い

2013-03-08 08:55:27

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kannnaoto東日本大震災から2年となるのを前に、民主党の菅直人元首相は河北新報社のインタビューに応じた。「住宅の高台移転などの合意形成に時間がかかり、福島県内では東京電力福島第1原発事故による放射線の影響が大きい。当時の首相として多くの人がまだ避難している現状を申し訳なく思う」と語った。
菅氏は「3月12日午前に仙台市や宮城県石巻市周辺を上空から視察した際、海と陸の境がはっきりせず、建物の土台しか残っていない海沿いの光景が強烈に焼き付いている。甚大な被害を覚悟した」と当時の心境を明かした。

 
原発事故への対応では「東電も原子力安全・保安院も判断に必要な情報を上げられなかった。何が起きているか把握できなかったことが、非常に怖かった」と振り返った。「過酷事故は起きないという前提で原発は運営されていた。東電も保安院も危機管理体制に欠けていた」とも指摘した。

 

緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の計算結果の公表が遅れるなど、政府の情報提供をめぐっては不信感が強まった。

 

菅氏は当時の状況を「分かっていたことで隠したことはない」と説明。「SPEEDIは大きな反省だ。担当部局が『使えない』と判断し、こちらに伝えなかった。事故に備えるためのシステムをなぜ使わなかったのかと、国民の不信を招いた」と話した。

 

原発事故の賠償問題に関しては「国策で原発を造ったのだから政治が責任を持たなければならない。賠償と除染、健康管理などに政策でしっかり対応するべきだ」と強調した。

 

震災から間もない一昨年5月ごろ、民主党内では「菅降ろし」が加速し政局は混迷した。菅氏は「政権与党のトップとして大変申し訳なかった。震災以前から私を引きずり降ろそうという動きがあったが、国難のときに政局的動きがあったのは残念だった」と述べた。

http://www.kahoku.co.jp/news/2013/03/20130308t71007.htm